次のことが分かる。
すなわち、
(1)あんぱんまんを食べるとき、人は暗がりのなかか、あるいは影のなかにいる。
(2)あんぱんまんを食べるとき、あんぱんまんと食べる人との視線が交わることはない。
(3)あんぱんまんを食べるとき、あんぱんまんにかじりつく当の瞬間が描写されることはない。
つまり、逆説的なことだが、「自らの顔を食べよ」と命じるあんぱんまんのエピソードには、「他者の顔を食べることの不可能性」が描かれているのだ。
わたしたちが人の顔を食べることができるとしても、それは、ただ闇のなかで、食べられる者の顔と視線を合わせることなく、しかも決定的瞬間を回避することによってのみ可能なのではないか。

   大橋完太郎「かくも味わい深き他者の顔ー『あんぱんまん』試論」『ユリイカ2013/8臨時増刊』