先日のTVで、18歳の震災の語り部の方の話がありました。
確か、小学6年で被災し、避難。
昨年、語り部の会かその関係者の方かの話を聞き、
【物があるのが当たり前。
辛くて色々と大変だった被災の経験を忘れていってる】
と気が付かれたそうです。
人間の記憶では、辛いことや嫌なことの記憶が曖昧になると言うメリットがあります。
あまり辛いことの記憶が鮮明すぎると、心を壊してしまうから。
でも、それではいけないと思い、自分も震災の語り部をやろうと決心されたそうです。
私の職場の上司で、青森出身の方がいらっしゃいました。
その方のご実家も被災。
その時におっしゃいました。
【100年に一度の大震災でしょ。
今は画像とか、記録がしっかり残っているけれど、
それでもだんだんと薄れていって、忘れちゃうんだよな】
結局、ご実家の手伝いに、退職されました。
津波の状況の画像は、PTSDを引き起こすとして、ほとんど再生されることはなくなりました。
でも震災の前になると、確かにまだ記憶に残る被災後の現地の写真とか、被災された後、大変だった復興の実体験などがクローズアップされます。
またかと思わないとは絶対に言えないけれど、これからどうしたらいいかと言う見方でのレポートもあります。
記憶は薄れるもの。そして、いろんな記憶の中に埋もれるもの。
でも、少しでも思い出すきっかけ、そして少しでもそのために準備しておくのが大事。
セレナ号が新しくなったけれど、震災があったことを忘れないためにも、薄れてわからなくなるまで、マグネットは着け続けます。