忠臣蔵ゆかりの地

色々ありますが
東京だと、泉岳寺に行く位でしたが

今日は、本当に驚きな、ファンの皆様や

また、舞台とか、映像でも殆どの方が

訪れていないの・・とお寺のお母さんから

言われた

そんな隠れゆかりの場所があった

隣の大石神社には、

みんな行くのに・・と、寂しそう。


僭越ではございますが(笑)

初めて有名人(すみません図々しく)

来て下さいました、

とは

お寺の語り部のお母さん

すみません私で。


勿論、お忍びはあるでしょうが

色々なお部屋や、遺品など

奥に展示されている部屋がいくつか

あるのでした

私は、京都の嶋原 末廣屋、司太夫さんと

ご一緒させて頂き、観光、勉強してきました

三重から、京都前のりで夕方まで

時間があったので、いつもの

新選組ツアー(先月も、壬生寺、八木邸、旧前川邸前など、走りながら、お墓参りしました)

に、一人でゆっくり行こうかな、

と思いましたが、今回は

司太夫お任せスポットへ連れて行って

頂きました☺️

ちなみに司太夫とは

新選組や

京都絡みの歴史には、造形深く

また、語り部でもあり

京都の、太夫や島原関連や、あの時代の所在

お座敷の常識、京言葉など含め

ご指導もされており

銀幕と言う時代劇情報誌でも

役員。


お薦めの場所
連れてあげる♥️と

山科へ

岩屋寺の写真


澄んだ空気も見晴らし良い高台
深呼吸たっぷり出来ました




こちらは

知る人ぞ知る場所らしく

浅野内匠頭
大石内蔵助
赤穂四十七士をお祀りしています

全国いくつかありますが
特別な場所だといいます



討ち入り前に、迷惑がかからないように

家族らと断絶したり、身辺整理をしました

四十七士の方々


残されたものに、
迷惑がかからないように・・

と。

しかし後を考え、また優しく

暖かい思いから

位牌を作った、全員に刀と言う文字が

一番最初ある

刀と言うのが、全員に同じで

自刃すべく

覚悟であり、最後は剣の字が。

これは、討ち入りの記しだと。

大石内蔵助氏が考え、

思いで討ち入り前に

作り、隠しおいていたのが、岩屋寺に

祀られているのです

なぜここか?それは

彼の親戚が近くに住んでいたから

だと言います


最後に寺坂吉右衛門氏が色々と

あとを整理する為に残された、と

言われている方ですが、一緒に

祀られている、彼の位牌は

言葉が違っていました。



その写真を撮りそびれました

話に夢中で。

こちらは、似顔絵からの像

右と左の文字が、それぞれ意味があり
また、左右で対照的な言葉
大石の刀?何かに書かれていた言葉だとか

本当に駆け足に色々聞いたから
メモをしたらよかったと、後悔。



遺品の数々
お椀や机や・・





えっ、こんなに残ってるのに
この場所を知らなかった事が
悔やまれます。

歴史の重み、また人があまり

居ないからこそ、残されている

建物や敷地や、木や、遺品

知って欲しい、見て欲しいなどの

観光として街が元気になって欲しい思いと、 

裏腹に、人が立ち居らないからこそ

守られている歴史もあるのです。

私も歴史の地には、本当に足を

運ぶ機会が多いので、その温度差は

凄い感じます。

それも、また複雑な
 
思いもあるけどね。





そして、

勿論

大石神社も!
お隣にあるから、是非両方
足をお運び頂けると、色々なものが 
見えてくると思います✨


そして、山科は
京都から一駅とかでしょ?
近いけど、観光スポットとしては
かなり

かなり


本当に


かなりの穴場(笑)


小野小町のゆかりの地





あの伝説の深草少将の
小野小町に恋い焦がれ
百夜通えば・・とのお話も  
あと1日の九十九夜で力果て
再起不能となった
悲しき恋の恋の話・・。
その印が残されていた




しゃくなげ


さぁ、明日は旅番組

四時半起き(笑)

頑張る♥️