さて。
ジュリアが卒業してから約3ヶ月後のとある日。
活動終了のお知らせは呆気ないものでした。
たしか17時ごろに会員メルマガでお知らせが来たかと思いますが、あいにく仕事中だったので、仲が良いオタクからのラインで知ることになりました。
ただ正直なことを言うと、僕はそのお知らせを見ても大して心は動かなくて、それこそ、ブログで感情を書き留めるほどの熱意すらなかったのが事実です。
もちろん宣伝部員さんが揉めていた()ように、ジュリア卒業から今回の活動終了発表までの流れはあんまりしっくり来てなくて、いくつかの疑問符があったことも否定はしませんけど、それより何より、やっぱり僕にとってのとき宣はジュリアの卒業で一度完全に終わっているんだな、というのを改めて感じました。
自分が大好きだったものが終わってしまう、少なくともアイドルとしては永遠に見ることができなくなる、全体として納得している中でもその最後の歩みに対して色んな感情が生まれる、そんな「別れ」は僕にとっては3月にすでに行われた後であり、今は「別れ」の後の身の振り方を定める受容の段階なので、そこで改めて活動終了と言われても、僕に響いてくるものはあんまりなかったのかな、と思います。
結局、僕にとってのとき宣はジュリアの卒業とともに終わりを告げて、今はとき宣ではあるけれども僕にとってのとき宣ではない、ということなんでしょう。
僕にとっての「とき宣が終わる」というのは、5人になった後の活動終了ではなく、ジュリアがいなくなるその瞬間だった。うん、それだけです。
もともと今年のツアーも旅行が楽しそうな場所だけ申し込んで東京とかは全干ししているので、もう根本的なモチベはなくなっていたし、あとなんだろうな。
他のアイドルを少し見に行ったり、あるいはプライベートでも大きめの変化が控えてたりする中で、このお知らせが出る以前から「もう心から乗ることはないだろう」「今後は乗れないものにリソースは割かないだろう」と思っていたのもまた事実です。
時間的にも金銭的にも優先順位が明らかに下がったというか、ね。
ジュリア卒業後のテンションが読めない段階で夏ツアーは多少申し込んだけど、今後は良くて季節ごとの単独ライブとツアーを各1,2公演だけ行くような距離感かな、と考えていたので、むしろスッキリした面もあるかもしれません。
うん。
こうして述べたように、大きな心の動きというのはあんまりなかったんですが、その中でも感じたことを拡大して見ていくと。
これは人によっては理解できないだろうし、「望ましい」感情でもないとわかってはいますけど、すごく本心の部分で言うと、「やっと終われる」みたいな感情はあります。
このブログをこうして見ている人はもうおわかりかと思いますが、僕はここ数年のとき宣の在り方にすごく引っ掛かる部分があって、100%楽しめてるかと言われると全然そうではなかったんですよ。
でも、それでも「とき宣にしかない」楽しさや愛着があるからゾンビのように現場に通い続けて、その欠片を拾い集めるような生き方をして。
ある意味で「辞めたくても辞められない」とか「損切りができない」とか、そういう側面があったのは否定できなかったけど、そんな中でジュリアの卒業はある意味で「介錯」と言っても良い契機になって。
この変遷を経て、ジュリアのおかげ(?)でようやく上で話したように「もう良いかな」という心境になって、でも心のどこかでほんの少しだけ「生きているとき宣を『見ない』」という選択が残り続けるだろうな、という感覚もあって。
だから、こうして向こうからの幕引きがあったことは、僕個人の世界という点だけで言えば、ある意味で「終わらせてくれた」みたいな感情があるんですよね。
もちろんそれがあるべき姿だとは思いませんし、人によってはあり得ないと感じるんでしょうけど、僕が僕にとっての「アイドルを見る意味」や「アイドルを見た時の心の動き」を突き詰めていくと、それは必ずしも「推しにとっての良しあし=僕にとっての良しあし」というものではない(そこが一致した時はそりゃ嬉しいけど)し、僕が僕の主観においてある種倒錯的な感情を抱こうが、それは僕なりに向き合う中で生まれた感情なので、もう仕方ありません。
(当然、これを直接メンバーに言うようなことはしませんけどね)
と、またなんだか思ったことを五月雨に書いてしまいました。
もちろん実際の「終わり」を見届ける中で色んな感情は生まれるんでしょうけど、少なくとも現時点での率直な僕の感想で言えばこんな感じです。
いったん以上です!
当初はツアー初日の感想もまとめて書こうと思ってたんですけど、話が混ざりすぎるので分けようと思います。それでは~