ブレス浜松GMとして


主に担当は、広報活動が私の大きな

役割


また、トップカテゴリーの

ノウハウや、システムなど

これから、上を目指すブレスに

上がる為に必要なもの、こと・・


私に出来る事をさせて頂いてます


まだまだ力足らずであり

微力ではございますが

精一杯

限りある時間で

取り組んでおります


眠れない日々を過ごして

おります笑

色んな意味で・😆

色々と、案じてると、もう

時間が足りない・笑



ブレス浜松


242もの応援パートナー様から


今季は

また新たにも含め

沢山のスポンサー、パートナー

応援団の皆様にご賛同頂き

全てを

応援パワーに変えて、シーズンまで

新たなチーム作りを

している所です


私は、浜松にきて

ご挨拶回りすればするほど

これまでの積み重ねを感じ

優しく暖かい地元の方々の愛を

感じております


また、まだ選手達をしっかり

観てないし、キャラクター含め

これから、話する機会も増えて

ネタを,どんどん書いて

上げたいと、思います!

お楽しみに❤️


あ、話戻りますが


素晴らしいチームであるのは

本当に感じ、素敵な、チームに

関わる事が出来る事

感謝します



その反面、シビアな話


勝てるチーム


と言う所には、まだ遠い


これは、キャスターとしてOGとして

バレー界を伝える側であり

理事や広報委員など

様々な視野からの話


ここは、嘘偽りなく

チームを盛り上げ、応援して

頂く皆様と、共に

これから高みを目指して行く

と言う思いを込めて


しっかりと書かせて頂きます❤️



チームとして、今年のテーマは


圧倒的勝利、リーグ優勝を

掲げている!!



これを聞いてからの


私は、加入なので👀👂


ならば!!!


その為の準備をしなくてはならない


意識改革!



気合いだけでは勝てない・笑


当たり前だ


痛いほど

知ってる、私。


死ぬほど頑張ってきた・・

現役時代

これでもか、と

向かっては、敗れ

悔しい思いも

沢山してきた・・・


全てを、バレーに捧げても

勝てるとは限らない事も知ってる


全てを懸けてきた


本当に・・しかし、世界は

高かった


金🎖️のみを夢見て生きてきた

しかし


届かなかった


敗者であり、エースだった私は

歴史を止めてしまった責任を

背負い生きてきた


私が決めていたら、と悔しい思い


また、周りが、サーっと

いなくなり、現実を、痛いほど

味わった。



でも、挑んできた人生で

得た財産は沢山ある


それが宝物となって


身体に息吹となり


今の頑張る原動力となっている



人により、価値観や考え方も

違うし、同じバレーをやっていても

目指す場所や

温度差はある


チームスポーツの難しさは

定める目標を一つにし

温度差もある中で


同じ方向に向かい

ベクトルを合わせ

それぞれの役割りを達成すべく


一丸となれるか?


なのです





ただ、誰もが


勝つ為の


当たり前の価値観を

引き上げても、難しい所もある


なぜなら、V1のトップチームと


異なり


V2でもあり我がチームは

バレーに

100%の環境ではなく

企業の正社員として働き


午後から、練習を行います

勿論、全て全力なので

100%✖️100%な感じ!


だから、正直本当に


大変👑


本当に、みんな頑張っていて

😢凄い頑張ってる・・のです


また

選手の雇用含め、企業の皆様が

本当に支えて下さっております

感謝しかない


有難いお話


しかし、正直


一日中バレーをやれるチームとの差は


勿論ある


これは仕方ない話


その中で、挑戦する事に


意味と意義と、夢がある!


圧倒的勝利🏆と


監督が掲げた


チームも、覚悟を決めた事


出来る事を精一杯!やる


ならば、選手の思いを汲み

出来る限りの環境作りを

して行きたいと思った



それが、私の覚悟




チームにとっては

未知の事であり


またまたぁ、と夢物語的に

感じたり、聞いてる事もあると思う



これは

私の肌感覚・笑


そりゃそうよね


急激に変わってきたもの多いから

戸惑いもあるだろう



私も、日立時代は

イコール、日本代表であり

チームから九人位は、日本代表なので

意識も、違うし、環境も違うから


なかなか比較する訳には

いきません


が、


私が1995年にイタリア

セリエAから、帰国し

プロとして、チーム所属を考えた時

私が入団したのは


東洋紡オーキスでした


理由は

自分がプロとなり帰ってきて

自分がどこまでやれるのか?


どこまでチームを勝たせる事が

出来るか?


と、挑戦したかったからでした


当時の


東洋紡は、今で言うV2


下のカテゴリーから上がってきた

ばかりのチームでした


世代交代もあり


新人が私を含め10名!


新たな作り上げる時期と言う事もあり

やりがい、伸びしろと,可能性を

秘めていた


私自身、新たな挑戦と言う

思いで

東洋紡を選びました


そして、優勝は叶いませんでしたが

最後は、準優勝🥈まで

行く事が出来ました


本当に、、素晴らしい仲間と

出逢い、戦うチームになった事

何よりも、嬉しかったです


当初は、優勝と目標を上げるものの

今ひとつ、実感ではないが

理想であり、夢である目標だった


しかし、2年間


共に戦ってきて


選手の目つきが変わり


バレーへの向き合い方が変わり


自信がつき

本気になり


強くなった


当たり前の、基準が、引き上がった瞬間

でした


優勝目指す!が、心から言える様に

なった選手達が、愛おしくて

仕方なかった


だって、10歳年下の同期でしたから


また、私が入団してからすぐ


元日立の戦友であるセッター

永富選手が、移籍し共に戦い

移籍のルートも、出来た


禁断だった道を開く事ができたのだ



私が引退後は

イタリアに共に行った

吉原選手が、移籍し

また、元日立の村田選手が移籍し

新たに東洋紡の歴史を


受け継ぎ


その後、優勝する事が出来ました👑



これは、あまり取り上げて頂く

機会が少なかったのですが

丁度、ブレス浜松を観ていると


重なり、ダブル事が多く

書いて見ました❤️



私を入団させて下さいました

東洋紡に置き土産が、恩返しとして

出来たなぁ、と嬉しく思います

今思うと!


本当に素晴らしい環境で

受け入れて下さったチームには

感謝します


すぐ、結果になる事もあれば


新しいものを作るには


覚悟、決断、勇気


そして



時間も必要!!!!!


時代との巡り合わせも必要


それが奇跡とも,言えるかもね




ちなみに


昔は、日本代表には


イタリアのブルーメル・アンコーナ所属の私、と、ローマ所属の吉原さんは

日本代表には、選ばれない日本ルール

だった


当時は、日本のクラブチームに

所属してないと、代表に入れなかった

だから、オリンピックに出る為には


日本にもどり、また、

やりがいや

挑戦を求め、東洋紡入りしましたが


その後、海外選手も、日本代表に

選ばれる様になりましたが、

山あり谷ありでしたが


バレー界を少しですが、時代の

扉を開くキッカケ、改革を

身体を張ってして来れたのでは、と

思ってます


選手で、これだけ激動の波に

巻き込まれたのは、いないでしょう

良くも悪くも・笑


時には、華やかに、


時には、スポーツ新聞一面に

私の解雇されたニュース、あたかも

悪い人のような悪意ある、記事

一言も、話して居ない事が、

一面の見出しになり

家の前にメディアが24時間張り込み

異常な取り上げられ方もされました



ずっと部屋で泣いていた

絶望感のみだった


あの苦しい時代から


イタリアに飛び立つ事が出来たのは


神様からのご褒美だと



本当に激動でした

また、詳しくは、過去の諸々

検索し、是非お読みください❤️



長くなってるなぁ


すみません


思いを説明しないと、今の

時代の方々には

??

ご理解頂けなあかなぁ、と、

過去話ばかり、すみません


今、ブレス浜松のGM

お引き受けした、裏側には

様々な過去が有る


また、あの頃と、重なる

チーム感が


私を、本気に

また、後戻り出来ない環境に

奮い立たせてくれた様だ


だから、やれる事を頑張る💪




市民球団が、少しずつ

強くなっていく姿


チームがより大きくなって行く姿


是非、応援し、見守って


また、新たな方々に


是非観て頂きたく


書きました


入り口は、ここでも

実際、試合を、選手を見たら

きっと

ファンになることでしょう❤️


どうか、皆さんのお力で

チームをより大きな応援📣で

選手の、背中を押して上げて下さいね


豪雨で、新幹線が動かず

浜松滞在中


福島県郡山市にて

本日、講演会も

お伺いできず、本当に残念で

申し訳なく思います


ホテルに缶詰めなのでして

書いてみました




とにかく


色々と書いてしまいましたが


ブレス浜松


よろしくお願いします🙇‍♀️