【ブログ要約】
「芸能人格付けチェックで、高級料理・大衆食堂の料理・浜ちゃんの手料理の3択が出てくるが、なぜか浜ちゃんの料理が選ばれてしまうのを不思議に思ったことはありませんか?」
先日、阪急嵐山駅前のフェスで老舗料亭のだし巻き卵を食した際、その「薄味」への違和感から一つの仮説に辿り着きました。超一流のプロが作る繊細な味よりも、なぜ私たちの舌は「浜ちゃんの料理」という名の「強い味」に屈してしまうのか。実体験をもとに、現代人の味覚と「美味しさ」の正体を考察します。
【本文】
1. 嵐山での違和感:老舗の味は「物足りない」?
3月21日、嵐山駅前「つながるフェス」に足を運びました。そこでいただいたのが、京料理「鳥米」のだし巻き卵(500円)。見た目はふわふわで期待が高まりましたが、一口食べて驚きました。
「……味が薄い。」
正直に言って、びっくりするほど美味しいとは感じませんでした。しかし、この「物足りなさ」こそが、テレビの中の不可解な現象を解く鍵だったのです。
2. 「浜田チャーハン」という最強の刺客
番組で多くの芸能人を惑わす「浜ちゃんの手作り料理」。素人が短時間で仕上げた料理が、なぜ数万円の高級料理や、長年愛される大衆食堂の味に勝ってしまうのか。
その理由は、浜ちゃんの料理が「足し算の美学」で作られているからです。ラード、鶏ガラスープの素、強めの塩分。これらは脳の快楽中枢をダイレクトに刺激する「分かりやすい美味しさ」の塊です。
3. 「高級=薄味」というハードルの高さ
一方、プロの料理、特に京料理は「引き算」の世界です。素材の持ち味を殺さないよう、塩分を極限まで抑え、出汁の香りを立たせる。
しかし、日頃から濃い味付けや添加物の入った食事に慣れている私たちの舌にとって、この「繊細さ」は時に「味がない」と変換されてしまいます。
格付けチェックの解答者が、一口食べた瞬間に「これだ!」と選んでしまうのは、洗練された技術ではなく、舌が馴染んでいる「刺激」に反応してしまっているからではないでしょうか。
4. 結び:私たちは「本質」を見抜けているか
今回のだし巻き卵の体験で痛感したのは、自分の舌がいかに「分かりやすさ」を求めているかという事実です。
これは食の世界だけにとどまりません。複雑な問題を単純化し、強い言葉で煽るような「濃い味」の言説ばかりが好まれる今の社会構造にも通じるものがあると感じます。
私たちは、薄味の中に潜む「本質的な価値」を、果たして正しく評価できているのでしょうか。