モトコのブログ

すべてはオーライ♪


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週末、父はショートステイに再度、行ってもらった。

まずは月末〆の仕事優先。

そして施設の支払いのために、父の通帳から引き落としをするのだが…届け出印が不明。

キャッシュカードも作ったが、転送不可で手続きが必要。

そのあと寝室の布団を上げて掃除機掛けたい、

こたつも上げて掃除機掛けたい、

とにかくきれいな部屋で静かに一人でくつろぎたい。

そして買ってきてポットのまま放置してあるビオラを植え替えようとか、

寒さに弱い植物を部屋に取り込まなきゃとか、思ってた。

 

仕事は自分の予定通りのところまで済ませた。

銀行も二つ行って、6個の印鑑から届け出印を見つけることができ、

キャッシュカードは本人じゃなきゃ受け取れなかったんだけど、

特例で期限は設けないから本人といつでも来てくださいと言われた。

 

布団とこたつは上げて、予定通りに掃除機をかけた。

寒さに弱い植物は、とりあえず風呂場に放り込んだ。

それで時間は切れた。

というか、なんだかいつもより午前中からとにかく眠くて何をするにも効率が悪い。

きれいな部屋で静かに一人でくつろぐなんて優雅なことはできないまま

あっという間にステイは終了した(涙)

 

今朝はディサービスに行った。

朝ごはんを食べて、お迎えの時間まで親子でテレビを見ていた。

もちろんチャンネル権は全権、父だから、父の好きな番組である。

NHKのテレビ小説を見て、そのままあさイチなる番組を見ていた。

今日は認知症をテーマにした内容であった…なんかドキドキ。

「認知症になんてなったら大変だなぁ」と言って見ている。

「頭を使わないからなるんだ」と言っている。

そうだねと応えながら、微妙な気持ちになる。

 

さて、私のブログをずっと見ている人はご存じであろうが、

私はいわゆる「放射脳」と揶揄されて来た人間の一人である。

我が家で一番初期被曝が少なかったのはおそらく猫たちだ。

2011年の3月12日からは外に出さず、5月まで目張りした部屋の中で過ごした。

 

認知症になってしまった父は、実弟と共に私をバカにしていた一人だ。

事故後の北関東のサツマイモやレンコンが安いからと買って食べ、

三陸産の生ワカメを取り寄せて食べ、

おすそ分けを申し出てくれたが、その度に断り、

「ああ、放射能か、相変わらず神経質なことだ」と二人に笑われた。

もちろん、話はしてみたけれど「トンデモ」と言われて聞いてはもらえなかった。

 

2011年3月12日以降も二人は、マイクロスポットとのちに判明した場所を

父はウォーキングで毎日3キロ程度、

実弟は営業などで来る日も来る日も外を出歩いていた。

実弟はこの数年の間に、心臓手術を2回行っている。

そして、最近脳こうそくが判明した。

放射能のせいかどうかは分からない。

でもやはり、私の中では疑いが無くせない。

 

一方父であるが、

2週間ほど前に病院で脳のCTを撮っている。

脳は委縮しているが、こんなに症状が出るほどじゃないんだけどと医師が言っていた。

父の親、おじやおばは、長命な人が多い。

父の母親(私の祖母)は88歳で亡くなっているが、

亡くなる前日まで私の娘(祖母にはひ孫)をおんぶして買い物に行っていた。

その88歳は、祖母のきょうだいのなかではそれほど長生きじゃない。

皆100近くまで生きて、呆けたという話を聞いたことがない。

父の認知症もあの原発事故が無かったら?という気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昨日は「お散歩でも」、ご協力いただき、ありがとう。

朝は雨や雷がすごかったので心配しましたが、

散歩のころは快晴になってきたのでホッとしました。

 

さて、タイトルどおり、

いろいろ問題に対処する→父に負ける→また対処と

ずっと繰り返しています。

現在、とにかく食べ物を小出しに、

父がうろうろ探し出す前に渡しています。

昼間は10時と3時のおやつの合間に

飴玉とか、野菜ジュースとか、みかんとか渡してる。

まぁ、食べ過ぎだとは思うけど、そうしてると怒鳴らない。

怒鳴りあいになるよりずっとまし。

猫缶まで探して食べてたし、ずっとまし。

 

夜は、父より先に寝ないで寝たのを見計らって

わざとテーブルに探したら見つかるように

小さいおにぎり、みかん、小包装のクッキーや煎餅、ジュース、飴玉などを

おいておくようにして、この3日間は夜中の怒鳴りあいもない。

煌々と電気付けて夜中のおやつをセルフでやってる。

まぁ、食べ過ぎだとは思うけど…以下略。

 

今日は朝から静か。

仕事がはかどるうえ、こうしてブログも更新できる。

なぜか朝起きたら、おやつもそのままあった。

ちょっと「ん?」と思うことはもちろんあるけど

怒鳴りあいしないから、こちらも疲れないで受けられる。

些細なことでも怒鳴られると心折れるけど

静かに言われる分には大丈夫。

 

たとえば昨日は、私の髪型について

女らしくない、パーマを先だけかけてふんわりとしろとか、

その頭はどうかと思うとかさんざん言っていたが、

怒鳴りながら言わなかったので「そうだね」と流して、

それでもうるさかったので「夫くんが好きなの、これが」と言ったら黙った。

私が自分のクローゼットに自分の洗濯物をしまっていた時も

それを覗いて、なんてたくさん洗濯物を掛けてあるのだ、

みんなお前の洋服なのかと静かに怒っていたが

うん、ねぇと曖昧な返事をしてとっとと電気消した。

電気が消えたら、たくさんの洋服も父の頭から消えたようだった。

どうせ、記憶は早いと15分で無くなる。

 

ちなみに、そんなにたくさんの洋服はない。

ハンガーに掛けて吊るしてあると沢山に見えるだけの話。

ほとんどいただきもので、

リアルで私を知る人は、私がすごい物持ちが良いことは知ってるはず。

2,30年前のジーンズやシャツがまだ入るうえ破れてないので、

よれよれクタクタでもそのまま着てる。

↑これは年を取ってきたので、汚いBBAになるまえに

何とかしないとなぁと思ってはいるんだけど…どうにかなるかな?

 

実は施設を今探してもらっており、

介護認定が出たら、すぐに動くつもりで準備中。

こんな静かな日がたま~にあり、

そうするとすぐに施設に放り込むつもりでいることに

すごく悪いことをしてるんじゃないかとか心がざわめく。

でも、静かな日はたいがい、嵐の前の静けさでしかなく

何かのスイッチがあるように、突然嵐がやってくるのも想定内。

何度も静かな父に騙されて、今はそう思っている。

 

嵐が来ると私は耐えられない。

仕方なかったんだと折り合いをつけて無いことにしてきた

父にされたことしか思い出せなくなって

やさしい気持ちなんてすっ飛んでなくなっていく。

 

1か月で父との同居に見切りをつけて

施設に行ってもらおうと思えるのは、自分でも、とてもドライだと思う。

でも、父とは生まれた時から縁が薄い。

十代で実家を出たのも、父の仕打ちが原因だった。

これがかわいがられ、大切にされて育ってきたなら

施設に放り込むことに対して、もっともっと苦しむんじゃないかと思う。

血のつながった父親だからというだけじゃ、

苦しみも大変少ないんじゃないかと思うのだ。

私が父と同じようになった時、

娘たちが苦しまないように…それだけが気になる。

 

嫁いびりの酷かった姑さんを

「人類愛と思って」最後まで面倒見た友人がいる。

認知症ではなかったが、寝たきりで動けず

いつもご飯の時間に縛られていたことを思い出す。

私も「人類愛、人類愛」とつぶやきつつ父といたけれど

施設にと心が決まってからは

「施設が見つかるから、もう少しの辛抱」とつぶやきつつ過ごすようになった。

 

おまけライブ報告

今、父は後ろでテレビを見ている。

耳が遠いので、昔、私が使っていた集音器をすすめたが

耳の中に物を入れるなんて嫌だと怒って使ってもらえない。

私は突発性難聴で、片耳しか機能しないが、

それも補聴器あっての機能でしかなく、

補聴器がないと、現在、ほぼ人と話が十分できない。

が、補聴器、付けていると耳鳴り頭痛で寝込みそう。

テレビの音量、47まで上げて父はテレビを見る。

私は補聴器があると13~15くらいの音量がちょうどよい。

父が来るまで、自分のテレビの音量が50近くまであることを知らなかった。

窓を開け放す季節じゃなくてホッとしてる。

 

 

 

 

 

 

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2日ほど、父とご飯とのいさかいが続いた。

 

炊飯器の保温はすぐにできなくなった。

保温の赤いランプが気になる&何度も確かめる、ついでに食べる…ということになり、

まず、目を引くのでランプが付かないよう保温をあきらめた。

暫くは炊飯器のあった場所が分からなくなり、平穏だった。

が、すぐに炊飯器の場所が見つけられた。

ご飯があるか何度も確かめる、ついでに食べる…ということになり、

布をかぶせて炊飯器を隠すことになった。

2日ほどはそれで炊飯器の場所が忘れられ、平穏だった。

が、とうとう布をはがして炊飯器を見つけられた!

翌日、炊飯器にご飯を入れておくことをあきらめた。

布をかけても意味は無くなった。

しかし、父が布を取り去り、炊飯器のふたを開けて確かめてもご飯はない。

何度も「ご飯がないが、大丈夫か?」と聞く。

「大丈夫」、「パンにしたから」、「明日は炊くよ」と適当に返事を返す。

 

夜、荒れた。

ご飯がない、夕飯を食べていないのに、食べなきゃならないのに!

1夜目はなんとか、なだめ、おせんべや飴玉や野菜ジュースやみかんを差し出して

ごまかしごまかし付き合えた。

朝方3時から4時になると、トイレも食べ物探しもパッタリ終わる。

そして6時か7時までぐっすり寝るのだ。

ここで自分もスッと眠りにつけると、何とか体も心も持つようだ。

が、たいがい大騒ぎの後は自分が動悸が激しく寝つけない。

この日も寝付けないまま、うとうともしないままで朝起きた。

午前中は比較的穏やかなのだが、8時までに朝ごはんを差し出さないと、朝から荒れる。

 

二夜目、やっぱり荒れた。

おせんべいも飴玉も、そんなものを食べても腹が膨れないとご飯以外は拒否。

根負けして、二度夕食を食べさせた。

けれど、収まらなかった。

ずっとご飯をもらっていない、なんて意地悪な女だ!と叫ぶ。

とうとう自分が切れて、「もういやだ~!!」と父並みに叫んだ。

その直後、おせんべいを二枚渡したら大人しくなり、

水が飲みたいと言うので水を渡したら、おせんべいを一枚だけ食べて寝た。

その後も、何度か起きてはごそごそしていた。

一度目が合ってしまったら「何を見てる!」と怒鳴った。

私はというと、自分が怒鳴ったことで興奮してしまっていて、

もう何もかもが無理だと心が叫んでいる感じで、目が冴え冴えして眠れなかった。

耳鳴り頭痛と吐き気が治まらなくて、六時前に起きてしまった。

昨夜渡したおせんべいが一枚、こたつの上に置きっぱなしてあった。

 

10時を待って、ケアマネさんにメールした。

「父を施設に入れたいと思います。また相談に乗ってください」と。

父が飛び出してしまって、追ってる時に電話が来た。

ケアマネさんすごい!

メールを見て何か察してくれ、翌日から3日のショートステイ先を探してくれたのだ。

とりあえず、2泊、「検査入院してもらいましょう」って。

午後にはステイ先の施設の方と来てくれて、契約した。

 

その日の夜は、検査入院がショックだったらしくて、たいへん静かだった。

明日の荷物を入れたり出したりしていたが、8時に寝ると言って寝た。

翌朝、7時に父のごそごそする音で私が目覚めた。

夜中に何度かトイレに行っていたのは分かっていたが、

父に私は起こされていない。

お水を飲んだらしく、洗面所にコーヒーカップが置いてあっただけ。

父のカレンダーに病院と書いて丸を付けてあるのを見て、

病院へ行く日だと自分で言って、9時にケアマネさんの車で「検査入院」に行った。

駐車場で見送ったら、バイバイと手を振って笑顔で出かけた。

ドナドナの歌が頭に浮かんで、言い知れぬ罪悪感を覚えた。

 

 

しかし…昨日も一昨日も、久しぶりにぐっすり寝た。

猫も落ち着いて私の傍らによりそって寝ていた。

耳鳴りも頭痛も吐き気もすっかりどこかへいった。

父を送ってしばらくしたら妙にハイになっちゃって

一日中、草むしりしていたら、今も腰が痛くて伸びない。

昨日と今日は、必要なものの買い出しをしたり、

ご飯のおかずの作り置きをしたりして過ごした。

あと2時間で父をお迎えに行かなくちゃならない。

 

 

 

 

 

 

 

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