猿だ。猿の笑顔だ。


「私」は

写真の葉蔵の笑顔をみて、

それを「皺」の融合=織物だと

異化している。


『人間失格』の通奏低音として、

ひとが「あたりまえ」にしていることを

恐怖とみなしたり、偽善だとみなすという

「異化作用」がある。

猫が人間界に対して、

異和のある視線を投げかけるのと

それは、似ている。


頬笑みをみて、

それを「笑顔」ととらえるか「しわの集合」

ととらえるかは「視線」次第である。

そのひとが、どこに身をおいているか

というよりは、

どこに身をおきたいのか

にかかっている。


もちろん、「私」にそう読み取らせているのは

葉蔵の「ぎゅっとにぎりしめたこぶし」という

指標であるのだが、

それを「矛盾」に止揚させるのも

「私」の視線であり、戦略だ。


あんがいに

「私」と「葉蔵」のメンタリティは

同質なのかもしれない。


メンタリティとは、

視線のことなのだろうか。


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