風を切れ2020


私にとっては、今年初の舞台です

昨年から、中止、延期は4本ほど

久々って感じです

12月以来だから・・


昨年、公演予定だったので

2020と言う事で


風を切れ2020


一年延期し、今月26日ようやく 開幕


ここまで、辿り着きました


とは言え、まだ公演までは

このご時世、なにがあるのか?

わからない


今は、お稽古が、始まった!と言う事


再演ものですが、新たなメンバーで

今年の作品を作って行きたいと

思っております


さて、セーリングのお話


セーリングの歴史は長く

第1回1896年のアテネ五輪から

オリンピック種目としてありました


が、悪天候にて試合は出来なかった

との事


私自身は、1988年ソウル、

1992年バルセロナ、1996年アトランタ

と三回五輪に出場させて頂きましたが

4位が最高でメダルを獲得する事は

出来ませんでした


第1回から100年後のオリンピックだった

アトランタ出場し、後に引退しました


なかなか、他の競技の方々とは

今の時代ほど、交流が出来なかった時代


日本を背負って戦っていて

負けたら生きて帰れない的な

覚悟のもと、のぞんでいました

これは、時代が変わり価値観も

変わってるから、今の時代には

マッチしないし、理解し難いだろうな


まだまだ、保守的であり

携帯もなかったし・・・

戦う事以外は、

シャットアウトみたいな(笑)


オリパラ交流や、今のように番組や

イベントも、本当に少なかった


でも、選手村で知る、仲間の活躍

メダルの知らせは、

本当に嬉しくもあり

少し複雑な所でもあった


自分達がなによりも獲りたいから(笑)

いいなぁ、と言う思いと、色々・・




そんな中、セーリングで日本が初めて

銀メダルを獲得したのが


木下・重組でした!


アトランタ五輪


175センチ・長身の木下アリーシアさん

と、司令塔の150センチの重由美子さん


日本の大きな歴史を変えた


第1回から100年目に

初めて獲得した、日本のセーリングの

メダル


大きな一歩だった


我々は、そんなアトランタ五輪

女子バレーは

予選敗退となりました


日本の歴史を塗り替えた

彼女達、と


日本の歴史を途切れさせてしまった

女子バレー


私は、ブログでも再三書いてますが

3大会五輪で、エースをしていましたが

私が決めていたら勝てた!

かもしれないのに

とメダル獲得ならずは

自分が戦犯として思っている


だからこそ、バレーを伝える事は

私には恩返しとか、そんな綺麗事でなく

贖罪・・?いや、止まってしまった時間を

後輩達が、新たな時間を

スタートさせる事を願い、そのサポートし

その姿を

見届け、伝えたい、とやってきた

戦う思いは、一番分かるから

思いを伝えたい、と現場市場主義(笑)で

選手の頑張ってる姿を見続けた


世の中の、皆さんに知って欲しい!


こんなに頑張っているから、と一番の

応援団として伝えるの

が、私の解説や、リポートの原点であり

ぶれない思いでした


だから


ロンドンで銅メダルを獲った事は

本当に嬉しく、歴史を繋いでくれた

と、本当に嬉しい出来事だった

ありがとう!としか言えなかった(笑)


いつも、この手の時代話をすると

話が熱くなる(笑)


実は


引退後、キャスターとして活動し始めの


舞台・役者活動を始める前の事でした


重さんから、突然お電話を頂きました


セーリングやりませんか?


というお誘いでした?


セーリングは、クルーとスキッパー

役割があり、クルーは、

大きかったり力が必要と

なるポジションなのだが、興味あるか?

との話でした


セーリングを広めたい、と

人口を増やす

活動にも、精力的だった重さんは

そんな思いから、連絡下さいました


引退をした私は、29歳でした


膝もボロボロだし、何よりも次の

夢があったから

私自身はまた何か競技をする、と言う

身体や、気持ちの自信もある訳もなく

有難いお声掛けでしたが

お断りしましたが

彼女曰く、バレーの様に体格、体感的にも

バランス良い事と、チームプレーが

出来る、と言うのは凄い重要との事

周りを見る事が、できて瞬間判断し

とにかく、チームプレー!

お互いの気持ちが分かり

察しながら、協調出来ないと

個と個で、ぶつかり上手くタックは

組めないそうです!


だから、バレー選手はかなり

向いてるのではないか?と、重さんは

おっしゃいました

 

勿論、身体だけでは、出来ないし

私達の知らない外(笑)


自然が敵になり、また味方になる競技


人の、動きや、気持ちは読めても


風を読む


ゴルフのグリーンの芝すら読めない私には


全く未知、極まりない世界な訳で・・


凄い!しか言えない世界だった



ちなみに重さんは、私の2つ上の学年


色々、お話も聞き、バレーから

セーリングへ新たな挑戦してみたい

方がいたら、是非紹介して下さいね


という話で、終わったのでした


何人かバレーの後輩に話してみましたが

なかなか、競技のイメージも

分からないし、違う競技に移る、という

のが、わりとタブーではないけど

難しい時代でした

きっかけや、環境もあまり整っていなく


聖子さんの、スケートから自転車

バレーから、ビーチバレー

と言う程、本当に少なかったから、より

飛び込む勇気も、かなり必要だったから

私の知ってる仲間では、存じ上げないが

きっと、学生時代とかバレーやってた選手

とかは、居そうだなぁ✨


と、要するに色々語りましたが


アスリートだった私にも

未知だった世界


セーリング



あのあと、重さんとは

連絡するタイミングも逃し、疎遠気味になり


私も、本格的に舞台活動始めたり

セーリング関係の方々との接点も

ないままでした・・


重さんが、闘病の末

2018年に他界された事を

ニュースで知った私は、空白だった

20年間程を、悔やみました


しかし


今回の舞台が、

もしかしたら

重さんの思いや、呼び寄せられる何かが

あったのでは、と勝手に密かに

思っております!!


あの時には、何もお力にも

お役にも立てませんでしたが

今回この作品に、導かれた事に感謝します



今回、セーリングをこの作品を通じて

新たな世代に、興味を持って頂けると

嬉しく思います


また、伝説の木下・重組の事

是非、色々過去の探して観て頂きたいな、

と思ってます

そして、進化したセーリングも

比較すると、人類の進化も感じる事が

出来るかもしれませんね✨



さぁ

 

劇団山本屋


風を切れ


オリンピックめざす、若者の物語のスポーツ

セーリング


私は、そんな彼らを見守る先輩であり

応援する役です


26日から、


ラゾーナ川崎プラザソル


にて、公演となります!公演時間は


このご時世なので、終演時間の兼ね合いで


まもなく決まりますので


遅くなり、チケット購入しようと


思って下さっている皆様


どうか、あと少しお待ちくださいね!


長々、失礼致しました、