ジュリアの卒業が発表されてから、色んなことを考えて、

この間のブログではその日考えたことをとりあえず書きまくって、

でも結局考えることはたくさん出てきて、ずっと落ち着かない毎日です。

あんまり寝れないし、なんかわからんけどめちゃめちゃ胸が痛くて(物理)、

人間のストレス反応って不思議だな~と思ったり、

本当に胸が痛くなるから「胸が痛い」って慣用句ができたのかな~と考えたり、

自分でもよくわからん状態です。

 

 

前に話したとおり、それ自体を受け入れていない訳ではなくて、

明確にしんどいことがあってこうなってるわけでもないんですけど、

別れの時をいざ目の前にすると、なかなか難しいものですね。

 

 

 

 

 

 

で、まぁやっぱり悶々と考えてるだけだと整理がつかないので、

またしてもここに書きなぐっているというわけです。うん。

でも考えとしては一歩進んだ感というか、

ジュリアの卒業そのもの自体に対する受け止めができてきたのはもちろん、

それに対する周囲の反応に対して思うことがあったり、

もちろん僕自身ももう少し広い範囲に考えが及ぶようになった気もしていて、

こうして色んなことを整理できていくのかな、と思います。

 

 

 

 

というわけで今日も好き勝手に書いていこうと思うんですが、

前回の話と重複する部分があるであろうだけでなく、

卒業を受けたもろもろのリアクションに対して思うところがあったりもするので、

人によっては気分を害するかもしれません。

でもそれも含めて僕は僕の考えを残しておきたいので、

申し訳ありませんが、そのへんはご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

ふう、なんだろう。

僕はやっぱり「もっと見たかった」とか「やめないで」とか、

そういう心残りはあまりないかもしれません。

いやそりゃもちろんこれからも見ていたい気持ちはあるし、

ジュリアの卒業後に正常な気持ちでライブを観れる気もしないですけど、

それは前回のブログで触れたような「納得」を超えるものではなくて、

そういう意味で「心残り」が上の方に出てきていないだけなんだと思います。

 

「これをやりたかった」というのでまず出てくるのは、

いわゆる無印時代にもっと特典会に行く自分だったら良かったとか、

ああいう空気の特典会を経て関係を作りたかったとか、そういう部分ですけど、

それも巡りあわせと言うか、

僕は僕がオタクになるべき時にオタクになったんでしょうし、

特典会に行くべき時に特典会に行くようになったんだと思うし、

この先を考えても、僕が望むような雰囲気で関係を作る機会なんかないでしょうし、

それはもう言っても詮無いことだな、と理解しています。

 

それ以外だと、ジュリアが写真集を出す日が来たら良かったな、

とは思いますけど、出したいなら出せる環境だったと思うので、

それは本人の意思込みでしょうし……。

 

あと、うん、ワンマンライブで武道館に立つジュリアは見たかった。

それより立派な会場でやってるのはそりゃそうなんですけど、

デビュー当時にグループが目標として掲げていた場所に立つ瞬間が、

ジュリアがアイドルとして生きる間に来なかったのは寂しいです。

 

 

 

 

 

でもなんかやっぱり、やり切った感が強いのはあるかもしれません。

ジュリアの卒業どうこう以前に、僕は10周年のツアー、

特に初日のビクストと大阪での大和撫子、何より最後のフレフレで

満たされてしまったというか、

オタクとしての「渇き」がなくなってしまったというか、

本当に成仏したような感覚があって、それは今も変わっていませんし、

だからこそジュリアの報に接した今になっても、

「もっと」という感情がそこまで強くないのかもしれません。

 

年末に仲の良いオタクと話した時も、

「もうこれ以上を感じることはないんだろうな」という話をしましたし、

今の方向性や現在掲げている目標にも全く感情を乗せられていないので、

もういつ終わってもいいというか、

「あとは綺麗に終わってほしいだけだな」という感情すら持っていたので、

むしろ、ジュリアが望む幕引きなのであれば良かったとすら思う部分もあります。

 

 

 

そう考えると、

ジュリアが「10周年を区切りにする」と思ってこの時まで残っていてくれたこと、

そしてその節目のツアーで懐かしい曲をたくさん披露してくれたり、

これ以上ないくらい感動的な光景を作り出してくれたりしたことに対して、

ものすごく感謝の気持ちがあるというか、

きっとジュリアにとっても区切りとなるツアーを通して、

僕もオタクとしてひとつの区切りをつけられたということだと思うので、

そんな「本懐を遂げる」瞬間を作ってくれてありがとう、と思います。

もちろん僕はその時にジュリアの卒業を知っていたわけではありませんけど、

期せずしてこのタイミングでその区切りを見出すことができていたと思うと、

なんだかすごく良かったのかもしれないです。よくわからんけど。

 

 

でもこうして考えを巡らせていると、

最近好きになった方とか超以降のファンとかは、

僕とは違うベクトルの辛さがあるんだろうなぁとも思います。

僕は今は「全力を出し尽くした後」だからこその納得感を持っているし、

僕にとっての「この6人だと思ってた」はばんちゃんですでに崩れているし、

そういう点では、まだ全力を出し切っていない人、

あるいはこの6人こそがとき宣だ!と最初から思っていた人には、

たぶんそういう意味での辛さがあるのだと思います。

だからと言って何がどうというわけではないですけど。。。

 

 

 

また、

「ごめん、自分がもっと後押しできれば……」

みたいな感覚については、僕はほとんどありません。

これについてはジュリアも言及していたし、

そう思う気持ちもわからなくはないんですけど、

僕は常々「アイドルの商売」と「自分」との間に線を引くタイプだったというか、

極端に言うと、僕の消費行動はアイドルの提供する価値によって決まるので、

僕が「これくらいまで貢献しよう」と思ってそれが足りなかったとしても、

僕が「支払ったコストに見合う対価がある(と感じる)ものだけコミットする」

姿勢を貫いて、それで最終的に足りない部分があったとしても、

それは僕に帰する話ではなくて、そう思わせることまで含めて

「商売」側の事情だと考えています。

 

これはたぶん一般的にはかなりドライな考え方ですし、

僕もいざ推しの卒業に触れると変節する部分があるかと思ってたんですが、

少なくとも現状では、そういった感情はあまり強くありません。

ただこれも冒頭に話したとおり、

「僕は推しに対して『僕の100%』を注いだ」

と思えているからこそというか、

僕は僕なりの100%をもってジュリアに向き合ったという確信があるからこそ、

「もっとやれば良かった」という自分ののりしろの存在を

感じずに済んでいるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

あとなんだろう、自分自身の受け止め方について言うと、

やっぱり、とき宣に対する熱量が過去を超えることはもう二度とないと思います。

 

上で書いたとおり、そもそも10周年ツアーで燃え尽きた感覚はあったんですが、

でも「もしかしたらまたどこかで再燃する日が来るんじゃないか」

という希望的な目論見もほんの少しだけあって、

それがどうなるのかな、という形で迎えた2026年だったんですよ。

 

でも、他ならぬジュリアがいないとなると、そんな希望ももうないような気がします。

先日のブログでも書いたとおり、この先自分がどうなってるかはわからないので、

それなりにライブに行っておはるだけを推すファンとして楽しく過ごしてる可能性も

ゼロではないですけど、それでも、自分の全てを注ぐような、

人生の意味をその瞬間に捧げるような、そんなことはもうないのかなと。

どんなに懐かしい曲をやっても、

どんなに完成度の高いステージを見せても、

しかもそれがどんなに立派な会場であっても、

そこにジュリアがいなければ、僕にとってのストーリーは不完全なんです。

おはるがいれば良いとかそういうわけではなくて、

僕にとってのとき宣のストーリーには、どちらも不可欠だったんだと思います。

 

 

いつも話しているように、

ジュリアにとって初めてのワンマンライブとなった舞浜が僕の初現場であり、

僕がまっさらなオタクとして「とき宣」を体験していくその場には、

同じような場所から歩み始めるジュリアがいました。

もちろんそんなのはオタクにとって勝手な思い込みにすぎませんけど、

僕が新鮮な驚きを感じて、

今まで知らないようなキラキラしたときめきがあると知ったその場所は、

きっとジュリアにとっても同じく新鮮な場所だったのだと思うと、

ジュリアの存在は、僕というオタクにとってただならぬ意味を持っていました。

そのジュリアがいない場所で、

僕はグループの歩みを今までと同じように捉えることはできない気がします。

 

 


 

また、そういう心の機微よりもう少し浅い部分として、

「今のグループが掲げる目標についていけていない」自分がいるのも、

今こういう考えに至っているすごく大きな理由のひとつです。

SNSもメディア出演も、僕の思う「熱量」からはすごく遠い部分にあって、

それはもうここ数年続いていた話ですが、特にここ1、2年は、

「紅白」というのが一丁目一番地の「夢」として強く前面に出てくるようになり、

今回の卒業を受けたメンバーのブログでも、

おそらくそれが念頭にあるであろう言及は多くありました。

 

詳しくはここでゴタゴタ言う話でもないので省略しますが、

ぶっちゃけ、僕は今の「夢」には全然乗れていないというか、

「夢」に向けた戦略や方向性の中で僕の大切にしていたものが

ないがしろにされているような感覚すらあって、

むしろ「夢」は僕にとって悪い意味でその象徴になってしまっています。

 

 

 

 

 

まぁでもこれらはやや強引に説明しようとしてると言うか、

実際はすごく感覚的なもので、後付けで説明したらこうなるかな、

というだけにすぎないような気もしていて。

 

これを書くとちょっと波風が立つような気がしますけど、

ジュリアの卒業を受けて更新されたメンバーのブログを見ても、

そこまで心が動かなかったんですよね。

メンバーが続ける決意をしてくれたことも、そこで綴った言葉も、

夢に向かってひたむきに走る姿勢を崩さないと示してくれたことも、

すごくありがたいことだと本当に思ってはいるんですけど、それだけというか、

それを見てすごく情緒がかき乱されたり、

心の底から熱くなったりするような感覚がなくて。

 

それは推しの卒業にショックを受けた自分の感度が鈍っているだけかもしれないし、

もう少し経てば何かが変わるのかもしれないですけど、

少なくとも現時点では、とき宣という概念自体が、

自分からちょっと遠い場所に行っちゃったのかな、という感じがしています。

 

 

 

あと、うーーーん。

ジュリアの話からはちょっとズレますけど、メンバーのブログを見て思ったのは、

これまでよりも「夢」の存在が具体的なように思えたというか、

漠然ともっとやりたい、色んな景色を見たい、という雰囲気よりは、

今見ている「夢」のために、という雰囲気があって、うまく言いにくいですけど、

ジュリアの卒業とメンバーのブログを通して、

「終わり」が一気に見えてきたような気がします。

こういうのを勝手な憶測で喋るのもアレだし、的外れかもしれませんけど、

僕が一通り読んだ時の印象はそんな感じでしたね。

紅白に出たら終わるのか、出れる道が見えなくなったら終わるのか、

どっちかはわからないけどそんなような予感がしました。

 

ちなみにおはるのブログはすごく硬い感じで、

これもある意味であの人らしいというか、

彼女なりの葛藤や消化できない思いもたくさんあったんだろうなぁと思います。

それはそれで心配なところはありますけど、

これ以上はあえて考える話でもないのでこのへんにしときましょう。

 

 

 

 

と、まぁなんにせよ、

僕は今のところ、とき宣に対してコミットするような心境ではないのかなと。

今の心境ベースで言うと、

ジュリアが抜けた後もぼちぼちライブには行くでしょうけど、

そんなに高い熱量にはならないどころか、

とき宣というグループとしてどうこう、という部分にすら至らず、

「小泉遥香というもう一人の推しの行く末を見届ける」

という部分しか、僕には残らない気がしています。

ジュリアが抜けたら「ジュリアがいないとき宣になる」んじゃなくて、

「僕にとってのとき宣じゃなくなる」というか、そんな雰囲気なんでしょうか。

 

これまでももうそんなに乗れてなかったですけど、ジュリアがいなくなることで、

いよいよ全てが過去になるのかもしれません。

 

 

 

 

 

そしてジュリア個人について。

先日のブログでも話した通り、ジュリアが考えてることは僕にはわからないし、

今になって過去のことをあーだこーだ言うのも後出し感がありますけど、

直近のソロでの晴れときを聞いたり、

「自分自身を大事にしてほしい」と最近よく話していたことを思い出したり、

それ以外にもジュリアのスタンスや発言を振り返ったりする中で、

「あ、そういうことか」と合点がいく部分も多くありました。

 

その時に推しがやめるかもとか思ってたわけでは全然ないし、

節々の違和感もスルー出来てしまうくらいのものだったので、

後になってから「そう思ってました」「やっぱり」みたいに言う訳でもないですけど、

なんか、ジュリアはその感情を抱えてもなおプロのアイドルでいてくれてたと思うと、

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

「自分を大切に」というのも、この時が来るとわかっていたから、

この時が来た時に、ジュリアを推してる人が自分自身にフォーカスできるように

後押ししていたのかもしれないですしね。

 

 

僕がジュリアを始めて見た時、彼女はまだ14歳。

(当たり前ですが)プロ然としていたわけではなく、

メンバーとのコミュニケーションに苦慮する様子もあり、

「まだまだ始めたて」の幼気な少女でしたが、

こんなにも長く活動してくれて、

こんなにもたくさんの幸せを与えてくれて、

さらにはこうして最後までプロの「アイドル」として素敵な姿を示してくれて、

そんな道筋と彼女の成長を改めて感じることができた気がしますし、

そうして花開いた先の「最後」まで見届けることができたという意味では、

これ以上ないくらいに恵まれた、幸せな推し方だったなぁと思います。

 

 

 

 

と、思うままに書いてきましたが、いったんはこんな感じでしょうか。

卒業に際してのSNSの雰囲気を見て思う事とか、

ジュリアとの思い出とか、最後に見たいものとか、

そういうのもまだまだたくさん考えることはありますけど、

とりあえず今のところはこのへんで。