4月2日、世界自閉症啓発デーに宮崎県自閉症協会主催で「そらくんとたからくん」の上映会を開催していただきました!

宮崎の皆さまや横浜からも友人たちが参加してくれて、とても温かく見守っていただきながら、私が地域と息子たち(障害がある人たち)をつなぐ活動についてもお話させてもらいました。





ステキな経験をさせていただき、協会の皆さま、参加者の皆様ありがとうございましたハート



息子たちがいてくれるおかげで、ただ生きていただけでは出会えるはずのない人たちとも繋がれる。不思議でしあわせな経験をさせてもらっています。今度は直接宮崎にも伺ってみたいなぁ✨



さて、今日、4月8日までが発達障害啓発週間となっています。知ってもうことはとても大切なことだと常々ブログにも書いていますが、「啓発」という言葉がどうにも私には馴染まないチューけれど、そういった機会に誰かの目に留まり、気づいてもらえたら…そんな思いで毎年Facebookにも投稿していたんです。


ですが、友人とこの啓発デーの話になった時、「実は初めて知ったんだ」という衝撃告白を受けましたガーン

啓発ってやはりどこか他人事として受け止めてしまうのかもしれません。

今、ネットから情報を得やすくはなっていますが、それこそ自分に必要な情報ばかりが集まってきて、興味関心がなければスルーできてしまう。知ってほしいと思っている情報を届ける難しさを改めて実感…

私も偏った情報に流されないように気をつけたいと思います。



そこで私は気づいた!


「啓発」よりも「出会い」だ〜気づき


と、まさに今、私がやろうとしていることこそが重要なことだとラブラブ

私ってめっちゃポジティブ爆笑



学校に私が意見を伝えていると他の保護者からは「ずいぶん強い表現ですね。私はそこまで言えない…」と何度も言われ、協力すら得ることが難しかった…子どもの権利を主張することをまるで悪いことをしているかのように非難されたこともあります。

私って、マイノリティの中でもマイノリティになってしまう…そんな寂しさも感じたことがありますが、やっぱり私の知りたい欲や思考は止められないチューそんな経験が他人の価値に流されず「私は私」を強くしてくれたとも思います。


結局、私は動かざるを得なかったし、動いたおかげで我が子は学校生活を楽しめるようになった。(これはとてもラッキーなことだったと思います)そして私に賛同しなかった人の子どもたちもその影響(いいか悪いかは別として)を少なからず受けているのだからみんな自分ごととして考えた方がいいに決まってるのになぁと思うのですが、それはまた一人ひとり違うから仕方ない。動かない人と対立したところで何も生まれないので、私は私の道をいくだけでした。


私の知ってほしいという思いは、「自閉症の人と苦労を知って、親切にしてあげてね」「自閉症の人たちと共に生きよう」ということとはちょっと違っています。彼らが生きやすい社会を目指しているわけでもありません。



マジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)に分けられがちなこの社会ですが、マジョリティはマイノリティを理解できないという話をよく聞きます。

でも、私はマジョリティって本当にあるのだろうか…??と考えています。

よく私の母も「ふつうはこう考えるものよ」と話していたんですよね。けれど子どもの頃からそれが不思議で仕方なかったんです。立場や状況が違えば考え方はみんな違うんじゃない?と思っていたから。でも、子どもの頃はそういうものが正しいのだろうと思い込もうとしていたように思います。だって何も知らない子どもの私より大人の方が正しいに決まってるって思っていたから。でも大人になって気がついた。大人の私も何も知らないって…爆笑



マジョリティだという人が語る「ふつう」はみんな同じだと考えがちですが、でも、本当にみんな同じなのでしょうか?

大人になってから気づいたことは、出会った人たちとじっくり話していると、全く同意見の人はどこにもいなかったということ。


みんなそれぞれ自分の基準やこだわりがあり、その根拠を「ふつう」に求めている人が多いと感じます。「ふつう〇〇だよね〜」と言えば、本質を考えなくても済みますからね。みんなが賛成してくれることで安心したい。だからみんなと違う意見を持つことに抵抗感も強くなっていく…

みんな「空気を読みながら生きる」ことが「ふつう」になってしまっているのではないでしょうか?



だから私は「マジョリティ」は幻想じゃないか、と常々考えています。自分の意見を他の人に伝えることが、裸を見られるのと同じくらい恥ずかしいと感じる人も増えているのかもしれません。だから自分の気持ちはいつも飲み込む。



マジョリティはマイノリティを理解できないってなんか変なんです。だってこの世界に同じ人間は二人といないのに、なぜ自分以外の人が同じだと思えるのでしょうか?そして「ふつう」と違う人が間違っているといいきれるのでしょうか?

みんな本当にマイノリティを理解できないのでしょうか?自分の中のマイノリティに気づけていないだけなのではないでしょうか?

私は私の中のマイノリティにはとても敏感だったことが私の人生や子育てにとても役に立っているように思います。



みんな人と違う部分がある。マジョリティは本当の自分を「知らない」「気づかない」人のこと。だからマジョリティは幻想。

気づけばきっと人生が楽しくなる花束



最近そんな風に考えています。




発達障害と言われる人たちはその違いがはっきりとしています。けれど、その違いって意外と自分の中にもあるものです。そこを知ることで、自分らしさに気づけると思うのです。それがとても大切だと思います。


熱心な教育が行われている割に残念ながら、子ども時代に「自分らしさ」を学ぶ時間はほとんどありません。それなのに、社会の担い手育成のために「道徳」を教えられることに私はとても違和感があります。

まずは「私は私」を確立することこそ義務教育の意味だと思うのです。



自閉症を知るって、多分そういうことなんだと思います。みんなスペクトラム(連続体)そして発達は多様性。

余談ですが、発達の多様性は今、私が学んでいることです。発達障害を支援するのではなく、全ての子どもたちの発達を支えたい!!そんなことを学びの主軸にしています。




だから私は自閉症啓発デーや発達障害啓発週間は癒しの青じゃなくて虹色虹にしてほしい。みんな自分の中ににじ色があり、それがステキなんだと知ってほしい。



ついでに言うと「みんなちがって、みんないい」という言葉もあまり好きじゃありません。金子みすゞさんのこの詩はスッと入ってくるのですが、会話の中に出てくる「いい」という言葉がどうしても他者の評価になってしまう気がして。

評価されると励みにもなりますが、足を引っ張ることの方が多いと感じます。それはそれで共感を否定してしまうことにも通じているようで。私は苦しくなる。

(子どもたちにも評価するより感謝を伝えたい)

私の中では「みんな違うから世界はステキキラキラ



「自閉症」を知ることは自分の中の本当の自分に出会うことだと思うのです。だから知ってほしい。自分を大切にすることができれば、自分以外の人も大切にできるはず。自閉症を知らなくてもみんなで生きていける。そうしたら様々な悲しい事件は起きなくて済むようになるのでは?と私は考えています。

自分一人だけで「しあわせ」は手に入れられません。周りと共に築いていくものですから。



大切なことは


This  is  me



だからね。ぷれジョブ®︎を始めたいと思っているのです。受け入れ先やサポーターさんをまだまだ募集中。苦戦してます泣き笑い





でも、ただ待っているだけではもったいない❗️ってことでニュースレターを作っています。

欲しい方はお渡ししますので、ご連絡ください。


tsurumi.de.purejob⭐︎gmail.com

⭐︎を@に変えてメールをくださればお返事します。


さ、ら、にキラキラ

また面白いこと思いついちゃった爆笑

まだ発表するほどまとまっていませんが、急いで企画をまとめたいと思いますウインク


テーマは「出会いの場」を作る



楽しそうでしょキューン!?ラブ具体的に決まったらこちらのブログでもお知らせさせてくださいルンルン