20170405

【ペーロン温泉】
はい、スーパー銭湯♨️
ググッたら【あいおい白龍城】と出てくる。
他に探したら39km先、諦めるわな。

細長い駐車場がえらい多いなと思ったんだよね。
750円也😭
早くも天ヶ瀬(100円)が恋しいのです。










20240622

何度か通過するとほぼ同じところに停まってしまうしまう不思議。
ほぼ相生市のことは知らない。

ペーロンというのが兵庫県にあるのかと思った記憶がある。
写真があまりない。
宿泊は写真を写した側にあり公園みたいになっている。
道路沿いのわりに眠れる。

後々、気づいたことがある。
会社員時代に来ていたたつの市の隣だということ。

たつの市は新幹線で姫路で降りてワンマン電車でたつので降りる。

たつの市に出張してた頃、姫路で降りたものの姫路城改修中で一度も見れなかった。

この仕事を始めて姫路に向かって車で行き観れた。

この感動たるや(笑)
たつの市は「揖保乃糸」の町。

揖保乃糸は企業ブランドではなく地域ブランドのようなもの。

最初、いろんな会社が「揖保乃糸」の看板を掲げていたのを不思議に思っていた。

会社員時代に福岡にいながら、たつの市という土地を踏むこと自体稀有だろう。
やはり、僕は天職だと思ってる。
儲からんけど(笑)



基本情報
所在地:〒678-0053 兵庫県相生市那波南本町8-55
電話:0791-23-1919



Official site
















【相生市の概要】

相生市(あいおいし)は、兵庫県の島嶼部を除いた地域の南西部に位置する市である。西播磨県民局管轄地域。1942年(昭和17年)市制施行。

概要
造船業の町
明治期までは瀬戸内海に面した典型的な漁村であった。明治終期に、船の建造・修繕のための施設「船渠」(ドック)が完成した。住民らは「わしらのドック」と呼び、誇りにした。以来、造船業は相生の看板産業として発達し、昭和30年代に年間の進水量で世界首位に立った。播磨造船所、石川島播磨重工業など造船会社名は変遷を繰り返し、現在はジャパン マリンユナイテッド子会社のJMUアムテックがドックを構える。第二次世界大戦後、大型船の新造が禁止され、一旦は町の灯が消えかかったが、1951年10月18日の捕鯨船団の母船「図南(となん)丸」の進水式をきっかけに再び造船の町として歩み始めた。図南丸は、戦争末期、米軍の爆撃を受け、南太平洋の海底40メートルに沈没。眠っていたものを播磨造船所が引き揚げに成功し、ドックでの改修を担ったものであった。沈没した第三図南丸には完全な図面が残っておらず、実測で図面をそろえるなどした上、連日2000人超が昼夜を問わぬ突貫工事に従事し、クレーンの争奪戦が起こるほど現場は熱気にあふれていたという。播磨造船所の年間売り上げの約半分を要したこの大事業での技術力は、国内外で高く評価され、「図南丸」と改名され、1970年まで日本の捕鯨を支えた。

地理
西播地域の真ん中位置にあり、鉄道や幹線道路も比較的整備されている。
北部の三濃山、東部の天下台山、西部の宮山などを含め、市の周辺は小高い山に覆われた盆地のようになっている。
南部には瀬戸内海の中でも深く入り組んだ相生湾がある。万葉の岬こと金ヶ崎や、遠見山公園などからの眺望がある。北部には播磨科学公園都市がある。相生市の範囲にはないが、副母都市として交通などの面において重要な関係にある。
姫路市への通勤率は14.9%、たつの市への通勤率は10.7%である(いずれも平成22年国勢調査)。

歴史
市名の由来
・相生市中心部周辺の空中写真。深く入り組んだ相生湾の最奥に中心市街地がある。1980年撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
大嶋城の城主となった海老名氏が相模国(現在の神奈川県海老名市)出自であることから、海=浦名として呼ばれていた「おお」に相模生まれの漢字を宛てたのが「相生」の由来であるという説が有力である。
・1913年1月1日に周辺の村に先駆けて相生町となる。以前は「相生(おお)村」と呼ばれていた(歴史的仮名遣では「あう」)。現在でも相生市相生の集落の一帯を、通称「おお」と呼ぶ。このため、「O」という地名であるとしてギネスブックに「世界最短の地名」の一つとして掲載されていたことがある(現在の邦訳版にはない)。
・「相生」という言葉は、日本全国で相生町や相生村など地名として使われているほか、語句としても使用されることがある。これらは、直接「相生市」とは関係がないものと思われる。
現行の日本の市町村を五十音順に並べると、当市が最初になる(2005年までは秋穂町(あいおちょう、現・山口市)が存在したため、市町村では最初ではなかった)。

行政区域の変遷
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、赤穂郡相生村・揖西郡野瀬村の区域をもって赤穂郡相生村(おおむら)が発足。
1913年(大正2年)1月1日 - 町制施行して相生町(おおちょう)となる。
1939年(昭和14年)4月1日 - 相生町が那波町を編入。
1939年(昭和14年)4月11日 - 読みをあいおいちょうに変更。
1942年(昭和17年)10月1日 - 市制施行して相生市となる。
1942年(昭和17年)11月12日 - 市章を制定。
1951年(昭和26年)8月10日 - 揖保郡揖保川町の一部(大字那波野)を編入。
1954年(昭和29年)8月1日 - 赤穂郡若狭野村・矢野村を編入。
1992年(平成4年)10月1日 - 市旗を制定。