古畑任三郎や王様のレストランを作曲した本間勇輔によるもの。
こどものころ、このイボの質感がすえおろしかったが、
お~い、はに丸くんやごんたくんをみなおしてると、
もしくはデートでスタジオパークにいったときに
わたしはぽろりやじゃじゃ丸をじっくりみてきたのだが、
間近でみるとすさまざじくモノモノしくおそろしいものであった。
CGにできないのは、この非・予測的な不調和のリアルさである。
これはあくまで、モノ自体なのである。
CGはあくまでモノではない。イメージだ。
たとえば、深夜深更じゃじゃ丸やピッコロが
あのNHKでたたずんでいると思うと
わたしはおそろしくてならない。
CGに魂はやどらないが、モノにはたましいが宿る。
しかし、それは同時に幼児期の楽園(パラダイス)でもあったはずなのだが。