行進って、スヌーピー的なんだよなあ。なんでだろ。どうしてスヌーピーのにんげんたちは、みんなたびたび行進するのかなあ。バス停でみんなに列になって待ってたりもするし、ウッドストックたちも行進してた。わたしは行進の後ろのほうをひととはなしながら、ときどきなにかおかしそうにしながら、あるくのがすきなんですよね。「やめてくれよ、そんなおかしい話、行進に遅れてしまうよ」 でも行進はつづいている。なつかしいひとややさしいひとやわかれたひともまじっている。遅れないよう、ときどきはしんけんな顔で、ついてゆく。
「なんとなく人に生まれてきて炬燵/西原天気」『はがきハイク』23号、2022年1月。天気さんには「たぶん春うどんのごとく眠りこけ」という句もあるんだけど、こんなふうに、「なんとなく」や「たぶん」が表現としてうまく使えたらなあと思う。手紙を書くときに「たぶん」とか「なんとなく」をいちばん使いたいことばだ。たぶん、なんとなく、あなたにはなしたいことがあって、てがみを書いています。なんとなく、たぶん、このてがみは、はじまります。