二葉亭四迷『浮雲』第二編以後では、「作者」(語り手)が消える。
《第一編ではもっぱら外側から主人公を観察するのみであった作者は、第二編、第三編ではしだいに有形の語り手としての姿を消し、そのかわりに主人公の内面深く入り込んでいくのである。》
ここに、ようやく「三人称客観描写」に近いものが実現される。
『浮雲』が日本最初の近代小説と呼ばれるのは、そのためである。
しかし、二葉亭四迷はその後書くことを放棄した。
『浮雲』とほぼ同じ時期に、森鴎外は『舞姫』を書いている。
ここでは語り手が主人公である。
野口武彦がいうように、「一人称の人物が小説の主人公になりうるという発見」は、「明治二十年前後の文学状況の問題として、またひろく西洋小説がわが国にもたらした新鮮な刺激の一つである」。
二葉亭四迷によって翻訳され影響を与えたツルゲーネフの作品も、すべて一人称で書かれている。
しかし、鴎外の場合、それは三人称には至らなかった。
以来鴎外は、漱石の出現に対して「技癢を感じ」(『ヰタ・セクスアリス』)て書きはじめるまで、十八年ほど小説を書かなかった。
一人称から三人称への移行には、ある決定的な飛躍があるといわねばならない。

    柄谷行人『増補 漱石論集成』