うちの子どもたちは世間で言えば落ちこぼれ。

落ちこぼれは特別支援教育を受けなさいと別の教室別の学校に分けられる。みんな同じように学ばなくてはいけないから。そんなことを進めてきたしまったゆえに起きている弊害が、落ちこぼれとは真逆の"でき過ぎる"子どもも学校に居場所が無くなってしまっている現実。
最近はでき過ぎる子は「浮こぼれ」と言うらしい。


「普通」の子どもしか受け入れない学校なんて、ダイバーシティを目指す社会でそのうち誰もいかなくなるのでは!?プンプン


平均の発達曲線に執着しすぎて、そこからはみ出る子たちのことが見えず、教育の本質を忘れていないか…と思う。


当たり前はみんな違うのに、大人は同じ価値観を押し付けたがる。それは、ぎゅうぎゅうの四角いスーツケースに収めようとすると言う表現がぴったりだと思う。そんな教育は全ての子どもたちへの虐待だと思う。


生きづらい子どもたちが増え、子どもを守ろうとする大人も増えてきてはいるが、それはまだまだ少数派。でもそれは大きな希望で、社会も少しずつ変化はしてきている。辛ければ逃げてもいいよ(平たく言い過ぎ?チュー)と文科省も認めたけれど、でもまだそれでは解決しないと思う。大人優位で子どもが後回しにされているとしか思えない。優先すべきはそうなる前にまず、辛くならない環境を用意するのが大人の役目じゃないのだろうか…
どんな子でも私たちは受け止めると社会全体で覚悟なくして教育は変わらない。


学校をスーツケースから風呂敷に


私が忘れられない、木村泰子さんの言葉です。


私たちはみんな同じように成長発達しなくちゃいけないって教えられてきた。できない子は別のところでその子なりに育てればいい、そんな考え方しか知らない。


自分だって辛いこと、苦しいことはいっぱいあっただろうに、それを乗り越えたことが自分のプライドになったのか、或い上手に忘れらことができ、喉元過ぎて記憶にはないのかもしれない…
(けれど心のどこかに澱のように沈み込んで影を落としているのではないかと思う。)
ちなみに私は大事なことは簡単に忘れるのに、忘れた方がいいことはずっと自分の中に渦巻いていて、それが自分を苦しめる。けれど歳をとったからか、いや、多分子どもたちがそんなこと大したことじゃないよって教えてくれたんだと思う。記憶が消えなくても、辛さを感じずに済むようになってきた。
子どもたちが私を育て直してくれたのだと思う。


余談だけど忘れるって大切なことだと思う。嫌なことを忘れられるから人は前を向いて歩んでいける。そらやたからを見ても辛い記憶の積み重ねでパニックを起こしたり、しんどいだろうと思うことはたくさんある。忘れたくても忘れられないその苦しみを周りがもっと理解してくれたらと思う。


普通と言われる大人たちは、自分がそう育ってきたから次の世代もそう育てなくてはって思い込んでいる。でも、きっとそれは私たち大人が知らないことが問題なんだよね。


もっと多様な子どもについて知らなくてはいけないことがいっぱいある。学ぶべきは大人だよね。#学び直し#巻き戻し


さあ、一緒に学びましょ😊


#ハートネットTV
「"浮こぼれ"た子どもたちの悩み」
11/30と12/1放送ですって!
(翌週再放送もあり)