20181103

清々しいよね~♪











 

20240601

 

とないものねだりの山

 

ホップ・ステップ・ジャンプ・勝本湾

昔はホップ・勝本湾だった町で育てばほぼ山を知らない。

そう言えば裏の二階で竿垂れて釣りやったことあったなw

ここは通過点で国道471号線で氷見(富山県)に行く予定が左前タイヤがバースト。

「あ~れ~」状態で左側に激突、跳ね返され車道真ん中で停車。

3台目の廃車。

皆さん、親切なのはありがたいのだが「このままの状態で」と「車を動かそう」派で論争

いやいやハンドルとシートに押しつぶされそうで痛いのは僕なんですが💦

救急車で松本市民病院へ搬送

意識あり

病院で検査

異常なしだがくたくた。

 

朝、目が覚めて売店を物色。

ほぼ、何もない💦

iPhoneのバッテリーが怪しい

 

先生は「ゆっくりしてっていいよ」

ありがたい申し出だが既にスマホ民族と化していた。

早々に退院。

松本市立病院・徒歩→松本電鉄・下島駅→JR松本駅→JR八王子駅→JR東京駅→JR銚子駅

着の身着のままというか、Tシャツとショートパンツ

持ち物は財布とiPhoneと煙草

市立病院が市町村合併の弊害?で都市部じゃない。

銚子に着いたときにはホッとした以外の感情はなし(笑)

 

でも、もう一度行きたいと思う自分がわからない。

 

【病院の窓から】



道の駅風穴の里
道の駅風穴の里(みちのえき ふうけつのさと)は、長野県松本市にある国道158号の道の駅である。

施設
駐車場
普通車:32台
大型車:10台
身障者用:2台
トイレ
男:大 5器(2器)、小 11器(7器)
女:19器(14器)
身障者用:2器(1器)
※()内は、24時間利用可能
公衆電話
物産品販売所(9:00 - 17:00)
情報コーナー
風穴
食堂(9:00 - 16:00)
休館日
毎週木曜日(11月中旬 - 4月中旬)

名前の由来
北アルプスの地下水から起こる冷風がガラ場を通過して地上に出る所(風穴)がこの地区には多く存在する。明治時代は天然の冷蔵庫として蚕種(蚕卵)の貯蔵庫として全国各地より委託を受けていた。

アクセス
国道158号 - 登録路線
アルピコ交通上高地線新島々駅より上高地・乗鞍高原・白骨温泉方面行きバスで約15分、「水殿ダム」下車すぐ。

周辺
松本市安曇資料館(松本市立博物館附属施設)
水殿ダム・ふれあいダム広場
 

 

20240531

長野県、岐阜、北陸三県の観光地としての素晴らしさは行かないと想像できないと感じた。

特に九州に生まれ育つと。

金沢を加賀百万石と称するだけじゃなく。

松本市役所を訪れた時、都市伝説なのか疑ってた「松本市と長野市は仲が悪い」を感じた。

これは後々、知り合った須坂市の方から教えて頂いたが同じ日に祭りをぶつけるらしい。
 

松本城の素晴らしさ。

城には行っても城址には行かない、と僕は思ってる。

やはり、九州を俯瞰して見ると熊本城は必須だと思う。

ニッチな観光と九州という大枠での観光を考えていかないと福岡市一極集中は止まらない。

九州は今、ピンチでありチャンスだと思ってる。

福岡は住みやすい。

それは事実。

それがバブルのような気もする。

必要不可欠なのは、熊本市と北九州市の復活だと思う。

 

【松本市役所】




基本情報
所在地:〒390-1504 長野県松本市安曇3528-1
電話:0263-94-2200
 

 

Official site

 




 

 

 

 

 

 

 




【松本市の概要】
松本市(まつもとし)は、長野県中信地方に位置する市。国際会議観光都市に指定されている。特例市制度廃止に伴う2021年の中核市移行を予定している。

概要
松本城(国宝・国の史跡)
国宝松本城を中心とする旧城下町である。幸いにも戦災を免れたことから、旧開智学校(国宝)などの歴史的建造物が多く残る。他に戦災を免れた中規模の旧城下町としては、金沢市や川越市などがある。
キャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」、「三ガク都(楽都、岳都、学都の三つのガク都。音楽、山岳、学問で有名なため)」などがある。市のマスコットはアルプちゃん。
日本で最も古い小学校のひとつ開智学校の開校、改正高等学校令に基づく全国9番目の官立旧制高等学校である松本高等学校の招致など、教育に熱心な面があった。国立大学法人が1県1学の県に於いて本部が県庁所在地以外に置かれているのは、信州大学の他は弘前大学(青森県弘前市)・滋賀大学(滋賀県彦根市)・広島大学(広島県東広島市)・琉球大学(沖縄県西原町)のみである。
また、小沢征爾ら一流の音楽家が一斉に集う夏のセイジ・オザワ 松本フェスティバルの開催、全国に(一部海外にも)広がるスズキ・メソードや花いっぱい運動の発祥、映画やテレビドラマなどのロケ支援を市が行うなど、文化を尊重する気風は今も健在である。食品ロス削減の取組み「残さず食べよう!30・10(さんまる いちまる)運動」の発祥の地で、「第1回食品ロス削減全国大会」を2017年10月開催予定である。
商業販売額は長野市に次いで県内2位である。県内で工業生産額は安曇野市、上田市に次いで県内で3位であり、県内工業の拠点の1つである。
近年いかに城下町としての景観を守るかが課題になっている。松本市においては2008年4月から「市都市景観条例」が改正され、松本城周辺の建築物の高さ規制が厳しくなることから、マンション建設を前倒しする動きが見られた。これに対し周辺住民の反対意識は強く、既に完成した縄手通りのマンション建設には建設反対運動が起こった。
近代的な駅中心部から市の外側に進むにつれ、昔ながらの田園、果樹園の風景に変わっていく。東側の里山辺を越えると、ワイナリーや温泉街などの観光地が広がり、美ヶ原高原へと続く。

地名の由来
松本市中心部周辺の空中写真。1975年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 。
現在の市名である松本の由来は諸説あるが、通説では武田氏の侵攻により落ち延びたかつての信濃守護職・小笠原長時の三男小笠原貞慶が1582年に旧領を回復した際に「待つ事久しくして本懐を遂ぐ」と述懐し改名したとされる(小笠原氏は長らく信濃府中奪還という本懐を抱いており、それが叶ったことから、待つ本懐を→松本懐→松本 と略され松本となった)。他に、小笠原宗家(府中)が分家(松尾)とのお家騒動に勝利したことを記念したとする説があるが、内訌は約50年前に片付いており、この説は時代的に合わない。「松本」という氏姓は松本市の「松本」地名よりも遥か昔から存在するが相関はなく、松本市に松本氏が多いということはない。市役所等によって「広報まつもと」のようにひらがなで表記されることもある。
また松本市周辺や松本地域は松本平、筑摩(つかま/ちくま)(筑摩野(つかまの/ちくまの)とも)などと呼ばれる。旧県名の筑摩県は、前身の松本町が筑摩郡(1879年以降は東筑摩郡)に属していたことに由来する。
古称
中心市街地は古くは深瀬郷(深志郷)、捧庄(ささげのしょう)または庄内、信濃府中または信府などと呼ばれていた。捧庄、庄内の由来は国衙比定地とされる市東部にあった八条院領の荘園で、現在市内にある本庄、庄内という地名はこの名残であると考えられる。「信府」は国府が置かれたことに由来する「信濃府中」の略称である。 現在、最も知られているのが深志で、太古の松本盆地が湿地帯であったことを示すとされる「深瀬郷」が転訛したものであり、現在でも社名、校名などに使われている。女鳥羽川を挟んで北側が北深志、南側が南深志となる。
外部地域との関係
日本海側水系の地域であるが、大都市への志向は総じて太平洋側の名古屋や東京の両都市への傾斜が大きく、中京圏、首都圏との繋がりが見られる。鉄道でも、中央本線を通じて、両地域からの特急列車が乗入れしている。又、東海3県の私立大学も、松本で地方入試を行うものが多い。
一方で、しなの鉄道線(旧信越本線)沿線や、日本海側との繋がりはさほど強くない。特に、県庁所在地の長野は日本海側とのつながりが深く、風土も同じ県内にある松本よりも日本海側に近い部分が多いため、後述の通りで事あるたびに対立して来た。

地理
松本市は、長野県の中央からやや西の所にあり、県庁所在地の長野市から南西へ75km、名古屋市から北東に190km、東京特別区から西北へ240kmに位置している。2005年の合併後の市域は、西の飛騨山脈(北アルプス、西山、3000m級)から、東の筑摩山地(美ヶ原、東山、2000m級)までと広大であり、長野県内では最も広い(全国の市では20位)。松本市街地(松本駅周辺など)は、2つの山脈(山地)の間にある松本盆地の中央部、複合扇状地上に位置する(標高約600m)。市域は5000万年前は海底にあった。
河川では、上高地方面から流れ出す梓川が市の西部を流れ、奈良井川が市を二分するように横断している。また、市街地には清流である女鳥羽川が横断している。女鳥羽川はもとは現在の大門沢川のルートを流れていたと考えられるが、江戸時代はじめに人工的に流路が変えられ今の姿になった。山では、合併に伴い日本百名山の山が多数松本市に編入され、岳都(学都、楽都とならび松本市のキーワードとなっている)の側面が強くなった。松本市には標高第3位の穂高岳や第5位の槍ヶ岳があるが、市街地からは手前の常念山脈に隠れて見えないため、市民には常念岳や美ヶ原のほうが親しまれている。中部山岳国立公園、八ヶ岳中信高原国定公園が市内にあり、前者には特別天然記念物のライチョウが生息する。また、景勝地の上高地も市内にある。
市内には多数の扇状地が形成されている。また、松本市はフォッサマグナの上にあり、松本盆地東縁に沿う糸魚川静岡構造線が旧市街地の西側を通っている。市内南部の牛伏寺断層も糸魚川静岡構造線を構成する断層の1つとされ、30年以内のマグニチュード6.5以上の地震発生確率が25.21%と全国で最も高い活断層として地震関連のテレビ番組などでもよく紹介されている。2011年6月30日午前8時16分頃、長野県中部を中心とする強い地震が発生し、同市で震度5強を、山形村で震度4を観測した。また、国宝松本城に小さなひびが入るなどの被害が出た。
森林面積は74,000haで、市域全体の約81%を占める。


歴史
松本と長野との対立関係
松本が長野に対してアドバンテージを持っていた時代(政治的には明治維新まで、経済的には大正時代まで)には長野側も対抗意識を持っていたが、政経両面で長野が松本を追い抜いたころから次第に長野側の対抗心は薄れていった。しかしながら、かつて長野市のアンケート調査によれば、県内で移住したい都市の中で松本を挙げる長野市民がもっとも多かったという記録がある(二位は上田市)。
松本と長野は、対東京の有様も対照的である。長野からは北陸新幹線(以前は信越本線)で上野駅や東京駅へ、松本からは中央本線で新宿駅へアクセスしているため、東京都区内での宿泊地や居住地でも異なる様相を呈している。
このような地域間の対立はサッカーにおいても反映され、松本市を本拠地とする松本山雅FCと長野市を本拠地とするAC長野パルセイロの対戦は信州ダービーとして大きな盛り上がりを見せる。
元長野県知事の田中康夫(長野県松本深志高等学校の卒業生)は、「長野県」ではなく「信州」と呼称するが、長野県より信州の方がイメージがよいためとしている。
筑摩県の廃止と対立の始まり
1871年12月31日(明治4年旧暦11月20日)から1876年(明治9年)8月20日の間、国策による合併策(町村分合)によって筑摩県が設置され、松本にはその県庁が置かれた。その後内務省により再編が行われ、信州は1県となる事になった。