ワンマン・ショー/倉持 裕
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★★★★★

実存主義は、
わたしという存在の主体性を
勝ち取っていく一方で、
何かがあるということが、
やけにモノモノしくなっていき、
しまいには吐き気がするほどに
不気味なもの、
得体の知れないnindescriptものに
なりうるのだということを、
つまりは、そういったガサガサする存在の
圧倒的不気味さを
逆説的にえがきだしました。


『ワンマン・ショー』では、
無いもの、誰でもないものが
俄然としてあることの不気味さ、
が定点となっています。


いま・ここにいる、
ということそのものが、
何かが圧倒的に欠如し、
私自身も私自身ではないのだ、
ということを立証するという
仕組みになっています。


舞台の最後に、
懸賞ハガキが充密した
ダンボール箱のなかから
這い出してくるのは、
これまでの登場人物たちであり、
その懸賞ハガキを
執拗に書き続けていた主人公自身でもあります。
今までの舞台は、
その段ボール箱のなかに
ミニチュアのように詰まっていたわけで、
そのミニチュアのなかでも
主人公はおそらく偏執的にハガキを
書き続けています。


舞台の臨界点がなく、
その段ボール箱ひとつから、
妻のよだれのように液状に世界が染み出し、
漏れている。
だからこそ、逆説的に、
緑川緑の、<決定>することへの過剰な執着が
響いてきます。
決定する審級をもたない世界のなかで、
彼女は他者からの決定と承認を
いびつなまでに求めようとします。
誰でもないもの、何も無いものであることが
自分自身がいま・ここにあることを
決定しようとしている驚怖は
舞台が進むにつれ、充満していき、
最終的に物語が行き着いた先は、
イェローさんの身体が四散していく
モノ自体が分解し、
拡散していく風景です。


こういう世界観は、
オースターのニューヨーク三部作や
コーエン兄弟の
『バートン・フィンク』『バーバー』にも
つながっていく風景ですが、
こういった物語の最後には
いつも決まって、
破壊や破滅、暴力が
つねに控えているというのは
興味深いところです。
何ひとつ決定されることなく、
何も無いものが、
みっちりと詰まっていくなかで、
モノだけがほころび、
消失していきます。


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