当 函館元町ホテル前に「 新撰組屯所跡地 」と史跡案内板が
この度設置されました。
 

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史跡案内板の内容は次の通りになります。
 
「この周辺は明治12年の大火までは称名寺でありました。 幕末には英国・仏国の領事館、箱館戦争時は「土方歳三」の箱館市中取締就任にともない箱館警備の任に就いた「新選組の屯所」となりました。

 
土方歳三が戦死した場所は一本木関門、鶴岡町、栄国橋(異国橋/現在の十字街付近)など諸説あるが、
日野高幡不動尊金剛寺の過去帳に、「箱館称名寺に鴻池手代大和屋友次郎建立の土方歳三供養費が
ある」と記されている。
 
当時に旧幕府・箱館政府には財源がなく、地元民から運上金や通行税を徴収した。戦況が逼迫してくると
軍資金は底をつき榎本武揚らは富裕な商家から金品をを徴収する事を計画した。
このとき土方が猛反対し、徴収は中止された。
これを知った大和屋友次郎はじめ箱館の商家の人々は、土方の死を悼んで称名寺に供養碑を建てたという。

称名寺は明治期に3度の大火に見舞われ、その碑は現存しない。現在ある称名寺の供養碑は、昭和47年
有志により建立されたものである。

 
ぜひ函館のこの旧市街地にぜひ 足を運んでいただければと思っております
   
 
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 5/7 本日
北海道新聞に掲載
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
函館新聞  5月12日 掲載
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            明治8年の函館元町ホテル周辺地図になります。
    赤い所が現在の函館元町ホテル/黄緑斜線が当時の称名寺/右~實行寺/左~能量寺(浄玄寺)
      青いマーカー線は現在の道路  
 
    
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                          函館元町ホテル
                 宿主  遠藤浩司