久美さん♥️

メディアでは、監督とお呼びしてますが
あっ、番組によりけり(笑)
ではありますが、本当に久美さんから
中田監督として、今コートサイドに
立つ姿

ずっと後ろを走ってきた私

中学2年の秋

30年以上前の(笑)今頃・・

初めて久美さんのトスを打ち

いや、正確には打とうとしたけど

速すぎたトス、
ネットの高さ、
ボールの大きさ、と私には
初めての場所に戸惑い
何も出来ず、

興奮と感動とごちゃまぜな1日でした

日立、全日本、そして解説者として
共に生きてきた
かけがえのない時間

0からスタートの私は、久美さんに導かれ
そして五輪では同士、戦友となり
同じ景色を見てきた

公私とも長く深い時間
良く番組や、インタビューで
監督のエピソードをと、本当に沢山の
番組や媒体から質問されます

が、なかなか本当の事は
言えません(笑)だって色々
ありすぎるからお互い(笑)・・。

ただ、久美さんから中田監督に
なっても、ずっとずっと
変わらない事
 
1つある

妥協しない
揺るぎない
確固たる覚悟が

日本バレーは

金メダル!を獲る
金メダルでなくてはいけない


ただこれだけのシンプルかつ
重い思いだと思います

選手時代も、銅メダルに
こんなメダルいらない、と言った
久美さんは、ただひたすら
金メダルを獲るために生きてきて

引退してからは、金メダル獲るべく
バレー再建の思いを胸に
解説者として、コメント。
だから、妥協や、中途半端は許さない
バレー選手としての、立ち振舞いも
妥協しない
なぜなら、国の代表だから
誇りや、プライドを持て!と
愛ある厳しい思いが
 
皆さんお馴染みな
  
テメーらコノヤラー(笑)に

繋がり(笑)

あっ、ご存知ない方はどこかで
調べて下さい(笑)


出番ではなかった私は、スタジオ脇で
見ていましたが、確かに
五輪切符を獲ったあとの出演の
選手達も高揚していたけど・・
久美さんの思いは、良く分かる


なぜなら、五輪切符

と言うのは獲れて当たり前

五輪は、出るものでなく
勝つためのもの、
と言う女子バレーの

基準



伝統がそこにはあった
時代が代わり、選手が変わっても
願いはそこある


メダルが全て
二位もビリも一緒だ


 
と、私もずっと高校時代
思えば、八王子実戦のバレー部
菊間監督からも、ずっと言われていた
春高バレーは、二位と三位
その表彰状は、こんなものいらない、と
破られた

破られた事に関して、私達は
悲しくもなんともなかった

負けた事のみ、ただひたすら悔しかった

だから、優勝するんだ、と次に向かう

エネルギーにかわった。

インハイ、国体と優勝はしたものの

全てのタイトルを獲る事は不可能でした

それもまた、日立に入り次は

世界で、に繋がった。

高校三年の時

ワールドカップ85で、全日本デビュー

久美さんは、もう既にロス五輪で

銅メダルを獲得!2つ上の先輩だけど

本当に凄い遠い先輩だった。

凄過ぎて・・恐かった(笑)
怖いの表現は、難しい(笑)
人間・久美さんが怖いのではない
(笑)いや、怖いからここで訂正するの
ではなく!
オフの久美さんは真逆なので♥️
この話は、改めてに。

話戻しましょ
厳しく凄い世界で、生きてきたから
当たり前の基準が違うからだ

ワールドカップスタメン、と
えっ?私?で良いのですか?な実力の
私・・!!
合宿や、海外試合は出たものの
日本でのワールドカップ!!
出る事で緊張し、迷惑かけないようにと
いう私がいるとしたら

久美さん始め、キャプテンの
きっこさん(石田京子)
すぎさん(杉山加代子)らは 
ロス五輪から、世代交代して
若手を引っ張り新しい時代を
作るべく、先頭を走る先輩
目標は、金メダルのみ

だから、温度差と実力差が
私1人違っていた
そんな意味で、世界の凄さ
怖さ、が、そのために生きて
妥協しない
新人だろうが、コートに入ったら同じ
やるしかない、と言う意味での
責任を与えられた、私
が、全てにおいての、怖さ
の、中の1つのピースが
久美さんの怖さ(笑)
怖いって、海外チームや恐ろしい選手に
対して私が使う言葉の中で

凄い=怖い
みたいなもの

なのです実は。
メディアだと怖いの表現で通されて
ますが、本当にの意味がここにある


憧れであり、本当に背中を追いかけ
隣にいて戦友となっても
ずっと久美さんは、バレーだった

解説者時代が、お互い長く
私は、12年前から舞台をやり始め
久美さんも観劇に来て下さったり
していた頃、まだ久美さんが
コーチになる前

素子は、キャスターとしてもだけど
もう1つのやりたい事が出来て
良いね、とおっしゃった

久美さんは



私には、バレーしかないからさ

と。

バレー界への様々な思いを抱えて居ながら
解説者時代の、久美さんの葛藤も
隣にいた私は、痛いほど感じてた。

簡単に、私は、良く早く久美さん
監督やってください!
一番にコートサイドでインタビュー
行くのが、私の夢だから、と
話していたのが、懐かしい

あの頃は、久美さんはなかなか覚悟や
思いも、様々あったんだろうな、と思い
そんな簡単な事じゃないからね、と
言ってたけど、お父様から背中を
押され、戻ってきた久美さんの
居場所、やはりコートが一番似合う

残念ながら、一番のインタビューは
アナウンサーさんが、されて(涙)
しまいましたが、今
世界バレーで、久美さんの後ろで
その姿をお伝出来る事

本当に誇りに思うし!
誰よりも頑張って欲しいと、願う

久美さんの、覚悟が
選手と、チームに伝わり

メダル目指します

と、なかなか遠く言えなかった言葉が

選手の口から出てきたのが

今大会の最大の進化だと思います

選手の意識が変わってきた

久美さんの思いが伝わり

また、久美さんも、それだけ厳しい

練習やってきたから、と言うだけあり

世界バレーを戦い、選手が初めて本当の

自信を付けたと思います。

毎日話してると、会話のニュアンスや

コメントや、内容がドンドンかわっていく

これは、現場で選手、監督と接してる

から、本当にその差が如実にわかる

とは言え、リポート中になかなか

お伝えする時間と、私の実力が

無いのが、残念であり日々勉強



思えば

眞鍋ジャパンの、リオ五輪の時も
世界バレー終わってからの、選手や
チームの意識や、見る景色目指す景色
本当に変わっていった

練習して、やってきた事が
自信にかわる瞬間が見えた

眞鍋さんのチーム作り

コーチ、スタッフの徹底した役割分担

これでもか、と言う程の男子コーチ
から、容赦ないレシーブ練習は、ある意味時代を逆行するかのごとく、激しく、厳しかった
レシーブに対しての改めての原点を確認

データからによる、戦略、戦術
作成、どこにどうしたら勝てるか?
アナリスト分析も世界1だった

大事なのは、それがコートで出来るのか?
いくら準備完璧でも、コートで
打てなきゃ、決めなきゃ意味はない
 が、様々な練習を経て

付けたのが、自信と実力だった
眞鍋ジャパンの見事な勝利であり
見事なリオ五輪だった




あれから、時は経ち



あの頃のような、雰囲気とは
チームが違うから、また変わってますが
中田ジャパンとしても
確実に進化してる時間、今を大事に
この残りの試合


とにかく出しきる事

あるもの全て出して

望んで欲しいと願います


長々書いてしまいましたが、大会終わったら
選手の事、改めて
書きたいと思います!


最後まで、応援お願いいたします


バルセロナ五輪前と

今の久美さん❤️(笑)

















明日からの世界バレー

よろしくお願いいたします