「M-1グランプリ」「アメトーーク」「爆笑レッドカーペット」。これらの番組の特徴は二つあります。
第一に無名に近い若手芸人から中堅どころまでが大量に出演する番組であること、第二にそれぞれがきわめて個性的なルールを持った「ゲーム」のような番組であることでしょう。
ビートたけしや松本人志のようなビッグネームにはなれていない若手芸人たちが、この番組=ゲームをプレイすることで、潜在力が発揮されて魅力的に映り、視聴者の心をとらえていく、という仕組みになっている。
このとき「面白さ」は確実に芸人の内面には半分しか宿っていない。
残り半分は個性的な番組=ゲームのルールにある。
そして芸人たちはそのゲームをいかに攻略したか、あるいはルールの裏をかいて別のゲームにつくり変えていったかが、問われる。
このとき重要なことが二つあります。
第一に、ここでは完全に時代ごとのカリスマ芸人が体現する「物語」が失効している。
第二に、この「ゲーム化」は明らかに情報の完結性を「下げる」ことで成立しているもの、つまりテレビが映画ではなく、インターネットの側に傾くことで成立していることです。

     宇野常寛『希望論』