※晴れ舞台とジュリアの卒業に関する感想が主ですが、好き勝手に書いており、ときには否定的な内容も書いているので、そこはあらかじめ自己責任でご了承ください。
※1日の夜から配信があるようですが、新体制が本格的に始動する前にこの時思ったことを残しておきたかったので、とりあえずできる限り書き殴ったものです。そのため、体裁はもちろん、書き方のブレや微妙な表現もあると思いますし、僕も自分の考えを漏れなく丁寧に掬えたかと言われるとそうではない気もしますが、「始まって色々感じる」前に書いておきたかったので、そのへんはご容赦ください。

さて。
ジュリアの卒業ライブが終わりました。
ライブが終わる瞬間の感情の揺れ動きも、ひとたび会場を出ればなんだか現実味がない気がしたり、でもなんとなくずーーっとジュリアのことを考えていたり、そんなライブ後を過ごしています。
まぁ色々書いておきたいことはあるんですが、とりあえずライブの話からいきましょう。
正直、1日目がジュリア卒業の花道を飾るとは到底(僕には)思えないようなライブになっていて、卒業を迎えるライブでこんな気持ちになるのか……というくらいに自分に合わなかったため、2日目を迎えた時も、「ついにジュリアの卒業だ!」という感じではなく、むしろ「あれで終わっちゃうのかなぁ、、」とか、「え、このライブ2日目も見るの、、?」みたいな感情の方が大きかったのは否めません。
そこから最終的には、ラストで思いっきり泣きましたし、こうして振り返った今でもすごく素敵な空間だったと思えるような時間にはなっていたんですが、それと同時に、ライブ単体として引っ掛かるところがないわけではなくて、でもジュリアの最後を迎えた時のその感情があまりにも大きくて、なんだか自分でもどう書き始めたものかなぁ、という感じになっております。
まぁライブのおおよその部分は1日目が終わった後に書いた(書きぶりがひどいので限定公開にした)ので、ここでは省くところは省きつつ、まずはライブとして振り返っていきましょうか。
◯セトリ
・世界でいちばんアイドル
・トゥモロー
・ラヴなのっ
・LOVEイヤイヤ期
・夢がとまらない!
・ハピラブルー
(曲繋ぎ:1人ずつ出てきて煽りとか)
・初恋サイクリング(自転車ver)
・せきがえのうた(教室ver)
・リトライ、青春(教室ver)
・ドンフィクション
・さくら燦々
(幕間映像:ビクストのニューバージョンmvみたいなやつ)
・おはるソロ
・ジュリアソロ
・かなみんソロ
・ひとちゃんソロ
・ひよりんソロ
・菅田さんソロ
・最上級にかわいいの
(幕間映像:とき宣クイズで回答をそろえようみたいな)
・笑顔で超感謝
・JIRI JIRI
・絶対的主人公
・キラキラミライ
(MC)
・開花宣言
・きっとスタンダード
・GAMUSHARA
・超最強
・エンドレス
・ハートシェイカー
【アンコール】
・すきすきすきっぷ!(撮可)
・まごころ My Heart(撮可)
(MC)
・100%♡オレンジ
・きみと青春
・ビクスト
〇せかいち~ハピラブルー
1日目はいきなりビクストから始まりましたが、2日目はせかいちから。
僕はこの曲が全然好きではないし、それだけでなく、今日メンバーが卒業を迎えるこの日に「一生アイドルなんだから」という曲を歌うのも解釈違いではあるので、「ビクストのビデオまでは楽しいはずだから……!」的な期待をいきなり折られてしまったんですが、逆に言えば、この曲を最初に消化してくれたおかげで、後半にそういうノイズなく楽しめたような気もしています。(めっちゃ失礼)
また、日替わり枠で「夢がとまらない!」を回収してくれたのも良かったですね。
これもジュリア文脈を感じさせるというか、こうして今を駆け抜けるジュリアが歌ってくれたのが嬉しかったし、今日聴く意味があるな、と思いました。
〇初恋サイクリング~さくら燦々
そこから教室演出までは、1日目とだいたい同じ感じ。
なんか黒板に書く文字が変わってたとかどうとかあるみたいですが、アリーナでそのへんはあんまり興味ないので割愛。
特に変わったことがあったわけではないですけど、初恋サイクリングでジュリアにしっかりと「お前が一番」を届けることができるのも最後なのか、と思うと、楽しいはずなのになぜだか感慨深かったです。
ですが何と言っても、うん、ドンフィクションです!!!
僕にとってこの曲はすごくジュリアのイメージが強いというか、ジュリアが加入して僕がライブに通い始めた頃によく歌っていた曲ですし、何より、ばんちゃんが卒業して「超」体制になる中で、ジュリアが落ちサビを任されるようになった大事な曲でもあります。
僕は(ばんちゃんの落ちサビも好きだったけど、)ジュリアのあの落ちサビがすごく好きだし、あの変遷の中で落ちサビを任されるようになったのも、目覚ましく成長するジュリアの足跡を象徴しているように感じられて、いわゆる「推しパート」の中でも、個人的には別格に思い入れがあるシーンです。
ジュリアの一番好きなパートはここと言っても過言じゃないんですけど、ジュリアがあの大舞台で立派にこのパートを歌っている様子を最後の最後に見られたのがすごく嬉しかったし、でも少し泣きそうな、ちょっと震えた、詰まったような声色になっているのにもすごく心が動いて、ジュリアにとっても特別な思い入れがあるパートなんだなぁというのも感じましたし、これを見られたことが、僕は一番嬉しかったような気がしています。
……でも、でも、だからこそ。
ドンフィクションの落ちサビの入りってあの完全な静寂にすごく意味があるのに、「ジュリア落ちサビがんばってー」とかいうゴミクソみたいな声が聞こえてきたのだけは、すごくすごく残念でした。
もちろんそれでジュリアの歌声が毀損されるわけじゃないし、ジュリアに抱いている感情はなんら変わらないんですけど、本当に最後の、とき宣のジュリアとして歌う機会はもう二度とないこの落ちサビは、綺麗なまま味わいたかった。見届けたかった。
コールは原則として自由ですけど、あれはさすがに違うんじゃないかな。。。
まぁ1万人もいる中での1人だけの話なので、そいつがヤバいだけで宣伝部員がどうこうというわけじゃないけど、うん、空間が損なわれたのは許してないです。
あともうしょーがない話ですが、会場でコールがほとんどなかったのもちょっと寂しかったかな。意外とドンフィクションってあのコールが楽しいところもあるのよね、でもそれはもう過去の話か、というのも少し思ったかな。
と、悪い言い方で終わってしまいそうになりましたが、改めて、本当に、この曲を「最後」に聴くことができて、それが僕にとってはすごく大事なことでした。
その後は初日が「Springood!」でしたが、2日目は「さくら燦々」となりました。
まぁそこ変わるかな~、でもアレンジあったしどうやろなぁ、と考えていましたが、やっぱりこの2曲は入れ替えでしたね。
より思い入れがあるのは前者ですが、後者にももちろん感じるものはあるし、好きな曲だし、これは2日間合わせて両方聴くことができて良かったです。
ジュリアが歌詞をミスってたような気もしますが、そんな全部も今日この最後の瞬間の思い出になるんだな、と少し微笑ましく、そしてすごく晴れやかな気持ちで見守っておりました。
〇ソロ曲リレー
申し訳ないけど、やっぱりこのタイミングでソロ曲をやる意味がわからないです。
これのせいでライブが完全に1回切れたし、全体の構成としても意味不明だし、なんでこの場で、ジュリアが卒業するライブでこんなことをやろうと思ったのか、本当にこればかりはライブを作った人の神経を疑っています。正気か??????
いや、もう二度と披露する機会が訪れない、そして(事実上)主役のジュリアだけが歌うならわかるんすよ。
でもご丁寧に誕生日順に6人出てきて順番に披露して、それは今日やることじゃないだろ、というはこの日も思いました。
ジュリアのソロが段違いに出来栄えが良くて(推し補正かもしれない)、想いを込めて届ける様子も含めて「今日彼女が歌う意味がある」時間だったとは思いますが、他は誰もやらなくて良かったんじゃないかな、と今でも思います。
いちおう感想を書いておくと、
おはる
2日目の方が良かった気がする。でもそれくらい。
「冷め」は覆せないかなぁ。。
ジュリア
2日目はより想いがこもっていたし、しぐさや表情なども含めた「ミュージカルっぽさ」は1日目に引き続きすごく感じましたし、たった一人のステージで自分の曲を「表現」することができていたような感覚があります。(謎の上から目線)
アイドル活動はもちろん、ミュージカルなども通して培った「杏ジュリア」としての経験がこれでもかと詰まっていましたし、ジュリアの行く先は明言されていないですが、この2日間のジュリアのソロを見て、そういう道を進むジュリアも想像できたような気がします。
かなみん
別に誰がどうとかではなく、僕にとってはただでさえしんどいソロ曲リレー、しかも推しの2人がワンツーフィニッシュなので、正直ここからは身が入ってません。
(立ちもせず、座って序盤の感想をメモに書きつつぼんやり、という感じで見ていました。)
ソロの中では良かったというと失礼ですが、かなみんらしさがすごく感じられる雰囲気になっていて良かったと思います。
でも事前のガチ恋お願いがノイズになっちゃったのは否めず。
やっぱりガチ恋はオタクの自然な発露でやるものであって、ああいう経緯でのガチ恋は違うような……。
ひとちゃん
炎がいっぱい出ててあったかかったです。
あと炎が出ると明るくなるのでメモをとりやすくて良かったです。
あとなんか途中で映像が落ちてた気がする。初日からずっと不安定でしたね。
うーん、ひとちゃんのやりたいことをやると逆に魅力が伝わりづらいような印象というか……。よー知らんけど。
ひよりん
なんかコレサワ風味の曲だな~と思ってました。
もうほぼ聴いてないので感想がないです。
菅田さん
やっぱり露骨な特別待遇です。
パブりんによる呼び込み、メンバー全員からの「あきちゃーん!」……。
まぁこれからはこういう格差もつけていくんですかね?知らんけど。
でもこう、僕が菅田さんのことを好きじゃないのを差し引いても、申し訳ないけどソロパフォーマンスとしてのクオリティは低かったです。
音が被る場所でもないのにサビがほとんど音源で、申し訳程度に歌ってても音源の被せはめちゃめちゃデカいし、だからといってダンスが激強かと言われるとそうでもないし、いったいなんだったんでしょう、ほんとに。。。
(曲自体僕はこの2日間で初めて聴きましたが)ライブ映えするというか、曲調は明るいし盛り上がるC&Rも用意されてるし、正直ソロ曲の中ではすごく可能性がある気がするんですけど、だからこそなんかもったいない感覚がします。
僕はどちらにしろ菅田さんがハマってないのでNot for meですが、ステージのクオリティさえ伴っていれば、菅田さんのことがそれなり以上に好きな人にとってはすごく良い空間になると思うんですけどね。
(僕の仲良い菅田推しの方も「あれは……」って言ってて面白かったです)
と、いちおう書いておきましたけど、おわかりのとおり、全く乗れていません。
でもあれですね、初日で免疫ができたので、慣れのおかげで割り切って過ごすことができました。
初日はやっぱり「ライブの一部」として見ようとしていたので文句の1つや2つや3つや4つくらい出てきたんですが、2日目は「ジュリア以外は休憩の時間、前後半の間に余興をやってくれるなんてありがたいなぁ」という気持ちにマインドセットしたので、まだマシな気分で過ごすことができました。(おかしい)
ただ、おはるが初日に続いて2日目も
「あの流れの後でソロ(笑)」
みたいな発言をしてて、僕の想像ですけど、おはるもこれハマってないんやろなぁ、とは思いました。
まぁあそこまでキレイな流れでビクストの映像まで出てきて、それをぶち壊す先鋒がおはるになってしまっているので、立ち位置的におはるは特に「合わなさ」を感じるのかもしれませんね。
まぁ、うん、ジュリアの卒業でごまかされてますけど、こんな言い聞かせるような形で目を背けるようなライブ、普通に考えたらありえないです。二度とやらないでほしい。
……ジュリアがいなくなった後に何するかは、僕にとってもうほぼ他人事ですが。
〇ソロ曲後~キラキラミライ
ソロ曲から繋ぎの最上級は特に言うことないので省略。
幕間映像は質問内容は入れ替えてましたが、全員一致のやつ(テストできそう⇒ジュリア)は一緒でしたね。
まぁ色々撮った結果、一致したのがあれしかなかったのかなぁ、と思ってちょっと微笑ましかったです。
内容はそんな大したものでもないですが、ジュリアがシールについて「流行ってるから皆で楽しみたいだけで、私は別に欲しくない」みたいなこと言っててめっちゃ面白かったです。
ただ、「とき宣を漢字1文字で」って言われた時のジュリア(恋)が「恋と青春じゃん」って言ってて、ちょっと悲しかったです。ときめく何かはもう……。
そして、笑顔で超〇謝はやっぱり完全にNot for meです。
モニター一杯に「ニコニコ笑顔で超感謝」の文字が踊ってる安っぽさったら……。
まぁこういうのが好きな人は勝手に盛り上がってもらったらいいですけど、「ときめく恋と青春」のねじ込みとかもあるので、僕は遠慮しておきます。
ただこのブロックは、初日より明らかに2日目の方が良い選曲でした。
JIRI JIRIはライブで聴くとめちゃめちゃかっこいいし、何より、「絶対的主人公」は音源の段階でもすごく好きだったんですが、ライブでとき宣が持つ熱さとパワーが重なると、それ以上にめっちゃめちゃめちゃに良かったです。
まぁこんな形で2日に分けて、(後述しますが)撮可でやるだけで終わらせる曲があるくらいならアルバムお披露目ライブにするなよ、とは思いますし、ジュリアの卒業で1回きりの披露をして終わりみたいな流れも意味わからないし、ジュリアの卒業を飾るライブで明確に不必要な要素だと思いますけど、2日目に勝負できる曲を持ってきて流れ上ギリ許された感がありますね。
あと、うーーーん、キラキラミライはこの勝負どころで固定にしてセリフまで入れるような曲じゃないような気も。
メッセージ的に大事にしたい、というのはあるのかもしれませんが、ライブのテンションには合わんのう、というか。
〇MC
2日目のMCではそれぞれがジュリアに絡めた話をしたり、ひよりんの「杏さんブル」(表記知らない)を見ることが出来たり、やっぱり初日よりもジュリアの卒業感は強かったですね。なんだか良い空間でした。
〇開花宣言~ハートシェイカー
日替わりになるだろうというところが順当に変わりましたが、まさかラストブロックできっとスタンダードが来るとは……!
まぁ確かに今回のライブでは入れどころが難しかったような気もしますが、そんなことよりなにより、ジュリアと言えば、といっても過言ではないこの1曲を見ずに帰るわけにはいかないので、披露してくれて一安心です。
もしかしたら初日のユラグラブも、2日目にきっとスタンダードを入れる前提で対応する曲をはめたのかもしれません。(それなら両日やれよとは思いますが)
なんにせよ、これも「最後」に目に焼き付けることができて良かったです。
たしかやり始めた2022のツアーくらいからでしたっけ。
幕張の大舞台で見た時も本当に感動しましたし、ジュリアにとって代名詞ともいえるこの曲とも最後の時間を過ごすことができて良かったです。
そしてそしてそして、僕にとって、ドンフィクションと並ぶこの日のクライマックス、GAMUSHARA。
後述しますが、やっぱり僕にとってこのあたりの曲って「原点」なんですよね。
僕個人にとってそういう曲がこの場で出てくることが嬉しいのはもちろん、この時期の曲が「ジュリアのストーリー」として出てくるのも嬉しいし、それが自分となんとなく重なっているような感慨もあって、そんな全部をひっくるめた感動を盛り上がりに変える、本当に素敵すぎる時間でした。
少しずつとき宣のライブに行き始めた頃にライブハウスで聴いたGAMUSHARAを思い出しながら、ときクリで聴いたGAMUSHARAを思い出しながら、全力で盛り上がりましたし、もしかしたらGAMUSHARAで盛り上がったこの瞬間こそが、たくさん積み重ねた時間の長さをもっとも感じた、そしてその「最後の1回」を迎えた実感がもっとも強かった瞬間かもしれません。
こう書いてて思ったんですけど、もしかするとGAMUSHARAやドンフィクションは、ここ数年で披露される機会が決して多くなかったからこそ、僕にとって2018年末や2019年を象徴しているというか、そのイメージが強く残ってるのかもしれませんね。
僕のストーリーと言う点では、この2曲がジュリアのラストライブで披露されたことにはとてつもなく大きな意味がありましたし、だからこそ、この日のライブでも(最終盤の情緒は別扱いとして)もっとも印象に残った瞬間のひとつになっています。
そこから、初日はガンバからの超最強でガックリと来て、この日もわかってはいましたけど、こうして高まってからの練り歩き超最強は落差が激しいですね。。
僕の好みじゃないというのもあるんですけど、超最強が曲としてそんなに熱くなれない上に、アリーナでの撮可ってすごく席に左右されるというか、基本的に虚無寄りの時間になってしまうし、推しが見えなくなったらもうなおさらです。
この日は運良くスタンドの良い場所にいたのでまだマシですが、それでもやっぱりこの曲&練り歩きはちょっと渋いのは否めません。結局僕は、練り歩きで近くに来てどうこうじゃなくて、ステージでの全力のパフォーマンスを見たいんだな、と最後にも改めて感じました。
ただ続くエンドレスは、ここまでの流れが初日より良い感じだったこと、そして練り歩きを楽しめる距離感の場所にいたことで、初日とは全く異なる楽しみ方をすることができました。
ジュリアが2番Bメロで割と近い方の通路を通ってくれたので、全力でペンライトを向けながら被せコールを出来たのも良かったですね。
ただ逆に言うと、アリーナの下手な場所にいたら、ジュリアが歌う最後のエンドレスの大事な名前コールで本人を視認することすらできなかったのかと思うと、助かったというか、やっぱり釈然としないというか。。。
何につけても「最後の」になってしまうこのライブで、文脈が重めの曲をただの練り歩きで消化するのはちょっとうーーん、とは思いますけど、僕自身は運にも恵まれ悔いなく楽しめたので満足です。身勝手だけどね。
そしてラストはハートシェイカー。
初日はこの時点で完全にライブの蚊帳の外だったので全然楽しめませんでしたけど、この日は心の底から楽しむことができて、感慨深くもあり、でも最後のハートシェイカーだから全力を出し、という、なんだか感情の振れ幅がすごい瞬間でした。
初日はガチ恋も言う気になりませんでしたけど、この日にちゃんと心の底からのガチ恋を叫ぶことが出来て良かったです。悔いなく終われました。
〇アンコール開始~撮可
トイレに行って帰ってきたら、いつものアンコールではなく「ジュリア」コールでしたね。
その後のMCやSNSでもジュリアコールへの感謝が語られていましたが、うん、個人的には全くもって無しです。
本編後のアンコールはある意味予定調和というか、この後も6人で出てくるのがわかり切ってますし、あとなんて言うかな、この時点ではまだ、僕はジュリア1人が見たいわけじゃなくて、ジュリアがいるとき宣を、とき宣がいるジュリアを見たいというのもあります。
アンコールでジュリアコールをしてる人たちは、じゃあ他の5人が出てこずにジュリアだけ出てきたら満足するんですか?だってあなたが呼んでるのはジュリアだけですよね??というのは正直思います。
ダブルアンコールなら(それ自体に賛否はあるけど)まだジュリア個人を呼ぶのはわかりますけど、あの段階でのジュリアコールは、うーーん、なんか僕は全然乗れませんでした。
中には「メンバーが喜んでたからいいじゃん」という方もいるかもしれませんし、その考え方もそれはそれで自由ではあるんですけど、少なくとも僕にとっては、推しが言ってたらそれがすべて正しいというわけではないというか、推しと言えども僕の哲学や趣味嗜好と一致しないことは普通にあり得るので、推しが喜んでようが、僕の哲学に合わないものは合わないです。
あとこれは僕個人の好き嫌いにすぎないんですけど、ジュリアを推してるわけでもない人が、ここぞとばかりに紫のペンラでジュリアを呼んで一体感()を出して、というのも、普段のMCの挨拶でペンラの色を変えるような軽薄さで安易に乗ってきてる感があって好きになれないです。
SNSで色々と知った風な口をきいてる人たちを見て思ったこととほぼ同じなんですが、なんか、わかった風な顔でジュリアのストーリーの真ん中にただ乗りされてる気分というか。まぁこれは僕が変に排他的なだけなのかもしれませんが。。。
と、本筋からずれてしまいましたが、撮可はすきすきすきっぷとまごころ。
まぁ正直なんでもいいですが……。
もともと撮可が好きじゃないし、アリーナでの撮可なんかよっぽど良い機材を使ってるか場所に恵まれた人以外は完全なる虚無なので、アリーナでの撮可は本当にやめてほしいなぁ、と最後まで感じながら、でもこうして練り歩いて客に会いに行くジュリアを見られるのも最後か、というのもあったので、基本はジュリアの様子を見ながら過ごしていました。
まぁ特にそれ以上変わったことはないんですが、ひとつ思ったのは、アルバム新曲である「すきすきすきっぷ」の雑な使い方。
今回はアルバム収録曲が多く披露されるライブでしたが、リリースのタイミング上、「6人で収録した曲なのに、6人で披露する場所がもうここしかない」という曲がたくさんあり、すきすきすきっぷもその一つでした。
ぶっちゃけ、よっぽど文脈がある曲ならまだしも、通常の曲の6人Verがこの1回きりでお蔵入りというのは曲の扱い方としても全然良くないし、曲を作った方に対しても割と失礼だと思うんですけど、しかもその「1回」が撮可の練り歩きで終わるというのは、ちょっと本当にあり得ないです。失礼ですし、自分たちの「楽曲」としてあり得ない使い捨て方なんじゃないかな、と。
これから5人で披露していくのかもしれませんが、じゃあこの6人でのアルバムとして出すべきじゃないです。
これまでも、最近はかなり楽曲の「使い捨て」感はあって、(好き嫌いはさておいて)じゃあルールブックの曲をどれだけやった?ライブで育てようとした?という話で、最近はとにかく数を出して目ぼしいやつだけ残してあわよくばバズって、みたいな流れになっている気がしています。
その極めつけがこれというか、そんなやり方だから曲が育たないんだよ、と、最後に引っ掛かってしまいました。
僕が今好きな楽曲のうちのいくつかも、ライブを通して好きになったり、ツアーを一緒に駆け抜ける中で愛着が生まれたり、そういう体験に紐づいているものがあるんですけど、今の扱い方だと好きになることも難しいです。
「ジュリアがいる現体制最後のアルバム」と銘打って出したアルバムの収録曲なのに、ジュリアがいる状況で披露されるのが卒業ライブの撮可練り歩き1回だけ、というのは、楽曲そのものに対しても失礼ですし、ジュリア推しとして、「最後」のアルバムをそんな扱いで出してほしくなかったのが正直な気持ちです。
うん、そこがでかいかな。
「ジュリアがいる最後のアルバム」で、「ジュリアがいる最後のライブ」で、そういう曲の扱い方をしてしまう、そしてそれを大事な大事な卒業ライブにねじ込む、というのが、個人的にはすごく引っ掛かってしまいました。
でも鮪さんも、せっかく対バンまでやってくださったのに、下書きもほぼ丸きり披露してないし、すきっぷもこれだし、心境はいかばかりなんでしょうか。知らんけど。
〇MC
これまた愚痴が続いてしまいましたが、ここからのジュリアの挨拶はすごくすごく素敵でしたね。
初日はかなりあっさりすませていましたが、この日はよりたくさんのことを語ってくれたり、メンバーそれぞれに感謝を伝えていたり、ここで一気に「卒業」が襲ってきたような感覚がありました。
思ったことを全部書くとあまりにキリがないので五月雨に書きますが、まずぶっちゃけて言うと、ジュリアは卒業が近づくにつれて「宣伝部員さんはすごい!」「自分を大事に生きて」といった話をしてくれて、今回もそういう話をたくさんしてくれましたが、それが正直僕にめちゃくちゃ刺さっているかと言われるとそうではないんですよね。
いやもちろんありがたいし、「あの幼かったジュリアが、こんなに自信を持ってステージから主体的に語り掛けてくれている」という感動もすごくあるんですけど、なんて言ったらいいかな。
そもそもの論点として、僕がアイドルを見て生き方や考え方を変えるのはあくまで「僕が彼女を見てどう思ったか」という話であって、アイドルから「あなたはこういう人です、こういう素敵な考えを持ってください」と言われるものじゃないというか。
ジュリアがアイドルとして生きる様を通して色んな感情を抱いて、それが僕自身の生き方に多大な影響を与えているのは確かですけど、それは僕が勝手に受け取って勝手に考える話、みたいな。
うん、うまく言えないですけどそういう感じです。
まぁあと最近はジュリアがこういう発言をするのが多かったこともあって、それに対するアンサー的なものは長文の手紙の中にしっかり書いておいたので、自分の中ですでに一旦の区切りができていたというのもあるかもしれません。
なのでどちらかと言うと、ジュリアがメンバーに語り掛ける時間の方が、ジュリアがアイドルとして生きた人生を感じられて、そこで急に泣いちゃいましたね。
まぁそこもある意味ジュリアらしくて、かなみんに対して「優しい子だから」みたいな感じで語り掛けてた時点で、感動しながらも謎の俯瞰的(やや上から感もある)な語り口に思わず笑ってしまって、ひよりんに対して「埼玉いち」と言って訂正されてるのも絶妙におかしくて、でもそれらにもジュリアらしさを感じて切なくなって、なんだかその全部をひっくるめた時間が「ジュリアの卒業」って感じで、うん、こういう時間はベタと言えばベタなんですけど、やっぱりすごく良いものでした。
あと余談ですけど、おはる推しとしては、岩みたいな顔をして泣いているおはるにこれ以上ない「おはるらしさ」を感じてすごく愛おしかったというか、この場でこうなってるからおはるなんだよな、と、少し笑ってしまいながらもすごく温かい気持ちになりました。
ただこう、会場も結構な笑いが起きていましたが、あれはなんというか「おはるらしさ」に対して微笑ましい気持ちになるものであって、「めっちゃ泣いてる!ウケる!」みたいな話ではないので、なんかそこをあまりに軽々しく扱うのは違う、ような気もします。
それ以外だとなんでしょう、上でも少し触れましたが、ジュリアはすごく俯瞰的な目線でメンバーにお話をしてらっしゃってて、やっぱり賢いなぁというか、当事者でありながらも「この子は頑張りすぎちゃってる時がある」とか、そういう少し引いた目線を持っているのはジュリアらしさであり、とき宣における「他にはない」強みだったんだろうな、と、外から見てる限りではありますが、改めて感じました。
こういう客観的な冷静さと主観的な自由さを併せ持っているのがジュリアだよなぁ、と、なんだか偉そうな評論家っぽいこともちょっとだけ思いながら見守っておりました。
そしてそれと同時に、少し客観視した話をする一方で、ごくパーソナルな部分とか、いわゆる「人として」繋がっている部分はこういう場所であまり出さないのも、それもまたジュリアの「らしさ」を感じました。
きっとジュリアは個人の気質としても、「アイドル」としても、ジュリアの基準で線を引いているところがあって、ジュリアなりの考えで、この場所のアウトプットはこういう形になったのかな、と僕は勝手に感じています。
(もちろんその通りとは限らないので、あくまで僕の妄想ですが……)
〇100%♡オレンジ~きみと青春
そこからは、「同じ色にしましょう」というおはる(だったっけ)の言葉とともに、久々のオレンジが披露されました。
あとで話を聞く限り、配信で見てた人が「ペンラの色を合わせてない人がいる」みたいなことを言っていたみたいですが、ライブ会場で見る限りではそんなことは一切感じず、まさに僕の思う「100%♡オレンジ」の光景が広がっていました。
言うまでもなくとき宣に関わる人全員にとって大事すぎる曲ですが、僕にとってはSSAでその意味が大きく損なわれた気がしていて、そこからはもう自分の中で半ば封印していた曲でした。
あの時は、長く目標にしていた場所でこんなライブかよ、という状況で、しかも自動制御のペンラで全然100%じゃない光景を見せられて心底絶望していて、この日のビクストの映像も、SSAの話が出てくると少し腰を折られたような気分になり、ジュリアの瞳に映るオレンジのペンライトも、「でもSSAであんなんやったやん」と少しブルーな気持ちになり、という形で、文脈上無視できないくらいの黒歴史だったんですが、この日のオレンジで、良い形に上書きできた気がします。歴史修正というやつですね。
ジュリアのラストライブとなるアリーナで、オレンジ色に染まる景色を見ることができて、見せることができて、悔いなくやり切ったな、という感じがします。
そしてその後はきみと青春。
このあたりはもうジュリア卒業の熱量というか、勢いというか、情緒というか、そういうのがものすごいことになってて、語ろうにも語れません。
色んな感情を乗せてやり切った、それしか言えることがない。
比較的新しい曲ですけど、これももはやとき宣にとっての代名詞ですし、ジュリアが走り抜けた、ジュリアとともに走り抜けた「青春」の総括として、すごく美しい盛り上がりでした。
〇ビクスト
ラストの曲前は、曲間のBGMがある状態で部長であるかなみんが思いのたけを語ってくれましたが、言葉を詰まらせながら、でも実直でまっすぐな思いを伝えてくれるかなみんに、すごく心が動きました。
ライブ後半は僕はもうほとんど全てジュリアにフォーカスしていたんですが、この瞬間は、かなみんが伝えてくれる想いがすごく大切で、ジュリアのみならず、とき宣にとってこれ以上ないくらいに大切な一瞬でした。
普段はかなみんがMCや煽りで出てくることはむしろ少なくて、でもこの大事な大事な節目であんなに素敵な、言葉もその姿も含めてすごく尊いものを伝えてくれるかなみんはやっぱりとき宣の「部長」だなと思ったし、本当に、本当に、本当に感動しました。
正直な話、僕はここ最近のとき宣が掲げている「紅白」に全く同調することができていなくて、かなみんがここで話した「夢」もおそらくそこを念頭に置いているでしょうし、その部分で心から乗れているわけではないんですけど、でもこの瞬間にかなみんが、とき宣が見せてくれた輝きはたしかに「とき宣らしさ」に溢れていて、このほとばしるような光がとき宣のとき宣たる所以なんだよな、と思いました。
あと少し話はずれるんですが、(これまでも節々で感じていましたが、)この日のかなみんの挨拶も「叶えたい夢がまだまだいっぱい!」というよりは、「個別具体的な『この』夢があるから」という雰囲気の方が強くて、これはあくまで僕個人の主観ですけど、とき宣がとき宣として活動する時間ももう終わりが近いのかもしれないな、というのも感じたのは否めません。
もっとも、この先どうなるかなんてわからないですけどね。
また、「夢」に関連して言うと、
ジュリアがいるとき宣で、武道館のワンマンライブをしてほしかったな、と、そんなことはちょっと思いました。
とき宣がずっと目標に掲げていた武道館。
今のとき宣であれば「立とうと思えば(少なくともキャパ的には)立てる場所」だと思いますが、でもだからこそ、ジュリアが加入していた当時にとき宣が掲げていた「夢」を、ジュリアがいるとき宣が実現してほしかった、ジュリアが武道館のステージに立つ姿を見たかった、というのが本音です。それが唯一の心残りかな。
ふう、考え事が多すぎて、すぐ話が逸れちゃいますね。
最後はビクストだと思ってはいたものの、かなみんが「皆のこと、すきー!?」って感じで煽るので、念のため、と思って「すきっ!」の準備はしつつ、でもやっぱり最後はビクスト。
ジュリアがラストに披露する曲としてこれ以上はないでしょう。
まさに大団円というか、万感のビクストになりましたし、今までのどのビクストとも違う意味があって、本当に、この曲とともに生きて、この曲とともに終わったな、という気すらしています。
ありったけの想いを込めてコールして、でも本当に「終わってしまう」というか、もう二度とアイドルの杏ジュリアにコールできないのだと思うと、楽しくも苦しく、でも忘れられない、大事な時間になりました。
もうここは言葉で伝えることが野暮というか、どう頑張っても言葉にはできないのでこれ以上は語りませんが、全ての想いが詰まったラストでした。
最後のお手振りタイムは、なぜだかわからないけど、たくさんの想いを抱えすぎて、ただ見ているだけで終わってしまいました。
最後にジュリアにアピールしよう!とかたくさん手を振ろう!とかそういう気持ちも一切なく、終わってしまう時間が訪れてしまったことをただただ受け止めていて、ジュリアに対して手も振れずに見届けることになりました。
そして最後、これももう全然うまく言えないんですけど、ジュリアがステージから去ってしまった瞬間、もう二度と戻ってこないんだ、あの時間はもう永遠に終わったんだ、という気持ちでいっぱいになって、「いなくなったステージ」を見ると涙が止まらなくなって、普段は何でもない終演後のステージなのに、この日はなかなか目を離すことができなくて、それがある意味で一番「卒業」を感じた瞬間かもしれません。
後悔しているとか、まだ続けてほしいとか、そういう心残りがあるわけではないんですけど、人生の中心にあり続けた人がいなくなった、そのステージが終わってしまった、という瞬間を前にしたら、それはやっぱり色んな想いで胸がいっぱいになりますね。
でも一度会場を出てしまうとそれすらもちょっと現実味がないというか、そんな不思議な感覚がありました。
「呆気ない」とは違って、もちろんずっと考えてはいるんですけど、その空間から出ると急に現実離れしたというか、うーーーーん、これも表現が難しいんですけど、なんとも言えない感情でした。
それもまた「卒業」を見届けた大事な感情ではあるんですが、自分が今までに味わったことがないような感覚で、なんとも形容しがたい心持ちで会場を後にしました。
……というわけで!
ライブの流れに合わせて感想を書きましたが、色んな話をしていたらすごいことになってしまいました。
ここから、ちょっとしたこぼれ話から改めて触れておきたいことまで色々と書いとこうと思います。
〇
やっぱりパブりんは出しゃばりすぎだったかな、、
OP、曲繋ぎ、超最強、、、それ以外にもいろいろと登場してきましたが、「6人」のライブにこうも多く割り込まれると不快感があるし、それで盛り上がってる客席の謎ノリもしんどかったです。
最終盤でもメンバーを慰めるように近づく場面がありましたが、あそこはメンバーの感情や一挙手一投足を受け止めたいので、本当に出てきてほしくなかった。ノイズでしかなかったです。
「12月〇日はときクリだよ!」しか言えないころが一番良かった。自我を持ちすぎると良くないですね。
〇
そういえば、人生最幸のメロディはやりませんでしたね。
ジュリアの歩みを象徴する曲のひとつだと思いますが、テーマ的に違うと判断されたんでしょうか。
別に「やらなかったから良くないライブ!」というわけじゃなくて、僕は最終的に満足しているので構わないんですけど、ああ、やらないんだ、とは思いました。
あと、そりゃジュリアのラストにやってほしかった曲はいくつもありますけど、パッと思い浮かぶものとしては、初日に撮可で「すきっ!」をやった分、最後にステージでのパフォーマンスを見たかったというか、1サビラストのジュリアの姿を見たかったし、そのジュリアに向かって思い切りペンラを向けたかったな、というのは思います。これも構わない話ではあるんですがね。
〇
ライブで大事なのはその場の発露だよな、と思ったことが2つありまして。
1つは、普段絶対に被せコールをしないというこだわりを持つ連番相手が、エンドレスとかで全力でジュリアの被せをしてたんですよね。
後で本人と話して、やっぱりそれこそが「ライブ」というか、もちろん哲学やこだわりがあってもいいけれど、それを頭でっかちにこなすだけじゃなくて、ライブで感じた自分の感情や衝動が時にそれを超えていくのがライブだし、もっと言うと、ライブで大事なのはそういう「感情」だよね、と思いました。
連番相手とビシッと揃った被せコールの気持ちよさ、最高でした。
そしてもう1つは隣に座っていた男性の方。
最初はコールとかをされている様子はなかったんですけど、最終盤で会場の熱が高まり、僕の勢いもえらいことになり、おそらくその方の内心も高まりが生じた結果、慣れないながらもコールについてくる、コールをしている瞬間があって、それってすごく「ライブ」だよな、と思いました。
別に初めから完璧にコールができる必要は全然なくて、ライブを観て「こうするんだ」と思ったり、こうした高まりで一緒にやってみたり、それぞれがそういう「ライブでの体験」を積み重ねて、自分なりのスタンスやコールが出来ていくのだと思うので、それがなんだかとても素敵でした。
また、こうして隣が乗ってくれて僕も楽しかったです。感謝。
(ドンフィクションの項でコールの薄さを嘆いた僕ではありますが、それはあくまで全体の空気の話で、慣れない人がコールできないことに対して不快な気持ちになるとかは全然ないです)
(どちらかと言うと、「俺らガチやから」みたいな感じを出してるのに全然出来てない方がイラっとします)
〇寄り添うということ、「わからない」ということ
こんな僕にも連番相手というものがいまして、小学生の頃からの付き合いなんですけど、終演後にずーっと泣いてる僕のことを、変な声かけもせずに、何なら待たせていると思わせないように、ゆっくりステージの写真とかを撮って待っててくれたんですよね。
それってすごくありがたいことだなぁというのは人として感じたし、オタクとしても、小手先でない寄り添い方だなぁと。
すごくドライなことを言いますが、ジュリアの卒業ライブにおいて、ジュリア推しの人の気持ちは他メンバー推しの人にはわからん、と思います。
そりゃ同じとき宣を応援している人同士ではありますけど、推しが卒業するというのはそれだけ大きいことで、それについて、他推しの人は絶対的に「当事者」にはなれないんですよ。
わかった風な顔で色々と語ったり、こちらの気持ちを知っているかのように慮ったり、偉そうに物申したり、というのは全く芯を食っていません。
せいぜい「色々考えてるね」くらいまでが共感の限度で、それ以上のディティールはなかなか安易に踏み込めないものだと思います。
そういう意味で、終演後の僕が抱いている感情に安易に「辛いよね」などと寄り添うわけでもなく、無遠慮に急かすわけでもなく、「ただ待つ」というのは、一番「わからなさ」を尊重している振る舞いだと思いますし、僕にとって大事な時間を噛みしめることができたのは、そういう配慮もあってのものだと改めて感じています。
……と、ここまでは良い話なんですが。
これは良い意味での「わからなさ」であって、悪い意味での「わからなさ」に、最後の時間を台無しにされました。
僕が終演後にぐずぐずと泣いて、でも連番相手も写真撮ってるっぽいとは言え長い時間待たせているのは事実だし、何よりこのままずっと空っぽのステージを見てもキリがないと思ってなんとか席を立って、でもすぐには切り替えられず少しだけ動き始めた時に、本当にそういう機微を一切「わかってない」ひよりん推しっぽい女性ペアが「写真撮ってもらっていいですか?」とかいう声をかけてきたんですよ。
動き始めるまでに少しぼんやりしていた時も、視界の端でひよりんのうちわを持って写真を撮ってる人がいて、(自由ではあるけど)ジュリアがいなくなった直後にそんなことできるんすねえ、とは思ってたんですけど、あろうことか、今日この日に、紫のパーカーを着た人に、さっきまでずーっと泣いてた人に、そんな声かけしますかね。
まぁ僕が泣いてたのを視認していたかは知りませんが、このライブで推しが卒業してしまった人に対して、「写真撮ってもらっていいですか」なんて無遠慮な声かけをするのは本当に本当にあり得ないと思いますし、僕にとって大事な最後の時間を汚されて、本当に腹立たしかったです。
断る気力すらほとんどなく曖昧に手を横に振って終わったんですが、僕が元気ならぶん殴るか怒鳴るかしてました。冗談でなく。
現場慣れしてるとかしてないとかの問題じゃなくて、このライブを観た後にジュリア推しに対してそれを言える神経がマジで1ミリもわからないし、仲の良い連れがこんなに配慮してくれたおかげで噛みしめられた最後の時間なのに、そこに土足であがりこまれたのは、なんか本当に残念でした。
あんなカスのせいで損なわれたと思うのも嫌なので気にしないようにはしていますが、僕は「最後」の瞬間を振り返るたびに、あ、なんか配慮の無い声かけされたな、という記憶がくっついてくるのは、なんか砂をかけられた気分です。
ジュリア推しにとってはひとつひとつが色んな意味で特別な、そして「最後」になる瞬間だというのがわかっていれば、そんなことしないと思うんですけどね。
これも全体に適用される話でないのはわかっていますけど、でも、「こういう現場」だという印象は最後に残ってしまいますし、まぁ悪し様に言っちゃうと、そういう写真を撮るくせに配慮がないんすね、あ、そういう輩だからこの程度の機微もわからんのか、という感じです。
普段から色々と文句を言いがちな性質ではありますけど、これは僕個人に直接の害がありましたし、なんか、ライブの合わなさとかとは全く質が違うお気持ち表明ですね。
〇僕のストーリーと、ジュリアのストーリー
ライブの感想で折に触れて書いていますが、やっぱり僕にとって、ジュリアの加入とほぼ同じタイミングでとき宣を見始めて、そのストーリーに重なる部分が多くあるというのは特別な意味を持っていましたし、だからこそ、この日のライブがより一層大事なものになったのだと思います。
もちろん完全にイコールではなくて、アニ玉祭も僕は見に行ってないし、本格的なワンマンという意味では舞浜でのときクリがジュリアにとって初の大舞台でしたけど、たしかそれ以前にもライブハウスでのハロウィン企画ライブみたいなのがあって、すごく厳密に言うと、ジュリアにとっての初ライブのステージも、初の単独ライブのステージもその目で見ているわけではありません。僕が舞浜での初ライブに臨んだ後も、アイドルオタクの入口も入口にいた僕にとっては、ジュリアの生誕ソロライブに行くなんて発想はカケラもありませんでした。
でもやっぱり、舞浜でのときクリはジュリアにとって加入間もない時点での、初めてといっていい大舞台でのワンマンライブで、そこから続くCDリリースやリリイベもジュリアにとっては初めてのことで、そこから中野サンプラザで涙を流すまでになって、きっとその期間はジュリアにとってすごく思い入れがある、そして原点となる時期だったと思います。
そしてそのタイミングでとき宣のライブに行き始めた僕にとっても、2018年末から2019年にかけて経験した色々な出来事やライブでの「楽しさ」は確かに僕のオタクとしての原点になっていて、ジュリアのアイドルとしての歩みと僕の宣伝部員としての歩みが重なる部分があると、僕は勝手に思っています。
この「『初めて』を積み重ねた原点」という意味では、ジュリアが加入するより前から応援している人とも、ジュリアが加入してしばらく経ってから応援し始めた人とも、僕は違う見え方をしていると思っていて、そのコアの部分がジュリアと重なっているということは、僕がとき宣を応援するうえで大きな意味を持っていました。
(僕はとき宣に出会うまでアイドルを応援したことがなかったので、そういう意味ではなおさらです)
当時は現場に行く回数は全然多くなかったし、中野まではそこまでガチな感じでもないライト層ではありましたけど、それでも、僕にとっての「初めて」がたくさん詰まっているステージにはまだまだあどけないジュリアがいて、ジュリアもそこで色んなことを経験して成長していて、(勝手に思っているだけですが)僕にとっての「初めて」とジュリアにとっての「初めて」が少なからず重なる部分があるような気がしています。
と、ライブの本題から少し外れてしまいましたが、この日のライブでは、「ドンフィクション」に「GAMUSHARA」と、当時のイメージがかなり強い曲が披露されましたし、そもそもビクストもジュリアが加入して最初の、この時期のシングルだし、本編終わりのハートシェイカーはビクストの両A面だし、少なからず当時を思い出すような選曲になっていて、この時期がフィーチャーされているような感覚がありました。
これらの楽曲を最後に聴けたこと自体がありがたかったのはもちろん、ジュリアの卒業ライブで「ここ」がしっかりと重みを持っていたということがすごく嬉しかったんですよ。
ドンフィクションでは涙をこらえながら気持ちをこめて歌っているような雰囲気もあって、ああ、ジュリアにとってもこの時期がすごく大切だったんだろうなぁ、と(勝手に)思いましたし、推しの卒業ライブという場に際して、自分が大事にしている原点がこうして重みを持って出てきて、ジュリアにとっても大きな意味を持っていたのだと思うと、それはものすごく幸せなことだなぁと思います。
自分にとって大事な時期がライブにおいてポイントになるなんてそもそも滅多にないことですし、それが推しの卒業ライブで、推しと自分の大事にしているものが重なるような形で見えるというのは、本当にオタク冥利に尽きるというか、ね。
「好きになる時期はなるべくしてなった」という考えではいるものの、ほんの少しだけ「もっと前にこうなっていたら、もっと前にこれにも興味を持って行っていたら」という気持ちも、これまで全くなかったとは言いません。
でもそれも完全になくなったというか、大切な推しの卒業ライブにおいて、自分にとっての原点をこれ以上なく幸せな形で感じることができて、運命という言葉は安っぽいこじつけな感じがしますけど、でも、このタイミングで好きになって、この歩みで進むことができて、心の底から良かったと思います。
もちろんそうじゃない人に価値がないとは言いませんし、何をどう感じるかは人によってそれぞれなので、全ては人によるものですけど、少なくとも僕個人においては、この歩みにすごくすごく大きな意味がありましたし、ただ単なる「点」ではなく、とき宣と出会ってからの全ての時間が、このライブで報われたような気がしています。
ただだからこそ、本当にやり切っちゃったなぁと。
10周年の夏ツアーで色んな曲を久々に味わって、最後の城ホールで一度成仏して、コロナ禍の「あの楽しさをもう一度」みたいな心残りもなくなって、そこからどうなるか見えない部分もあったんですが、このライブでようやく、自分の全ての歩みが一区切りついて「しまった」気がします。
もちろんおはるがいるのは事実ですし、とき宣のライブで味わう楽しさは他には代えがたいし、ライブにはそこそこ行くとは思いますが、自分のストーリーはもう本当に終わってしまったな、と。
まぁこれも想像の世界ですけど、例えばじゃあおはるが卒業とか、とき宣が終わるとか考えた時も、ここまで「自分事の原点」が重なることってもう無いと思うんですよ。
さっき、
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この「『初めて』を積み重ねた原点」という意味では、ジュリアが加入するより前から応援している人とも、ジュリアが加入してしばらく経ってから応援し始めた人とも、僕は違う見え方をしている
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と書きましたけど、これは逆もまた然りで、例えばとき宣の活動初期や大宮の時期に「原点」があるのであれば、その時期の曲やストーリーが完全に自分事になりますけど、例えばじゃあおはるの卒業でときサマやります!と言われた時に、僕が思い浮かべているときサマの絵と、おはるにとってのときサマの絵は、どうしても最終的には合わないように思います。
これは夏ツアーの大宮公演が発表された時にも思ったことで、メンバーが「大宮で!」という反応を見せても、僕にとってはどう頑張っても自分事にはならないんですよ。
そして(卒業などという節目だけでなく、)こういう「自分事」というか「同じ絵を見ている」というか、そういう感覚がまだ今もあったのは、ジュリアがステージにいたからです。
ジュリアにとってのストーリーと僕にとってのストーリーが重なる部分があるからこそ、原点が感覚的に繋がっている部分があったんですけど、そこはもう完全になくなるのかな、と。
もちろんそれが必要条件というわけではなくて、それがないからといって応援できない、みたいな話では全くありません。
そんなん言い出したら「重なってないと応援できない」みたいな意味不明なことになっちゃうからね。
でもこととき宣に関しては、ある程度自分の中でやり切った感覚があって、その中で自分を繋ぎとめていたのがこうした部分だったのかな、という気がしています。
「最後まで見届けたい」という気持ちも、もちろんとき宣やおはるにだって抱いていますけど、「(ほぼ)最初から最後まで」になるという意味では、ジュリアに対してより強い、特別な想いを抱いていたのは事実です。
なのでこれからどうするかと自問すると、安易に「これからも応援します!」と言い切れないのは否めません。
ジュリアは「これからもとき宣を応援してね」みたいな感じでしたけど、こればっかりは僕の感情の話なのでね。
まぁでもそれもこれも、実際に時が経たないと、先を見てみないとわからない部分ではあるので、あんまり決めつけすぎずにいきましょう。
少なくとも切迫感みたいなのは無いので、逆にそれを良い意味で捉えて、のんびり構えながら、自分の心が動くままに楽しめたらいいかな、と思います。
長くなってしまいましたが、いったんこんな感じでしょうか。
(ジュリアに対する想いや感謝はもう別で書いてるので、今回はライブを受けた感情の整理だけです)
でもまぁなんだか書ききれていない気もするので、何かあれば加筆修正するか、あるいは別にまた書こうかと思います。
なんにせよ、とき宣にとって、そして僕にとって、これで一区切りです!
7年と3ヶ月、ジュリアを推してからは6年と3ヶ月、本当に幸せだったし、人生においてずっとずっと忘れることはないし、これからも人生を歩んでいく上で、この期間の色んな思い出や感情にたくさん支えられるんだろうな、と思います。
いったん、お疲れさまでした!