竹島・尖閣に憤る夏 | 六本木の公認会計士いきぬき (息抜き編)

竹島・尖閣に憤る夏

領土問題で日本国民としては、誇りを傷つけられる他国からの仕打ちにあっています。

竹島上陸とか天皇陛下に謝罪要求、その虚をついて尖閣への中国人の挑発と続いて、外交問題になると度々繰り返される国民からの不人気政策が、「国益」という概念から正当化される弱腰外交となります。

逮捕した中国人も不起訴で強制送還だそうです。政治家や官僚が計算している「国益」を考えたら妥当な「計算結果」でしょう。

韓国や北朝鮮、中国といった国々の人々は、とても感情的で自尊心が強い人々だと思います。簡単に自分が悪くても人に謝らないし、一方で他者が自分に対して謙ったり謝罪したりすることに対して優越感を隠さない人々です。

「領土問題はナショナリズムを刺激しやすいので、双方の国々で冷静になったほうが良い」といった内容のコメントがマスメディアのコメンテーターから繰り返されます。

ナショナリズムというのはもちろん論理ではなく感情です。

ですから、確かに、他国のナショナリズムを論破しようとしても無駄です。

そして、戦後日本において「平和教育」を受けてきた僕たちは、ナショナリズムは戦争の原因であると自分の頭で考える力のない小学生くらいのうちから刷り込まれます。

読売新聞を除く新聞各紙(とりわけ朝日新聞)もこういった論調に傾斜していますが、ナショナリズムという感情は国民の幸福の一構成要素です。

私たち人間は、家族や地域や所属するチーム・組織に誇りを感じることで幸福となれるようにできているのです。日本の責任ある立場の人々も持ち出す「国益」には、国民の誇りは度外視されているように感じます。

今、日本人であるために周辺国から謝罪を要求され、嫌われ、プライドが傷つけられるのです。韓国や中国の無学な人が事件の背景も勉強せずに勝ち誇る姿を見て、屈辱を味合わされる国民感情をいたわってほしい。それは、金額で表すことが出来ない国民的不幸なのではないでしょうか。

終戦記念日が終わって、改めて、戦後の思想的誤りを総括した上で、土下座外交は繰り返さないでいただきたいと思います。

国民の誇りをまもるのも国益です。