先日、霊能者さんと話していて。私のこれからについて。自分は明らかに権力財力能力なくて、ほとんど社会的弱者だ、しかも、兄妹もいなくて、唯一の母親は宛にならない(泣)と嘆いた。


支え合い。若いときは熱心だったが、自ら、転職したり、経済的に大変だったりで、遠ざかっていた。確かに、ひとつ募金も、まあまあの額をさり気なく納めるにはなったが。ほんとは、こんなことわざわざ言わないために、あえて心を遠ざけ、いざとなれば動く方針でいたが。支え合いを理解する人、という、位置づけみたいのは、必要なんだな、と感じた。私自身は、そんな大きな支え合いが必要な世の中になっては大変だ、実際、地震や豪雨が頻繁に起こる、と心配している。


自分もいずれは明らかに支えられる立場だ。今だって、富裕層からかなりの恩恵を受けているのだろう。強がらず、自分の社会的弱さを認めている。そんな話をした。


これから頼りにするもの。強がった末頼るのは情けない…。できる事をしていこう、と、心に決め、支援行政機関に向かった。心ばかりの支援の為に…。霊能者さんに心から感謝した。強がるばかりの人間になるところだった…。



さて。浄土真宗、仏教の教えでは。やはり、財施というのは大変良いこととされる。それも、本当に困っている人、お世話になった人、尊敬する人に、だ。日頃から人を支え、尊敬までいかなくても、まあ良い行いとは大切だ。自分が困り支えられるだけでは世の中のバランスがある。自分だけ、の考えの偏りは、不思議と社会にも影響する。一人と思うな、世間と思え、まあ、私の持論だが(笑)。仏教を世に広めた聖徳太子は、和をもって成せ、と教えた。裕福層と貧困層がはっきり別れたら恐しいことで(汗)。それこそ、この世世界の終わりだ!我々は奴隷になりたいか?イエスかノーか?そういうことだ。


この世は輪廻を繰り返す。嫌な時代にならないようにと願う。