いまは、何も、わからない。


いや、笠井さんの場合、何もわからないと、


そう言ってしまっても、ウソなのである。


ひとつ、わかっている。


一寸さきは闇だということだけが、


わかっている。あとは、もう、何もわからない。


ふっと気がついたら、そのような五里霧中の、


山なのか、野原なのか、街頭なのか、


それさえ何もわからない、


ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ、


とにかく、これは進まなければならぬ。


一寸さきだけは、わかっている。


油断なく、そろっと進む、けれども何もわからない。


負けずに、つっぱって、また一寸そろっと進む。


何もわからない。


恐怖を追い払い追い払い、


無理に、荒んだ身振りで、


また一寸、ここは、いったいどこだろう、


なんの物音もない。そのような、


無限に静寂な、真暗闇に、


笠井さんは、いた。




進まなければならぬ。


何もわかっていなくても絶えず、


一寸でも、五分でも、身を動かし、


進まなければならぬ。


腕をこまぬいて頭を垂れ、


ぼんやり佇んでいようものなら、


――一瞬間でも、懐疑と倦怠に身を任せようものなら、


――たちまち玄翁で頭をぐゎんとやられて、


周囲の殺気は一時に押し寄せ、


笠井さんのからだは、


みるみる蜂の巣になるだろう。


笠井さんには、そう思われて仕方がない。


それゆえ、笠井さんは油断をせず、


つっぱって、そろ、そろ、


一寸ずつ真の闇の中を、油汗流して進むのである。


十日、三月、一年、二年、


ただ、そのようにして笠井さんは進んだ。


まっくら闇に生きていた。


進まなければならぬ。


死ぬのが、いやなら進まなければならぬ。


ナンセンスに似ていた。


笠井さんも、さすがに、もう、いやになった。


八方ふさがり、と言ってしまうと、


これもウソなのである。


進める。生きておれる。


真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。


一寸だけ、進む。危険はない。


一寸ずつ進んでいるぶんには、間違いないのだ。


これは、絶対に確実のように思われる。


けれども、――どうにも、この相も変らぬ、


無際限の暗黒一色の風景は、どうしたことか。


絶対に、ああ、ちりほどの変化も無い。


光は勿論、嵐さえ、無い。


笠井さんは、闇の中で、手さぐり手さぐり、


一寸ずつ、いも虫の如く進んでいるうちに、


静かに狂気を意識した。


これは、ならぬ。


これは、ひょっとしたら、


断頭台への一本道なのではあるまいか。


こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、


いつとはなしに自滅する酸鼻の谷なのではあるまいか。


ああ、声あげて叫ぼうか。


けれども、むざんのことには、


笠井さん、あまりの久しい卑屈により、


自身の言葉を忘れてしまった。


叫びの声が、出ないのである。


ってみようか。殺されたって、いい。


人は、なぜ生きていなければ、ならないのか。


そんな素朴の命題も、ふいと思い出されて、


いまは、この闇の中の一寸歩きに、


ほとほと根も尽き果て、


五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た。


この脱走が、間違っていたら、殺してくれ。


殺されても、私は、微笑んでいるだろう。


いま、ここで忍従の鎖を断ち切り、


それがために、どんな悲惨の地獄に落ちても、


私は後悔しないだろう。だめなのだ。


もう、これ以上、私は自身を卑屈にできない。自由!




そうして、笠井さんは、旅に出た。





          太宰治「八十八夜」