ここは朝の川のせせらぎが素晴らしい。

この川沿いの立地は九州では他にはないんじゃないだろうか。

 

 

5、6km先に「高瀬」というセブンイレブンがある。

週末はバイク野郎さんたちが集まる。

ここに集まるバイク野郎さんたちはヤンチャじゃない。

 

店舗の左側には水が無料。

僕はペットボトルに3本ほど。

天ヶ瀬町の喫茶「あまがえる」に集って玖珠川沿いの「益次郎の湯」か「駅前温泉」(共に100円)

に入り、長話をして道の駅へ。

 

※閉店、お隣に「Azuki」という店舗あり

 

 

※20240531現在、復旧の目途立たず(平成29年九州北部豪雨)

 

12kmくらいじゃないかな。

よくBさんが、「わざわざ大山までいかんでも駐車場に停めて寝りゃいい。」

確かにトイレも整備されきれいになってる。

しかし、Bさんには「そうですね。」と首を縦に振りながら「ニコっ」と笑い、大山へ向かう。

最初の頃は、自分の中では5kmくらいの感覚でしたが、その後Google-naviを入力して驚いた。

 

なぜ行くんだろう、と言われても?敢えていうならば月並みだけど「落ち着く??」だと思う。

冒頭にも書いたが朝のせせらぎと朝陽。

そして、対岸には河津・刀根一家があるし、皆さん居らっしゃるという妙な安心感(笑)

弁当食べて「高瀬」のセブンイレブンに行きセブンカフェを頂きながら、仕事する。

道の駅から高瀬の間の道の駅よりにセブンイレブンができたのだが、Wi-Fiがない。
喫煙所で声をかけて話を膨らまし、いろんな話を引き出す←何者やねん!(笑)
でも、そういった方たちの話を頭の中で組み合わせれば町の形が出来上がる。

最近、よく聞く「グランドデザイン」が出来上がる。


 

世の中の多くの人はコンビニの喫煙所で人に声かけたりしないだろうね。

今はほぼ「どんどん灰皿なくなっていきますよね~」とひとり言のような声をかけてるような感じで呟く。

40%くらいかな。乗ってくる人。

 

大山町といえば「桃栗植えてハワイへ行こう!」と農業革命と言われた一村一品運動の先駆けです。

 

大分県は平成の大合併で48の自治体を18の自治体へ

と考えただけで国、県の力は隠せない。
だから、観光スポットがわからないほどの九州一の広さを持つ佐伯市をも生み出しました。

ただ、いつも感じるのは大分県は「自分の町は自分たちの手で」というモチベーションは九州の中では一番高いと感じます。

20240531

この道の駅への評価は変わらない。

自分の中で「日田市」という括りで何かを成し遂げようということができた。

基軸は大山町にしようか考え中。

僕にとっては珍しく長期スパンの3年~5年。

これを長期スパンと言えるかどうかは人に依るだろうけど。

上から目線だけど日田というのは面白いもので傍からみてるとよくわかる。

自分たちの町に対するモチベーションは高い。

だけどベクトルの方向が皆さんが違う(笑)

「船頭多くして船山に上る」という表現があてはまるような。

移住もしないといけないと思う。
目標も歳をとれば変わる?ということにしよう。

多拠点生活

言うのはタダだから(笑)
 


夢の島からの贈り物



基本情報
道の駅 水辺の郷おおやま
所在地:〒877-0201 大分県日田市大山町西大山4106
電話:0973-52-3630


施設
駐車場
普通車:103台
大型車:4台
身障者用:2台

トイレ
男:大 5器(4器)、小 13器(12器)
女:12器(10器)
身障者用:2器(1器)
公衆電話
公衆FAX
ファーマーズマーケット(月 - 金:9:00 - 16:00、土日祝:9:00 - 17:00)
進撃の巨人 in HITA ミュージアム - 日田市出身の諫山創の漫画『進撃の巨人』の資料を展示する施設。
2021年(令和3年)3月27日に開館。
情報コーナー(9:00 - 17:00)

 



 

 

 


 

 

梅の生産量

梅干しでは、どうしても和歌山県の紀州梅、南高梅など他を寄せ付けない現状ですが、両方の産地で食しましたが私が「九州の味覚」なのか、和歌山は甘く、大山は小さい頃から「梅干しは渋い?酸っぱい?」という感じが強く口に合ってます。おむすびを食べる時に中に入ってる具が梅だと酸っぱいので、梅にあたったときの覚悟の為に取る前から心構えが「梅」でした。
私の家では祖母、母と「梅エキス」を梅のどの部分かわからないですが、結構な量の梅から80gの瓶ほどにしか取れないみたいでした。これをどうするか?お腹が痛い時などに舐めると「あら不思議」、家で舐めて学校に向かい学校に着く頃に治ってました。こころの持ち方なのかもしれないですが。

 

1位は和歌山県4万1300トン(58%)
2位は群馬県5190トン
3位は福井県1500トン
4位は青森県1440トンとなっています。

 

和歌山県では、江戸時代に、紀州藩田辺領において農民がやせ地は免祖地となることから、そこに梅を栽培したことが本格的な梅栽培の始まりと言われています。 また、田辺領(紀州藩附家老 安藤直次)がやせ地を利用した梅の栽培を奨励し、保護政策をとったため、田辺、みなべ地方を中心に広がったとも伝えられています。

 

車中泊について

道の駅に入って中を左側に車庫ラインが引かれてますが、そのまま行き止まりまで行き、そこがベストです。

そこが朝陽と川のせせらぎのベストポジションです。

 



 



 
















【大分県日田市の概要】

地理
大分県に属するが、筑後川水系にあるため歴史的に福岡県の筑後・筑前地方とのつながりが強い。この地域の方言である日田弁は肥筑方言の特徴を持つ。周囲を山に囲まれた典型的な盆地であり、多くの河川が流れ込み「水郷(すいきょう)」を形成している。 日田盆地周囲の山地は、標高がおよそ1,000メートル、旧前津江村・中津江村・上津江村がある山間部では、標高が1,200メートルほどになる地域がある。

日田盆地に流れ込む多くの河川は、三隈川(筑後川)に合流する。これらの河川は江戸時代末期には、日田周囲の地域で伐採された木材などの物産を、筑後川下流の福岡県久留米や大川といった都市まで輸送する物流手段として欠かせないものとなった。この日田川通船は、夜明ダムが建設されたことで終わりを迎えた。

山: 一尺八寸山(みおうやま)、大将陣山、岳滅鬼山(がくめきざん)、釈迦岳、御前岳
河川: 三隈川、大山川、玖珠川、花月川、中野川

気候
過去には有人の気象官署があった。2001年に無人化され日田地域特別気象観測所(アメダス)へと格下げされており、積雪や雷日数などの項目について観測がされなくなった。

九州型の太平洋側気候。盆地のため夏と冬、朝晩の気温差が大きい。年降水量は1800mmと比較的多く、梅雨期に年間降水量の3分の1以上が集中する。過去にも度々梅雨末期の集中豪雨に見舞われ、大きな被害を出してきた。盆地であるため春から秋にかけては朝夕に地元では「底霧」と呼ばれている深い霧が発生しやすく、過去には霧日数が年間100日を超えたこともある。

暖候期は全国でも特に最高気温が上がりやすい地点の一つであり、春から初夏の早い時期から暖気に覆われると真夏日や猛暑日となることがある。夏は猛暑日となる日が多く、その日の国内最高気温を記録することも珍しくないが、熱帯夜となる日は多くない。最高気温が35℃を超える猛暑日となる日も多く、年間猛暑日数45日、連続猛暑日22日(ともに1994年)の国内最多記録を持つ。

一方、冬は1月の平均気温が3.9℃と九州の都市としては寒さが厳しく、冬日が多くなる。放射冷却がよく効いた日は氷点下5℃以下まで下がることもあり、近年でも2012年2月3日に-9.1℃を記録している。大分県内においては比較的積雪が多い地域で、2001年までの記録では盆地の市街地での積雪は多くの年で10cm以下であるが、2003年1月5日に旧耶馬溪町での委託観測で30cmを観測したこともあるなど、山間部では30cm以上に達することもある。

旧前津江村の椿ヶ鼻アメダスでは例年3000~4000mmの年降水量を観測するなど山間部では降水量が非常に多い。それが杉や檜の生育を早めるため、林業地域としての日田に寄与している部分もある一方で、土砂崩れのような自然災害を発生させる原因ともなっている。

気温 - 最高39.9℃(2018年(平成30年)8月13日)、最低-10.8℃(1945年(昭和20年)1月19日)
最大降水量 - 292.4ミリ(1953年(昭和28年)6月24日)
最大瞬間風速 - 50.2メートル(2004年(平成16年)9月7日)
夏日最多日数 - 173日(2005年(平成17年))
真夏日最多日数 - 109日(2005年(平成17年))
猛暑日最多日数 - 45日(1994年(平成6年))
熱帯夜最多日数 - 13日(1994年(平成6年))
冬日最多日数 - 106日(1943年(昭和18年))
猛暑日最早日 - 2013年5月24日

隣接している自治体
福岡県
うきは市
朝倉市
八女市
朝倉郡東峰村
田川郡添田町

熊本県
山鹿市
菊池市
阿蘇市
阿蘇郡南小国町、小国町

大分県
中津市
玖珠郡玖珠町

平成の大合併
平成の大合併で2町3村を編入合併した。これらの地区は従来の大字の前に、旧町村名を冠した「○○町」の町名を冠している。ただし、中津江村は「中津江村」を冠している。

前津江町赤石、前津江町大野、前津江町柚木(以上、旧前津江村)
中津江村合瀬、中津江村栃野(以上、旧中津江村)
上津江町上野田、上津江町川原(以上、旧上津江村)
大山町西大山、大山町東大山(以上、旧大山村)
天瀬町赤岩、天瀬町女子畑、天瀬町合田、天瀬町桜竹、天瀬町湯山(以上、旧中川村)
天瀬町馬原(旧馬原村)
天瀬町五馬市、天瀬町出口、天瀬町塚田、天瀬町本城(以上、旧五馬村)


歴史
地名の由来
令制国としては豊後国に属した。「日田」の地名の由来にはいくつかの説があり定かではない。

720年から740年頃に成立した『豊後国風土記』では、景行天皇が九州遠征時に浮羽から日田に立ち寄った際に、「久津媛」(ひさつひめ)と名乗る神が人となり現れたことに因んで名づけられたもので、後に久津媛が訛って「日田」になったとしている。

また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』では、日高郡とされており、「比多」の訓が付されている(元和[要曖昧さ回避]古活字本巻5)。現在も三芳地区には「日高町」という地名が残っている。

江戸時代に成立した『豊西記』には、「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北へ去ると、湖水は轟々と抜けて干潟となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」という「日と鷹神話」があり、それよりヒタカと呼ばれるようになったという。

先史・古代
小迫辻原遺跡より、3世紀末から4世紀初頭にかけての豪族の環濠居館の跡が出土している。また、ダンワラ古墳からは1世紀 - 3世紀頃の漢鏡と推定される金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(国の重要文化財)が出土している。この鏡には卑弥呼の鏡ではないかとの説もあり、2009年に九州国立博物館4周年特別展で展示された際には「卑弥呼の鏡か?」とのコピーとともにPRされた。

学術的には偽書とされる『先代旧事本紀』国造本紀に、古代ヒタにおいての国造には、「成務天皇の時代に葛城国造同祖、鳥羽足尼(宿禰)を定めた。」とある。止波宿禰(鳥羽宿禰)は、西暦470年以降(古墳時代後期)に靱編連(ユギアミノムラジ。現在の日田市刃連町付近)に会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し、村人に農業などを指南した人物として『豊日志』(現存せず)に記されていたとされる。

『豊後国風土記』靭編郡の条には、欽明天皇の時代、日下部氏の祖である邑阿自(オウアジ)が靱部として仕えており、村について家を構えた。これにより靭負(ユギオイ)村とよび、後に靭編(ユギアミ)郡と呼んだとある。ちなみにユギオイとは、靭(ユギ・ユキ、矢を入れる容器)を使用する者をいい、ユギアミとは、靭を作る者のことをいう。大化の改新後は郡司に任ぜられ、大蔵氏 (豊後国)が郡司に就くまで日田の支配権を握っていたと考えられている。

古代 - 中世
834年頃に、在地小豪族の大蔵氏(大蔵氏の庶家)が居付いたとされている。日田大蔵氏に関しては中井王の子孫であるという説もあるが、一方、宇佐を本拠としていた大蔵鬼蔵大夫永弘が日田に居付いて、日田大蔵氏となったという説もあり、渡来の秦氏であるというものまであるので定かではない。

日田城および大蔵館(鷹城)、現在の慈眼山公園を拠点に栄華を極め、1444年まで590余年一系を保った。家臣たちにより16代永包を殺害した永好を美濃国で殺害し、豊後の大蔵氏は滅亡する。その後、大友氏より親満(永世)を養子に受けて大友系日田氏として再興するが、1548年に滅亡する。以降は、大友義鑑が選出した旧豊後大蔵氏一族の郡老8名が政治を執り行った。

近世
日田市内豆田町の町並み
1593年、豊後国を治めていた大友義統が文禄・慶長の役において敵前逃亡の責めを負って改易され、領国内であった日田郡は蔵入地(豊臣家直轄地)となり、宮部継潤らによる検地(太閤検地)が行われた。宮木豊盛が代官として入領して日隈城(隈城)を築き、のち毛利高政が日隈城に入城して日田郡2万石および玖珠郡を治めた。1600年の関ヶ原の戦いで毛利高政は西軍につき、日隈城は豊後国内の攻略を行っていた黒田孝高勢と講和して開城。毛利氏は豊後国佐伯への転封となり、日田は黒田孝高家臣の栗山善助預かりとなって日隈城に詰めた。

1601年、小川光氏が日田郡に入領し日田盆地北部にある丸山(月隈山)に丸山城を築城。日田郡の内、丸山城を中心とする北部を小川氏、日隈城を中心とする南部を栗山氏に代わって毛利氏預地として治めるところとなった。1616年、小川氏に代わり石川忠総が丸山城に入城。城を改修して永山城と改名し、城下町も移転して豆田町と改める。1633年、石川氏が下総国佐倉藩に移封となり、中津藩・杵築藩の預地となる。1639年、江戸幕府直轄領となり、初代代官の小川藤左衛門、小川九左衛門は城を廃して麓に陣屋を置いた。その後、幕府の直轄領である支配所(天領)や他藩の預地、松平直矩などいくつかの大名支配を経て、1686年以降は大名が入封することなく明治まで幕府の支配所となり、幕府が任じた代官が赴任するところとなった。

江戸中期の1767年、日田代官の揖斐政俊が西国郡代に格上げされ、それ以降は九州の支配所を治める郡代支配の拠点となった。最後の郡代は窪田鎮勝。享保19年(1734年)当時には、豊前・豊後・日向・筑前の直轄地合わせて12万石を支配し、江戸末期には16万石にもなった。

文化
江戸時代に京・大坂・江戸を手本に町人文化が繁栄し、現在でも小京都などと呼ばれる。特に、代官・郡代により掛屋に指定された商人は大名貸の金利などにより利益を得ており、その利益や蓄えを俗に日田金(ひたがね)といった。日田金は一例として、広瀬淡窓の弟である6世広瀬久兵衛(ひろせきゅうべい、1790年 - 1872年)による治水工事(小ヶ瀬井路)や通船用への川の整備、干潟の干拓(呉崎新田・久兵衛新田(宇佐)など)工事などの事業、大名の財政再建などに投じられている。

幕末に広瀬淡窓の開いた私塾咸宜園には日本中から塾生が集まった。塾生には蘭学者の高野長英や近代軍隊の基礎を築いた大村益次郎などがいる。

近現代
1868年(慶応4年)より支配所(幕府直轄領)は天朝御料(天領)に編入され、西国郡代の支配下にあった支配所地方行政として日田県が置かれた。松方正義を知事として迎えて旧日田陣屋および永山城跡に県庁が置かれたが、その4年後の1872年に日田県は廃止となり、日田県内の日田郡は大分県へ編入された。

1889年(明治22年)に施行された町村制により発足した旧陣屋町を中心とする豆田町と三隈川河畔の商業町(旧日隈城下)を中心とする隈町が1901年(明治32年)に併合し、日田町が発足。
1940年(昭和15年)12月11日 - 日田町と三芳村、高瀬村、光岡村、朝日村、三花村、西有田村の6村が合併し市制施行。
1955年(昭和30年)3月31日 - 東有田村、小野村、大鶴村、夜明村、五和村の5村を編入。
2005年(平成17年)3月22日 - 日田郡前津江村、中津江村、上津江村、大山町、天瀬町を編入。
1889年(明治22年)の町村制度施行の際における日田郡全域が現在の市域にあたる(一部で部分的な編入などによる例外あり)。

経済
伝統工芸
小鹿田焼(おんたやき)
日田下駄
日田土鈴
産業
古くから市周囲の山間部での林業が栄えた。特に杉は「日田杉」と呼ばれ、日田杉を用いた下駄作りや漆器などの木工業が盛んになった。近年は外国産の安い木材の輸入増加などをうけ、林業自体が以前に比べて衰退傾向にある。

農業は、広くまとまった耕地が確保しにくいため1960年代以降、米作中心から梅、栗、キノコなど山間地に適した作物へ転換を進めた。販売や観光と組み合わせる6次産業化にも力を入れている。市内にある農業協同組合のうち大分大山町農協は直営店「木の花ガルテン」を大分県内各地や福岡市にも展開しているほか、里山を整備して観光施設化した「五馬媛(いつまひめ)の里」を2015年開園した。

この他、三隈川では鮎などを対象とした内水面漁業が行われる。
良質の水でも知られる。後述の日田天領水のほか、井上酒造、クンチョウ酒造、老松酒造など日本酒や焼酎の酒造業も古くから存在する。

近年はTDK三隈川工場(1982年 - )、九州住電装(1993年 - )等の工場や、サッポロビール九州日田工場(2000年 - )、三和酒類日田蒸留所(2002年 - )(ニッカウヰスキー九州工場〈1989年 - 1999年〉跡)等の食品工業が進出している。

名所・旧跡
豆田町
豆田地区
豆田町(重要伝統的建造物群保存地区) - 江戸時代中期からの町家が残る町並み
広瀬淡窓旧宅(国史跡)
長生園(国史跡・廣瀬家墓地)
草野家住宅(国重文)
日本丸館(国登録有形文化財・岩尾薬局)
天領日田資料館
薫長酒蔵資料館(クンチョウ酒造)
中城河岸跡(港町)
咸宜園跡(国史跡・淡窓町)

隈町河川敷の町並み
隈・竹田地区
後藤家住宅(国登録有形文化財)
山田家住宅(国登録有形文化財)
日田祇園山鉾会館
隈まちづくりセンター黎明館(国登録有形文化財) - 大分銀行旧日田支店・旧浜田医院
寺町通り


郊外
皿山
行徳家住居(国重文・夜明関町)
井上家住宅(国登録有形文化財・鶴河内町)
皿山(重要無形文化財)
大山地区
旧矢羽田家住宅(国重文)
津江地区
鯛生金山跡(近代化産業遺産)

神社仏閣
神社
大原八幡宮(田島町)
八坂神社(隈町)
日田神社(城町)
日隈神社と松方神社跡(亀山公園)
大野老松天満社(前津江町) - 旧本殿は室町時代の建立で国重文。

寺院
伝来寺(伝来寺庭園、大分県の名勝)
岳林寺
永興寺(慈眼山公園、慈眼山仏像収蔵庫。安置の永興寺仏像は国重文)
長福寺(本堂は国重文)
神仏習合の社寺
高塚愛宕地蔵尊
吹上神社(吹上観音)

史跡(古代)
古墳
穴観音古墳(国史跡、内河町)
法恩寺山古墳群(国史跡、刃連町)
ガランドヤ古墳(国史跡、石井町)
城山古墳(諸留町)
薬師堂山古墳(田島町)
朝日天神山古墳(小迫町)
丸山古墳(城町)
姫塚古墳(高瀬本町)
平島古墳(諸留町)
惣田塚古墳(琴平町)
三郎丸古墳(北友田)

遺跡
小迫辻原遺跡(国史跡・小迫町)
吹上遺跡(吹上町、小迫町、渡里町)

公園
月隈公園 - 永山城跡
亀山公園(きざんこうえん) - 日隈城跡
慈眼山公園 - 永興寺跡及び大蔵氏日田城跡
鏡坂 - 景行天皇訪問地
萩尾公園
椿ヶ鼻ハイランドパーク
自然・天然記念物
小野川阿蘇4火砕流埋没樹林群(国の天然記念物)
シオジ原生林と御前岳湧水(前津江町柚木、御前岳)
黄金の滝(上津江町) - 棟方志功によって描かれた滝
天瀬六瀑(天瀬町) - 桜滝、観音の滝、慈恩の滝、山法師の滝、楓葉の滝、夕日の滝。
叢雲の松(隈町八坂神社)

温泉
天ヶ瀬温泉
日田温泉
天ヶ瀬温泉
湯ノ釣温泉

祭事・催事
日田祇園祭の山鉾(山車)
日田天領まつり(千年あかり)の様子
天領日田おひなまつり(2月15日 - 3月31日) - 九州最大級のひなまつり
日田川開き観光祭(5月20日過ぎの土曜日・日曜日)
日田祇園祭(7月20日過ぎの土曜日・日曜日)
大原八幡宮仲秋祭(放生会)(9月中旬)
千年あかり(11月3週目の金曜日・土曜日・日曜日)
日田天領まつり(11月第3土曜日・日曜日)
日田おおやま梅まつり(2月中旬 - 3月中旬)

選定
水の郷百選 - 水と緑と歴史のまち…ひた
日本の音風景100選 - 小鹿田皿山の唐臼
美しい日本の歴史的風土100選(財団法人古都保存財団) - 商家町豆田町の歴史的街並み
桜の名所100選(ぴあ株式会社) - 大原の大しだれ桜

食文化
日田やきそば - 調理方法の特徴から、一般のソース焼きそばに比べて、麺がパリっとしているのが特徴。
高菜巻(たかなずし) - 高菜を海苔の代用とした巻き寿司。
柚子胡椒 - 発祥地地域の一つに指摘される。
鶏足(けいそく) - ニワトリの足を甘辛く煮た料理。
たらおさの煮しめ - 棒鱈の内臓部分(鱈の胃)を甘辛く煮た料理。お盆に食することが多いため「ぼんだら」とも呼ばれる。
日田どん鍋 - 旅行専門雑誌『じゃらん九州』が中心となって作られた、レシピに日田産の食材が含まれる鍋。

日田市に関係する著名な人物
出身者
政治家
川路聖謨(幕末の外国奉行)(1801年-1868年)
畑英次郎(農林水産大臣、通商産業大臣を歴任)
井上準之助(第9代、第11代日本銀行総裁)(1869年-1932年)
坂本休(元中津江村長) - 旧中津江村出身。
広瀬勝貞(現大分県知事)

軍人
大蔵栄一(大日本帝国陸軍大尉) - 二・二六事件の革新派青年将校の中心人物(1903年-1979年)

作家・文化人
大蔵永常(江戸期の農学者)(1768年-1861年)
広瀬淡窓(儒学者、漢詩人、教育者)(1782年-1856年)
長三洲(漢学者)(1833年-1895年)
畑正憲(作家) - 出生地は福岡県。中学から高校までを日田市で過ごす。
石川利光(作家)(1914年-2001年)
佐伯琴子(作家、フリーライター)
筑紫哲也(ジャーナリスト) - 日田市名誉市民(1935年-2008年)
宮川泰(作曲家・編曲家) - 出生地は北海道(1931年-2006年)
宇治山哲平(画家)(1910年-1986年)
岩澤重夫(日本画家)(1927年-2009年)
久世みずき(漫画家)
諫山創(漫画家) - 旧大山町出身。
麻生圭子(作詞家・エッセイスト)
俳優・芸能関係者
原田清人(俳優)
真屋順子(女優)
山崎ハコ(シンガーソングライター)
広瀬道貞(テレビ朝日顧問・元会長、日本民間放送連盟会長)
池永亜美(グラビアアイドル・女優)
きどゆういち(ローカルタレント)
小森田実(シンガーソングライター、作曲家、編曲家)
木下美咲(女優)
コージー大内(ブルースシンガー、旧大鶴村出身)

マスコミ関係者
友成由紀(長崎放送元アナウンサー、現在は同局社員。)
江藤愛(TBSアナウンサー) - 日田市観光大使を務めている。
安元佳奈(大分放送アナウンサー)

スポーツ関係者
松下沙耶未(2004年アテネオリンピックアーチェリー日本代表)
蔵本孝二(神奈川県警警察官) - モントリオールオリンピックの男子柔道軽中量級銀メダリスト
梶原公(元プロサッカー選手・大分トリニータ等)
木本敬介(元プロサッカー選手・カターレ富山等)



大山町
大山町(おおやままち)は、大分県西部に存在した町である。2005年3月22日に日田郡前津江村、中津江村、上津江村、天瀬町とともに日田市へ編入合併し、行政地域としては消滅したが、編入後も「日田市大山町」として地名は残された。

歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 村制施行により大山村が成立
1969年(昭和44年)2月1日 - 町制施行により大山町が成立
2005年(平成17年)3月22日 - 前津江村、中津江村、上津江村、天瀬町とともに日田市へ編入合併

地理
筑後川の本流にあたる大山川が流れ、松原ダムが設けられている。松原ダムのダム湖は、大山町の特産品に因み「梅林湖」と呼ばれる。湖には遊覧船が就航している。

農業への先進的な取り組み
大山町では、政府がまだ米の増産を推進していた1961年に、米作には不適な山地の地理的特性を生かして、作業負担が小さく収益性の高いウメやクリを栽培し、さらに梅干し等に加工して付加価値を高めるNPC(New Plum and Chestnut)運動を開始した。「梅栗植えてハワイに行こう!」というユニークなキャッチフレーズで知られるこの運動は、農家の収益の向上に寄与し、大山町は全国で最も住民のパスポート所持率が高い町になった。この運動は、後の一村一品運動の原点としても知られている。梅栗運動の影響で梅は大山町の基幹産物となり、現在では町内のほとんどの農家で梅が栽培されており、町内にある宿泊温泉物販施設「ひびきの郷」には共同の梅酒工場もある。梅酒の生産販売にはニッカの協力を得ている。中国江蘇省の農場と提携し、蜂蜜や梅の共同生産も行なっている。

大山町ではその後も、2000年に地元産の有機農作物を使ったバイキング形式のレストラン「木の花ガルテン」を町内にオープンするなど、先進的な取り組みを続けている。「木の花ガルテン」の年間購買客数は240万人、年間販売額も安定的に15億円を上回る水準で(2008年度で約55億7000万円)、農家の所得向上に大きく寄与している。人口3600人の町で、1000万円以上の年収の農家は150世帯を越え、年収2000万円の農家もある。

姉妹都市
メギド地区(イスラエル)- 1970年に姉妹協定を締結。キブツを農村つくりの参考にした
国見町(大分県)

教育
中学校
大山町立大山中学校
小学校
大山町立大山小学校
大山町立鎌手小学校
大山町立都築小学校

交通
鉄道
町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅は、JR九州久大本線日田駅あるいは、豊後三芳駅。

道路
一般国道
国道212号
道の駅水辺の郷おおやま

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
木の花ガルテン
松原ダム
出身有名人
諫山創(漫画家) - 実家が梅農家でもある