五つ星★★★★★
現代小説の特徴のひとつとして
物語がはじまらない、というものがあると思います。
物語が起こらなかったり、はじまらないこと、
それそのものが物語となるのです。
それはひとつの大きな幹をなしえず、
根のように地中をはいつくし、分裂し、どこかに
かききえていくような物語です。
ボルヘスなども物語がこれだけ無数にあるというのに
いまさら何を書くというのか、という観点を逆手にとって
伝奇集を組み立てのだと思います。
ベケットの「ゴドー」は
「やるべきことなんてなんにもない」が吐きだされてはじまる舞台劇です。
「やるべきことなんてなんにもない」のにはじまってしまうのです。
二人の浮浪者(博士号をとっている可能性あり)が
ゴドーを待っています。でも、ゴドーは来ません。
しかし、ゴドーはやってくる、といいます。
だけど、ゴドーは来ません。
こまかな差異をまきちらしながら同じことが反復されます。
やるべきことはわかっているのに、
やるべきことがなにも
できない。
ただし、ただ哀しみに満ちているというわけではありません。
悲哀が滑稽と共生していることです。
舞台上演では客の笑いがたえません。
客が笑い、待ち人は来ず、
舞台の一本の木だけが変化をみせる。
木だけが生きています。