こんにちは。

今日もご覧いただきありがとうございます!

 

 

さて、今回はちょっと頭で整理できていないことを書き留める回なので、

あてもなく思うままに書いていく感じになっております。ご承知おきを。

 

……と、こうして僕が悩んでいるのも理由がありまして。

8月に瀬田さくらさんの卒業が発表されて以来、割と特殊な4か月を過ごす中で、

「卒業」に際しての感じ方とか、あるいは分かり合えないもどかしさとか、

そういうのを折に触れて感じることがあったので、そのへんを書ければなぁと。

(先に言っておきますが、楽しい話ではありません)

 

 

 

 

もちろん彼女の卒業はすごく悲しいし、

卒業ライブはすごくよかったし、

この間の特典会では柄にもなく泣きそうになったし、

そういう気持ちは(自分で言うのもアレですけど)あるんですよ。

でもなんというか、彼女を「推してる」人とはやっぱり見方が違って。

 

僕にとっては「瀬田さくらさんの卒業」であると同時に、

「ばってん少女隊の節目」であり、

「卒業する彼女を見送る愛ちゃん(や美舞ちゃん)の気持ち」を慮る瞬間であり、

それらに対する感情というのが決して少なくない割合を占めています。

もちろんそれは誰推しであろうと存在する感情だろうと思いますけど、

割合が違うというか、主語が違うというか、そんな感じですかね。

ライブ中も、言うまでもなく瀬田さんにとってのラストである感覚はあって、

彼女個人に対する色んな気持ちも去来していましたけど、

ばってん少女隊が変わっていくその瞬間として見る視点や、

その中で色んな感情を持って歌い踊る愛ちゃんに思いを馳せることも多くて、

でもきっと瀬田さん推しの人は全然違う状況にあって、

それがどうしようもなく「遠い」んですよ。

 

僕は瀬田さん推しのオタク友達がたくさんいて、ずっと仲良くしていただいて、

でも今この時には、絶対に分かり合えない壁があると感じちゃうというか。

彼らの気持ちに寄り添いたいし、共感したり、思いを分かち合ったりしたいけど、

「推しが卒業する」彼らに対して、僕が思うことってきっと的外れだったり、

視点が全然違っていたり、そうなってしまっているかなぁと。

 

他でもない推しがいなくなる、自分の人生を注いだ推しがいなくなる、

ある意味世界が一度終わるかのような話だと思います。

それすらも当事者でない僕のうわべの想像だという感覚はありますし、

僕も自分の推しだったら…と考えると、今の僕にその感情はわからないでしょうし、

なんだろう、やっぱり僕は当事者じゃないんですよね。

実際に自分が実際にその場に身を置かないとわからないでしょうし、

でも僕自身がそれを積極的に味わいたいかと言われるとそんなこともないし、

結局、そこは分かり合えないし、僕もわかった気でいたくないです。

 

 

本来であれば、川崎での瀬田さんの卒業ライブの話も整理したかったんですけど、

その外側にいる自分なんかが言葉を並び立てたところで本質ではないというか、

それがなんだか失礼な気さえして、あんまり筆が進みません。

結局僕は最初に言ったように

「ばってん少女隊の節目」とか「卒業を受け止める推し」の目線が強くて、

きっとその主語が違う以上はどれだけ言葉を弄しても無駄だし、

僕の目線もきっとそのライブのひとつの側面であって意味もあるんでしょうけど、

その一番大事なところに対して失礼なのかな、と思ってしまいます。

 

 

 

 

また、この感覚は卒業が発表された8月から少なからずずっとあって、

この4か月、ひとつひとつの物事の受け止め方が違うな、というのも感じていたし、

彼らと同じものを見ているようで違うものを見ている気がしていて、

その「外側」にいる自分は決して内側に身を置きたいわけではないというか、

この「内側」がある状況自体にやるせない、悲しい気持ちもあって、

でも彼らと「分かり合えない」感覚も同時にあって、

そんなことを考えている自分もなんだかちょっと嫌だし、、、。

と、そんな気持ちがないと言えば嘘になるような時間もあったと思います。

 

 

 

 

 

 

そしてここからは自分のモチベの話。

今まで同じ目線と熱量でばっしょーを追いかけていた(と思っていた)オタクと、

なんだか違う線上にいるような感覚も生まれてきたのは事実です。

すごく簡単に言うと、

「推しの最後まで見届けようという周りの熱意についていけない」

ということなんだとは思いますが、今まで同じ目線だと思っていた周囲の方が、

その熱量の根源が全く違うものになっていることを感じたその時に、

自分の中でズレていく感覚があったというか。

 

僕も昔は「周りのオタクどうこうで行動を変えるオタクはカスだ」と

思っていたんですが、今となってはそれも重要なファクターになっていて、

熱量や愛を同じくする人と話して、一緒に旅を楽しんで、

そういうのも間違いなくオタクとしての楽しみのひとつになっています。

でもそう思った時に、その「分かり合えなさ」というか、

「一緒ではない」ことが何となく自分の中で引っ掛かってしまったんですかね。

別に誰が悪いわけではないんですけど、、、、。

 

 

 

内的な要因として、

今の状況に対して僕は最大の熱量を割けないのかな、、と

いう感情もあって、それがそのズレを大きくしている気もしますし、

外的・内的な要因の双方が存在している可能性も多分にあるとは思いますが、

そんな諸々も相まって、色んな意味で「遠い」感覚があるのかもしれません。

だからみんなの熱量に合わせて無理してまでイベントに行かなかったり、

飲み会も少し遠慮したり、そういうのがない訳ではないのかな。

自分でもよーわからんけど。

 

 

 

 

 

と、本当にぼんやり考えてるままに書いているので全然まとまってないですが、

最近そんなことを考えてますよ、という話です。

あんまりポジティブじゃない考え事でスンマソン。