私達が、行った先月末はグルジア紛争真っ只中。
モスクワでは驚くほど、紛争が起きているという緊張感はなかった。

ドラム缶で生活する孤児の話や、アジア人襲撃ギャングの存在、旧ソビエト諸国との絶え間ない争いから、ロシアすなわち首都モスクワは、とんでもなく危険な場所というイメージがあった。

こういう国では、警察の腐敗が当たり前だが、それも感じなかったし、町自体に殺気はあるが、想像していたものと、目で見たものとはけっこうな誤差があった。



ロシアで多くの問題を抱えているところは、どうやら、モスクワ以外の町らしい。

地方都市では、極めて職が少ないらしく、貧しさ故に、犯罪や孤児が生まれている。


天然資源に恵まれ世界一金持ちなモスクワを首都にもちながらも、悲劇な歴史が続いているのがこの国の実態だ。


以前にもブログで書いたことのある、バンコクに住んでいた時友達になったロシア人ボクサー達のことを、モスクワに着いてからも思いださせられた。

私の記憶から彼らが消えることはない。

なぜなら、いままで、あそこまで生きる強さを持った人たちに出会ったことはなかったからだ。


帰ってから、彼らの故郷のことを調べてみた。


ロシアの南出身で、チェチェンの隣の『タジキスタン』。
でも、あちこち聞いても『タジキスタン』は中国と隣接する国のことだとみんな言う。

ずっと矛盾を感じたままだった。

でも、それがやっと解明された。

『タジキスタン』ではなく、『ダゲスタン』

聞こえが似ているので、ずっと間違えていました。


「ダゲスタン共和国」は、ロシア連邦の連邦構成共和国の1つ

北カフカス地方に位置し、山が多いためか、旧ソ連の工業化計画は地域に及ばず、旧ソ連領で最も貧困な共和国と呼ばれたそうです。

領域は、東でカスピ海に面し、中部の西では、ロシア連邦のチェチェン共和国と、北西ではスタヴロポリ地方と、北ではカルムイキア共和国と境界を接す。
南西ではグルジアと、南ではアゼルバイジャン共和国と国境を接しています。


住民のほとんどはムスリムです。

察する通り、常に紛争が起こっている地域。
友達の同級生の半分は亡くなっていると話していました。

みんな違う国に移住したいと言っていました。
しかし、テロリストの多い地域のため、それは、とても難しいらしいです。


引用してみました↓


チェチェンではソ連崩壊後、ソ連時代からの国営企業が次々と閉鎖され、失業率が増え、場所によっては成人の8割が失業していた。暇を持て余す若者は、新しく作られたワッハビズムのモスクに行くようになったが、そこで教えられることは「ロシアや西欧の異教徒(キリスト教徒)によるチェチェン支配を許してはいけない」という、イスラム原理主義の考え方だった。

仕事もなく、若い力を持て余す青年たちの渇いた心には、この「反ロシア・反西欧」の明確なイスラム信仰が、唯一の希望と思えた。若者たちは、スーフィズム(もう一方のイスラム宗派)を守旧的な体制派の年寄りの信仰だとして攻撃するとともに、西欧風の国づくりを目指すドダエフ大統領の政策に反発するようになった。


バサエフ司令官はチェチェンからロシア軍を追い出した後、1999年夏に、イスラム原理主義の勢力を広げるため、東隣のダゲスタン共和国に軍を侵入させた。武勇で知られるチェチェンとは対照的に、ダゲスタンはイスラム学習の熱心さで知られ、北カフカス地方のイスラム教区の中心は、ダゲスタンの首都マハチカラにある。

 ソ連崩壊後、ダゲスタンでもワッハビズムの浸透が進み、イスラム法の導入を宣言してロシア当局と敵対している山村が、60カ所ほどある。バサエフ司令官は、その村々とチェチェンとの連携を強め、ダゲスタンをイスラム共和国としてロシアから独立させようと動いたのだったが、これは再びロシア政府の懸念を強めることとなった。

 チェチェンの住民の大半は単一のチェチェン人だが、ダゲスタンは30以上の民族が混在して住んでいる多民族地域である。多くはイスラム教徒だが、一部の民族がイスラム原理主義勢力の力を借りて独立すれば、他の民族との内戦に陥る可能性がある。こうした懸念からロシア軍は、ダゲスタンに侵入したチェチェン軍を攻撃し、撤退させたが、侵入は何度も繰り返された。

 この緊張状態に加え、チェチェンの「テロリスト退治」によって支持率を上げたいロシア政府の思惑もあって、99年10月、ロシア軍が再びチェチェンに侵攻し、今に続く戦闘となっている。

 チェチェンとダゲスタンの人々の多くは、イスラム原理主義による支配に賛成していないと思われるが、イスラム原理主義勢力もロシア当局も、戦争が激しくなるほど、権力基盤が強化されるため、そのことの犠牲になっている。


こちらから引用しました。
興味のある方覗いてみてください。
http://tanakanews.com/a0117chechen.htm

イスラム原理主義とロシア、欧米諸国との間での、救いようのない争い。

遠い日本に住む私でさえ、心が痛みます。

この世の中には、たくさんの矛盾が存在し、解決できない出来事がたくさんある。

最大の矛盾は、今も昔も戦争だと私は思います。



勝った負けたでは片付けられない。





『強くなくては、生きていけない』
と、タゲスタンボクサーが、話してくれた時の瞳を私は一生忘れません。


私は、彼らや他国人たちと出会って、人生についてもっと考えるようになりました。

人生や自分の立場をもっと楽観視するようになったし、平和な日本に生まれて私の使命はなんだろうとも考えました。


地位や名誉やお金は大切な財産かもしれない。

でも、本当に大事なものは、どんな時でも、柔軟さを忘れずに、生きる強さを持つことだと思います。


日本にいると、時々忘れてしまうけど、流された時の自分に苛立ちを感じるということは、まだ、大丈夫かな。





国対国ではなく、人対人だと、私はいろんな国に行って思います。
日本には優しい人はたくさんいるし、大事な人もたくさんいる。
でも、一生の記憶から消えることのない衝撃的な出会いは少ない気がする。

日本のコミュニケーションの中では、心震わせらる出会いというものを見つけ出すことは難しい。
いつもどこか、傷つきたくない、傷つけてないいけない、模索しながらのコミュニケーションから、なかなか見出せないでいるからなのかな。


それか、私の基準がおかしいんでしょうか。


未だに、自分の使命や、どのように進んでいこうか模索中だけど、たくさんの衝撃的な場所や人たちと出会いながらも、柔軟でいたいなと思います。



なんだか、話はそれたけど、こんな気持ちを呼び戻してくれる世界はすばらしい!!