リンウッド・テラスの心霊フィルム―大槻ケンヂ詩集 (角川文庫―ニュースタンダード・コレクション)
オーケンが高校時代の青春だなんて、そんな俺はまるで高木ブーのやうだよ
読了日:07月10日 著者:大槻 ケンヂ
綿の国星 (第1巻) (白泉社文庫)
やわらかいタッチの絵に、ハードな物語内容。それが、大島のウリ。
読了日:07月10日 著者:大島 弓子
黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)
憂鬱と恐怖が結びつくとゴシックになる。ということで、日本には怪談はあったけどゴシックホラーがなかったんだなあ
読了日:07月10日 著者:エドガー・アラン ポー
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
大学を卒業するまでには読まないとおそらくは読んでも「読めない」と思う。ニザンの「アデン・アラビア」やヴィアンの「日々の泡」とおなじやうな期間限定ものだ
読了日:07月10日 著者:J.D.サリンジャー
溺レる (文春文庫)
鏡花や賢治など独特の語り口によって近代文学史をこじあけ、ゆさぶりをかけてきた人間がいるが、川上もそのひとり。「溺れる」「蛇を踏む」「はなさない」など、川上のタイトルは「動態」をはらんでおり、現在形である。これは、口語的な語り口を含むと同時に物語が固定化されることなく、むしろ、流動化したゆたいつづけることの端的な象徴としている。サクラさんの「おしっこ」のやうに物語もあちらこちらから漏れては流水し、思わぬ逃走線を、近代に対しては闘争線をかたちづくっていく。
読了日:07月10日 著者:川上 弘美
家守綺譚 (新潮文庫)
ひとつ大事なことをいいわすれた。NHKがつくったラジオドラマ「家守」があまりによくできているので絶対に聞くべし。これを聴かずして他人の家が守れようか
読了日:07月10日 著者:梨木 香歩
晩年 (新潮文庫)
太宰の死を神話化しすぎて、ジェンダー的に非対称な「女性たち」の死を忘却しないやうに。この『晩年』という書物、じつは死のジェンダーにまつわるポリティックなディスクールでもあるのだ。です・でぃすくーる。
読了日:07月10日 著者:太宰 治
グッド・バイ (新潮文庫)
太宰はそのはじめから「さやうなら」をつづりながら(『晩年』)、ついぞ「さやうなら」が一生涯いへないひとだった(「グッド・バイ」)。つまり、グッド・バイといいつづけながらも、グッド・バイをいうことが果たせなかったきわめてまれな文学者なのだ。以後、太宰の死は賭金となり、太宰の死をわがものにしようとする「大きな死の物語」の時代がはじまる。読解はすべて彼の死の解釈に向けられ、言語の豊饒さは語り落とされることとなった。太宰研究は漱石研究にくらべて、10年は遅れをとっている
読了日:07月10日 著者:太宰 治
家守綺譚 (新潮文庫)
親友の家=他者の自我を守るということ。それは、主人公の綿貫にとって、彼自らの意味回路を切り拓く契機になるともいえる。<他者>の自我を守るということは、自らの自我を宙吊りにすることを意味している。自らの自我を保留にすることによって、今まで訪れることのなかったような新たな他者が綿貫のもとを訪れることとなる。それが俗の領域に住まう隣のおかみさんや聖でいながら同時に俗でもある坊さんなどだ。新たな他者が訪れることで、綿貫はみずからのかたくなな自我をみつめなおし、他者を思いやるという経験を何度となく遂行させられる。
読了日:07月10日 著者:梨木 香歩
百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
マジックリアリズムとは、日常がそのまま地続きで幻想に移行していくことであり、幻想がそのまま日常と地続きであることの謂いである。ラテアメはゆきすぎた政治が幻想になるという特殊な風土をもっており、おそらくその臭みから抜け出したのは図書館にこもったボルヘスぐらいだらうと思う。ちなみに俺はこれより族長の秋の方がマルケスらしくて悪辣で語りもめまぐるしくて好き
読了日:07月10日 著者:ガブリエル ガルシア=マルケス
世界悪女物語 (河出文庫 121B)
澁澤って仏語なれしているせいで実はそんなに日本語の文章が美麗ではない。だからけっこう文章がすんなり頭にはいってこなかったりする。文章全体から発するオーラは種村をしのぐ唯一無二のもんがあるけど。種村のオーラって陰気なんだよな。フランスとドイツのちがいだけどな笑
読了日:07月10日 著者:澁澤 龍彦
幽・遊・白書 全19巻セット (ジャンプコミックス)
ドラゴンボールともダイの大冒険ともちがって、あっさり・クール・ドライなのが好きでした。ジャンプで唯一「熱血」がなかったマンガ。えっ?アウターゾーン?なんですかそれ?
読了日:07月09日 著者:冨樫 義博
女の人差し指 (文春文庫 (277‐6))
読了日:07月09日 著者:向田 邦子
そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
ミステリと精神分析って非常に似かよっているんですが、これも抑圧していたものを暴力的に昇華していく物語ともいえなくもないです。カウンセリングっていうのはこんな風に「誰もいなくなった」状態にすることなんですね。でも、こんな風に痛みも暴力もともなうんです
読了日:07月09日 著者:アガサ クリスティー
スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
クリスティ・ミステリと余暇とブルジョワと戦争とジェンダーの関係について誰か論じてくんねえかな。ヘイスティングスって結婚もできないし、戦争傷痍軍人っていう西欧近代男性規範からも逸脱してしまったっていう点で興味深いんだけど、ポワロはそこにナショナリティからの逸脱も加わるからね。西欧社会にとっては異人にほかならないんだよね。最近のポワロドラマはそこんとこ、さすがによく描いてるけどね。
読了日:07月09日 著者:アガサ クリスティー
ツァラトゥストラ (中公文庫)
このひと、理論家ではない。理論だててものをいおうとしたことなどいちどもない。アジテーターでありつづけたのだ。だからこそ、このひとは勇気もくれるし、いまだにラディカルでありつづけるんである。
読了日:07月09日 著者:ニーチェ,手塚 富雄
禅とは何か (角川文庫ソフィア)
禅って英語で理解するとわかりやすくなる。「悟り」は awaken.禅的なありかたは、as it is.おそらく、そういったことに大拙はとても自覚的だった
読了日:07月09日 著者:鈴木 大拙
ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)
精神分析とドッペルゲンガーの出現は時期を同じくする。梶井基次郎も芥川もドッペルゲンガーを描いているが、ドッペルゲンガーとは主体のいいようもない危機の隠喩なのである。
読了日:07月09日 著者:R.L. スティーヴンスン,R.L. Stevenson,Robert Louis Stevenson
ダブリンの市民 (岩波文庫)
「死者たち」を映画化した、ジョン・シューストンの『ザ・デッド』は絶対にみることをおすすめする。映画が原作を超越した非常にマレな例。文学を映像化できたのは、映画史的においておそらくこれのみといっても過言ではない。
読了日:07月09日 著者:ジョイス
ダブリナーズ (新潮文庫)
領略していたはずの妻が、かつてはひとりの男に熱情を注いでいたということを知るとき、夫は他者である妻を前にしてはじめて彼女への愛を試される。自己と他者、生者と死者の境界線を溶解するようにアイルランドに雪がふりしきる。
読了日:07月09日 著者:ジェイムズ ジョイス
占星術殺人事件 (講談社文庫)
まだこのときは社会派でもなかった。御手洗にイデオローグを背負わせて社会派になる前の石岡君もいきいきとしていた頃の話。
読了日:07月09日 著者:島田 荘司
走れメロス (新潮文庫)
あの寺山修司さへも「友情」の物語として読んでいたが、さうではなくいかにして教科書的な支配的エンコーディングから脱デコーディングしていくかが大事。その際は、王がどのやうに二人の友情に参入し、市民をみずからのポリティクスにてなづけていくかに注意をはらおう
読了日:07月09日 著者:太宰 治
道草 (角川文庫)
漱石が「自然主義」に手を出すってことは、物自体(カント)=現実界(ラカン)=不気味な他者=ぶよぶよした肉塊の赤ん坊と相対することである。その意味において精神分析的。ちなみに柄谷行人がテクストとしての「道草」を発見した、と俺は思う。
読了日:07月09日 著者:夏目 漱石
行人 (角川文庫)
近代知によってはざかいにたたずみ出口なしの状態となった一郎が、最後にぐうぐう寝るという赤裸々な身体的暴挙に出たのが大事。しかも、ここではその身体を観察され、記述され、文字化されるということも大事。近代のゆきづまった身体のありやうは容赦なくこの幸福と不幸のはざかいにある。そして、その身体論的地平においてカフカの『城』の眠れないKの身体と共鳴しあうのがまた漱石テクストの力技。
読了日:07月09日 著者:夏目 漱石
吾輩は猫である (新潮文庫)
語り手が「人間」でもなく「わたし」でもないということはとてつもなく重要。つまり、それは「人間」が語り手である近代小説批判であり、透明な語り手をねつ造してやまない自然主義小説への異化作業なのである。でも、その猫もラストには死なざるをえないというのは注意しておくべき。一応、ボルヘスの「記憶のひと、フネス」との連絡ができる。
読了日:07月09日 著者:夏目 漱石
注文の多い料理店 (角川文庫クラシックス)
命を喰うならみずからの命もつねに・すでに提出されている必要があるというラディカル・エコロジストの賢治がいかんなく発揮
読了日:07月09日 著者:宮沢 賢治
吾輩は猫である (角川文庫)
前田愛の吾輩はネコ論を読むといかにこの物語が悲しみにみちているかがわかる。小森陽一の日露戦争時のメディア論として無名の猫が無名のままに有名になっていくという話は
読了日:07月09日 著者:夏目 漱石
江戸百夢―近世図像学の楽しみ
読了日:07月09日 著者:田中 優子
津軽 (新潮文庫)
文学者にとっていかに故郷を戦略的にことばでつむいでいくかは非常に重要な作業。なんでかっていうとそこにこそ「作家主体」たりものの核が見え隠れするから。ある意味、無意識を言語化する作業でもある。で、このひとの場合、それは実の母親を他者化すると同時に、乳母という他者を母親化していくことだった
読了日:07月09日 著者:太宰 治
マイブック―2009年の記録 (新潮文庫 ん 70-11)
読了日:07月09日 著者:
パルタイ (新潮文庫)
女性が書くと「ムルソー」は政治化するんですね。たしかにカミュのあの「異邦人」には政治意識が欠落していました。倉橋からカミュへのコメント返信といってもいいか。
読了日:07月09日 著者:倉橋 由美子
陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)
これって京極夏彦自身による京極批判だと思うんですよ笑。テクストのなかに生きてるのはほかならぬ彼なんですから。関口たつみはテキスト論からテクスト論へ京極とともに移行することによって少しずつ救われてきたひとなんですね。だから、すさまじいほどにテキスト主義者の伯爵の痛切な苦しみがわかったと思います。ヒント:テキスト(一義性)、テクスト(多義性)
読了日:07月09日 著者:京極 夏彦
邪魅の雫 (講談社ノベルス)
感想みてたらあまりに評判が悪いんで(それこそ、じゃみの雫だよ)、フォローを。これ、警察批判なんですよね。「事件」を一義的にとらえることによっていかに様々なことが見失われてしまうかっていうラベリングへの危惧なんですよ。そもそも、妖怪が江戸時代に画図百鬼夜行としてラベリングされたときに一義化されて、妖怪の豊饒さが死んだんですよね。だから、これって現代メディア批判であると同時に妖怪挽歌でもあるんですよ。妖怪メディア論でもあるっつうことですね。あともひとつは、ケータイ小説の短絡的かつ直情的なセカイ系批判でもあると
読了日:07月09日 著者:京極 夏彦
邪魅の雫 (講談社ノベルス)
レンガ本ってよくいわれてるけど、この本の厚みって内面の厚みなんだよね。くどいぐらいに迂回して饒舌に語るでしょ。だから、手に取るようにわかるんですよ。そのひとの葛藤のプロセスがね。でもね、だんだん食傷気味になってくるね。またこの迂回のプロセスかと思ってね。基本的に構造としてカウンセリングと似てるんだと思う。まあ、ミステリって多かれ少なかれそうなんだけどさ
読了日:07月09日 著者:京極 夏彦
もものかんづめ (集英社文庫)
作文はこういう風に書くべきなんだ。つまんない運動会や修学旅行の話なんかしなくてもおもしろいことってそこらへんにあるんだよ、あなたが視線をずらしさえすれば
読了日:07月09日 著者:さくら ももこ
ももこの話 (集英社文庫)
ブックオフでリインカネーションを永劫つづけるであろうももこエッセイシリーズ。100円でこれだけたらふく笑えるなんてそうそうできませんぜ
読了日:07月09日 著者:さくら ももこ