20160218

 



ここもよく利用する道の駅です。

この仕事を始めた頃、3GのiPhoneだったし、Googlenaviの精度も低かったと記憶してます。

宮崎市はジャイアンツ・キャンプ、日南市は仕事でちょこちょこ来てました。

ただ、その時は車中泊じゃありません(笑)

Googlenaviに話を戻すと二又で日南も道の駅どちらもまっすぐ行けば着きます。

この付近を青島といい、有名な青島神社があります。

20240605

ここはある程度経ってから宮崎の中心街から結構離れてることに気づいた。

20kmって結構あるよね(笑)

数多いある道の駅でも落ち着く道の駅の一つ。

日南、串間に下るには必ずここに泊まっていた。

宮崎の方が言ってた。

「宮崎は晴れないと何もない」と。

数年経ちなんとなくわかる気がする。

陽気がいいから人も穏やかなのか。

明らかに宮崎県内でも都城だけはちょっと違う?

都城だけが旧薩摩藩。

 

イオンモール宮崎が拡張工事で日本一の面積に

そしてスタバの電源が消えた(笑)

敷地の周りを拡張したから迷子になる人が増えたらしい。

もちろんその一人(笑)

ただ、ウォーキングコースの標がそこまでするか?というほど明確に。

 

ふと思い出した。

春の選抜で桑田・清原にライトがフライを落として0-1で惜敗したような。

都城のピッチャーは田口?

いいよ

宮崎

壱岐たいな(笑)

 

 

 

基本情報
所在地:〒889-2301 宮崎県宮崎市大字内海381−1
電話:0985-65-2773


Official site

青島神社


当時、生真面目なGooglenaviくんは「その先を左方向、チンタオ方面へ」と。


「??????」
 

しばらくして青島をチンタオと読み上げたのだとわかり一人で笑ってしまいました。

「Googleは中国の人も手伝ってんだ」と思いました。


しばらくすると道の駅フェニックスに到着。





 

この道の駅は面白く、夜はヤンチャな坊やたちの爆音とか、走り屋がたむろしたり、と。

ただ彼らは見かけで判断するみたいでこんな気の弱い僕でも、五厘ばりの坊主頭でトイレに行くとトイレだけが灯りがあるためか、僕には近寄って来ません(笑)





 



朝は180度変わり朝陽の方向へ手をつないで向かうカップル、犬の散歩をさせる宿泊者(キャンピングカー)、そしてハゲ坊主の僕は一人で写真を撮りに。いつか僕も女性と一緒にと思ってる間に53歳になってしまいましたw

【前撮り撮影】

素晴らしい朝陽です。




ここで教えられたのはFacebookで従姉弟のお姉ちゃんに「ジャカランダ!」なるものを教えてもらいました。
・ジャカランダ遊歩道(静岡県熱海市東海岸町~渚町)
・ジャカランダ通り(長崎県雲仙市小浜町)
・ジャカランダの森(宮崎県日南市南郷町)





ちょっと自信がないですが、確か雲仙の方から聞いたと思います。
上記、三都市でしか咲かず毎年、持ち回りでイベントを開催されているそうです。

そして、ここは宮崎市。上記、宮崎県日南市南郷町とありますが、ご心配なく。

道の駅なんごうの欄でも書くと思いますので。
ここでは滞在が4、5日でも可能。ただ温泉が高い。500円ですが。

大分方面から降りて来る場合は西都市の高屋温泉に入ります。
400円で温泉も狭いですが素敵です。







 

需要と供給のバランスは顕著で宮崎市内では500円は下りませんね。

ただ、数年前ゲストハウスみたいなのが建ち、そこが550円ですがすぐ近くなので変わりました。

温泉名は神話の湯です。

 

ちょっと贅沢をすれば青島グランドホテルなど。

600円





 

市街地に行けばたまゆらの湯・ホテル金住があります(500円)。





この道の駅は波状岩(鬼の洗濯板)などまるで洗濯板のような波状の岩があります。
自然にできたものは人間の創作力を超えますよね。
 

 

そして、またどこにでもあるが、必ず売れてるソフトクリーム。

この道の駅は4種類です。

 

 

僕は値段ではないですが冒険をしないので「ミルク」です。

ソフトクリームとはちょっと違うミルクが強く感じられました。

数年前、近くにあるセブンイレブンもリニューアルされ、急向背に停める形ではなくフラットになり

また、広くなったので仕事も楽になりました。

 

これから日南→串間へと旅立つには格好の道の駅です。

道の駅は3泊~4泊くらいしないと居心地、感覚、景勝地、Photo Point などわからず、「良さ」もわかりません。

この道の駅は過ごしやすい道の駅です

 

超おススメです

では、また。



夢の島からの贈り物




 

 

【道の駅フェニックス】
道の駅フェニックス(みちのえき フェニックス)は、宮崎県宮崎市にある宮崎県道377号内海加江田線の道の駅である。

沿革
かつて宮崎交通がフェニックスドライブインとして、総工費約4,900万円をかけて建設され、1965年6月1日に開業した。

フェニックスドライブイン付近の道路は山側を曲がりくねったかたちで敷設されていたが、これが直線化されたことで、海側と山側に新たな敷地ができた。宮崎交通はこの敷地を購入。通常であれば海側にドライブインが建設されるのだが、岩切章太郎の「日南海岸の景色を一企業が独占してはならない」との考えにより、海側にはフェニックスが植えられ、山側にドライブインが建設されることとなった。

宮崎市は宮崎交通から施設を買い取り、2004年のフェニックスドライブインとしての閉鎖後に整備を進め、2005年4月16日より道の駅としての運用を開始した。沿線の県道377号はもともと国道220号の現道であったが、2008年3月に堀切峠トンネルが開通したことに伴い堀切峠とともに旧道となり、2015年4月1日に県道に移管された。

施設
駐車場
普通車:99台
大型車:6台
身障者用:4台

トイレ
男:大 5器(2器)、小 9器(3器)
女:7器(3器)
身障者用:1器(1器)
※()内は、24時間利用可能


【宮崎県宮崎市の概要】

宮崎市
宮崎市(みやざきし)は、宮崎県南東部にある都市で同県の県庁所在地である。

フェニックス・シーガイア・リゾート、青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市であり、九州・沖縄地方では長崎市に次いで7番目に人口が多い。1998年(平成10年)から中核市に指定されている。


地理
鰐塚山は県南部のテレビ塔としての役割も担う宮崎平野の南端に位置し、中央を大淀川が流れ、日向灘に注いでいる。南部が鰐塚山地の一部で山深い以外は、主に市街地となっている沖積平野と、洪積台地が大半を占める。

山:双石山(ぼろいしやま)、椿山、鰐塚山
河川:大淀川、清武川(きよたけがわ)、加江田川(かえだがわ)、一ツ瀬川
湖沼:津屋原沼(タンポリ)、大坪池ほか、かんがい用のため池が多数
東端:東経131度29分27秒
西端:東経131度19分26秒
北端:北緯32度00分45秒
南端:北緯31度43分04秒


気候
年平均気温は18℃前後。年降水量はたいてい2,000mmを超えており、年によっては3,000mmを超えることもあるなど、極めて多い水準にある。また日照時間も年間2,000時間を割り込むことはほとんどない。平均気温の高さ・年降水量多さ・年日照時間長さにおいて、いずれも全国の県庁所在地では概ね3位以内である。全体的に、九州以外の住人が一般的にイメージする「九州の気候」に最もよく当てはまる気候と言える。宮崎市の気象台では霜の観測はあるが、青島以南の沿岸部は無霜地帯である。


3月中旬から4月にかけてはすっきりしない天気が続く。天気は変わりやすく、低気圧が日本海を通過すると気温が上がり、フェーン現象で季節外れの高温になり、夏日や30℃近くまでになる。


5月下旬から7月上旬にかけて梅雨となり、梅雨末期は大雨に見舞われることがある。都市化が顕著でないため熱帯夜も多くなく、南西風が卓越しフェーン現象の影響を受けやすい7月が暑さのピークで、8月の平均気温は福岡市と比べて1℃近くも低い。夏の暑さは九州の中では穏やかな方といえる。


9月前半の残暑に続いて台風の襲来する季節となる。梅雨に匹敵する雨のシーズンで、台風がはるか南にある段階から湿った東風で強い雨が続くのは宮崎特有の現象である。11月は爽やかな秋晴れとなる。


西風の強い乾燥した晴れが多い。九州各地(鹿児島市など九州南部も含む)が雪に見舞われた時でも宮崎市のみは晴れていることが多い(九州山地が雪雲を妨げるため)。太平洋側の中でも、南関東沿岸部や静岡、山間部を除く近畿中南部や山陽地方、四国などと同様、冬型気圧配置の下での降雪はほとんどない地域といえる。冬の雪は、降雪そのものを観測しない年も多い。積雪は稀で1cm以上の積雪を観測した回数は1961年以降で3回(1975年、1987年、2005年)のみである。記録的な寒波に見舞われた2005年12月22日に1cmの積雪を観測したが、1cm以上の積雪は約20年ぶりで、12月の積雪は60年ぶりのことであった[1]。日中は暖かい一方で、特に冬型が緩んだ翌朝は放射冷却で最低気温が氷点下になることがあり、冬日は東京都心よりもずっと多い。過去に大阪や福岡、長崎、鹿児島のように冬日が1日も観測されなかった年はない。春が近い晩冬では曇りや雨が目立ってくる。


市街地
南の古くからの市街地で城ヶ崎(じょうがさき)と隣接する中村と、北の小さな街の花ヶ島(はながしま)・江平(えひら)が、その中間に位置する県庁の置かれた上別府村の市街化によって繋がり、南北に細長い連続した市街地となった。この最初の市域を核として市街地が拡大した。さらに1960年代からは平和が丘を皮切りに市街地を弧状に取り囲むようにニュータウンが次々と開発され、人口増加の受け皿となった。

隣接している自治体
日南市
西都市
小林市
都城市
東諸県郡国富町・綾町
北諸県郡三股町
児湯郡新富町


歴史
室町時代の1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸の河口付近にある城ヶ崎という地域に町を開いた。この城ヶ崎は赤江港を控えた商人の町として上方との交易が行われ、俳句などの町人文化が発達し、江戸時代が終わるまで繁栄した。それ以外の地域は農村であり、各藩の飛び地や天領が複雑に入り組んだ辺境の地であった。佐土原は佐土原藩として、高岡は薩摩藩の外城として、清武は飫肥藩清武郷としてある程度の拠点性を有していた。

1871年の廃藩置県で美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県が誕生した時は、大淀川が県境で、現宮崎市域は県境地帯であった。しかし1873年に美々津県と都城県東部が合併し、県の中央部に県庁を置く必要から、宮崎郡上別府村に県庁が置かれ、宮崎県が誕生した。1876年に宮崎県は鹿児島県に合併されて県庁が支庁となり、翌1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、旧士族はこぞって薩摩士族の西郷隆盛一派に加わり、敗戦によって経済も混乱した。1879年には旧宮崎県が宮崎、那珂、諸県、児湯、臼杵の5郡に分けられ、宮崎支所は廃止され、宮崎郡と那珂郡の郡庁となった。

1883年に川越進らによる分県運動によって宮崎県が再置されると、再び宮崎県庁が上別府に置かれ、1889年の町村制施行で宮崎町が誕生し、後に宮崎市となる。こうして、地理的に県の中心部に位置し、広い宮崎平野を後背地とする宮崎市は、県庁を中心として発展していくこととなった。


近代
1873年(明治6年)1月15日 - 美々津県・都城県が合併し宮崎県が発足。県庁が現在の地(当時の宮崎郡上別府村)に置かれた。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に合併される。
1880年(明治13年)4月24日 - 福島邦成が私財を投じて大淀川に初代橘橋(木橋)を架ける。
1883年(明治16年)

5月9日 - 宮崎県と鹿児島県に分割され再置県が行なわれる。

7月1日 - 宮崎県庁が開庁。
1888年(明治21年)12月1日 - 4代目橘橋(木橋)が現在の位置に架け替えられる。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により現在の市域となる次の町村が発足。

宮崎郡 - 宮崎町・大淀村・大宮村・生目(いきめ)村・瓜生野(うりゅうの)村・田野村・北清武村・南清武村
北那珂郡 - 赤江村・檍(あおき)村・木花村・青島村・住吉村・佐土原村・広瀬村・那珂村
東諸県郡 - 倉岡村・高岡村・穆佐(むかさ)村

1891年(明治24年)7月4日 - 北清武村・南清武村が合併し、清武村となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 佐土原村が町制施行。(同時に北那珂郡は宮崎郡に編入)
1902年(明治35年)5月28日 - 宮崎県立図書館創立
1907年(明治40年)11月2日 - 皇太子嘉仁親王(大正天皇)が宮崎神宮へ親拝。
1912年(明治45年)2月 - 明治天皇が宮崎神宮に太刀を下賜する。
1913年(大正2年)12月15日 - 宮崎駅が開業。
1916年(大正5年)2月11日 - 大淀村が町制施行。
1920年(大正9年)

3月29日 - 皇太子裕仁親王(昭和天皇)が宮崎神宮へ親拝。

4月1日 - 高岡村が町制施行。
1923年(大正12年)12月15日 - 日豊本線が全通。
1924年(大正13年)4月1日 - 宮崎町・大淀町・大宮村が合併し、市制施行。人口42,920人、面積45.15km2。
1926年(大正15年)
4月1日 - 赤江村が町制施行。
4月22日 - 「宮崎県観光の父」である岩切章太郎が、宮崎交通株式会社の前身である宮崎市街自動車を設立。
1930年(昭和5年)10月1日 - 人口が5万人を超える。
1932年(昭和7年)4月20日 - 檍村を編入する。
1934年(昭和9年)10月1日 - 神武天皇御東征皇紀2600年奉告祭が行われる。
1935年(昭和10年)11月14日 - 昭和天皇が大日本帝国陸軍特別大演習の折に、神武天皇が東征前まで過ごした皇居跡と伝わる皇宮屋(皇宮神社)へ親拝。
1936年(昭和11年)
11月10日 - 宮崎県営野球場開場。
12月 - 山形屋宮崎支店(現:宮崎山形屋)開店。
1937年(昭和12年)4月19日 - NHK宮崎放送局が開局。
1940年(昭和15年)
- 皇紀2600年に伴う紀元二千六百年記念行事として宮崎神宮境域拡張整備。
宮崎神宮の拡大整備。
皇宮屋(皇宮神社)に皇軍発祥之地の石碑を設置。
皇宮屋より北の台地(現・平和台公園)に八紘之基柱(あめつちのもとはしら 現・平和の塔)建造。
11月25日 - 宮崎県内の日刊紙9紙を統合して日向日日新聞として創刊(1961年1月1日に宮崎日日新聞に名称を変更)。
1943年(昭和18年)
4月1日 - 赤江町を編入する。
12月1月 - 南九州最大の航空基地として旧日本海軍赤江飛行場(現:宮崎空港)開港。
1945年(昭和20年)
3月18日 - アメリカ軍による宮崎県初の空襲を受ける。
現代(第二次世界大戦後)
1948年(昭和23年)6月23日 - 橘公園設立。
1950年(昭和25年)5月3日 - 田野村・清武村が町制施行。
1950年(昭和25年)10月1日 - 人口が10万人を超える。
1951年(昭和26年)
- 宮崎県立博物館開館。
3月25日 - 瓜生野村・木花村・青島村・倉岡村を編入する。
4月1日 - 広瀬村が町制施行。
1954年(昭和29年)
7月1日 - 航空大学校開校。
7月1日 - 宮崎放送が全国34番目(山梨放送と同日)にラジオ放送の本放送開始。
1955年(昭和30年)
3月10日 - 高岡町が西諸県郡野尻町大字紙屋の瀬越地区を編入する。
4月1日 - 佐土原町・那珂村が合併し、佐土原町となる。
4月1日 - 高岡町・穆佐村が合併し、高岡町となる。
6月1日 - 青島周辺地域が日南海岸国定公園に指定される。
1957年(昭和32年)
5月10日 - 大淀川に宮崎大橋が開通。
10月1日 - 住吉村を編入する。
1958年(昭和33年)
4月1日 - 佐土原町・広瀬町が合併し、佐土原町となる。
10月1日 - 人口が15万人を超える。
1959年(昭和36年)1月31日 - 読売ジャイアンツが宮崎市の宮崎県営野球場でキャンプを開始。
1960年(昭和35年)
5月3日 - 島津久永・貴子夫妻(昭和天皇の第五皇女)が新婚旅行で訪問。
7月1日 - NHK宮崎放送局がテレビ放送を開始。
10月1日 - 宮崎放送がテレビ放送を開始。
1961年(昭和36年)5月17日 - 宮崎空港が第二種空港に指定される。
1962年(昭和37年)
5月2日 - 皇太子明仁親王(後の上皇明仁)、皇太子妃(後の皇后美智子)が訪問。
10月1日 - 岩切章太郎に宮崎市栄誉市民の称号が贈られる。
1963年(昭和38年)
4月1日 - 生目村を編入する。
5月8日 - 国鉄日南線が全通。
1964年(昭和39年)9月 - 東京オリンピックの聖火リレーで平和台公園が第2スタート地点となる。
1965年(昭和40年)4月5日 - 宮崎市などをロケ地とした川端康成原作のNHK連続テレビ小説第5作『たまゆら』が放送。
1966年(昭和41年)2月11日 - 奈良県橿原市と姉妹都市を締結。
1967年(昭和42年)6月10日 - 宮崎県立青島亜熱帯植物園開園。
1968年(昭和43年)
3月23日 - 第1回みやざきフラワーショーが平和台公園で開催。
9月21日 - 市旗、市の木(クスノキ)、市の花(ハナショウブ)を制定。
10月7日 - 阿波岐原森林公園(市民の森)創立。
1969年(昭和44年)
7月17日 - 人口が20万人を超える。
9月 - 宮崎港が開港。
1970年(昭和45年)4月1日 - テレビ宮崎がテレビ放送を開始。
1971年(昭和46年)