美登利は、風俗に身売りしなきゃいかんわけですよね。
で、それがみどりにとって「オトナ」になることなんですよね。
で、すくなくとも女性にとってオトナになるってことが
そういう時代があって、それにたいして
そういう時代のコードやジェンダー規範に対して
「いやだ」って美登利はいってる。
友達から、買われたりもするわけですよ。
16歳の長吉はさっそく買って、
ゆうゆうと朝帰りしてますからね。ふんっ。

文学史って思えば
「いやだ」の歴史でもあるんですよね。
社会や家族や歴史や支配的コードやジェンダーや政治やレース(人種)
もろもろに対して「いやだ」っていう。
「いやだ」から、はじまる。
「いきるのが、いやだ」とかね。
「こきつかわれるのがいやだ」はプロレタリア文学だし、
「こんな醜悪な変態の自分がいやだ」だったら自然主義文学だし。
でも、現代になると
「いやだ」よりも「わからない」(村上春樹)になる。
対抗して響くのが弱くなってるんですよね。
なんでもありだから「やれやれ」っていうしか
ないんですよ。

一葉日記読むと、一葉って
かなりしたたかな一面があるんですよ。
でも、好きなひと(なからいとうすい)の前で
くちがかわいたりしてとっても緊張してる
そういう面もある。
文学散歩で吉原にいったんですよ。
教授もふくめてね。
で、やっぱりソープの客引きが
すごいんですよね。
でも、あそこにすくなくとも
一葉の文学も「いやだ」も根付いていたわけですよね。
いまだってソープ嬢のおねえさんは
おなじようなメンタリティをかかえているかもしれない。
ブログっていう表象モードができて
風俗嬢のひとたちがみずからを加工して
表現できるようになったけれども
根は「たけくらべ」にあるのかもしれないですよね。

トリックスターとしての
三五郎の役割も
興味深いですよね。というか近代文学において
もっとも典型的なトリックスターなんじゃないかって
思ったりもします。



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