ジュリアの卒業に際して考えたことを色々書いてきていますが、
今回はそれ自体というより、卒業の報があってからのSNSのあれこれとか、
全体の雰囲気を見て思うことを書いておきます。
先に言っておきますが、かなり好き勝手言ってるので閲覧注意です。
というわけで、今回はガラッと話が変わりまして。
ジュリアの卒業があって、もちろんファンにも色んな動きがあって、
僕もそれをちょこちょこ見るんですが、気になることを吐き出しとこうかなと。
まず個別具体の話で行くと、ジュリ頑問題。
僕はこのコールが大嫌いだし、これやってる奴センスねえな、
「オリジナルなコールやれてる俺」感が好きなんだろうな、と思いますけど、
でもやっぱり、ライブに対するリアクションって自由なんですよ。
隣の人と騒ぎながらとかは論外ですし、
あくまで「個人個人がステージと真剣に向き合った結果」という注釈つきですが、
その中でその人が思う反応やコールをするのは自由であるべきだし、
その自由さはライブを作る上での大前提だと思います。
もちろん合う合わないはあるでしょうけど、
その個々人の判断の積み重ねで形成されるのが「現場の空気」だし、
それが合わないのであれば、それは自分がその現場の空気と合わないだけです。
だから、そういう意味ではやるもやらないも自由です。
僕はこのコールが嫌いだし、
このコールが多数を占める現場なんてクソだと思いますけど、
それは僕が現場とアンマッチなだけであり、
この意見表明も、誰に押し付けるものでもなく、
ただ単に僕が僕の好き嫌いを話しているに過ぎません。
僕がジュリ頑に萎えた時にできるのは、
「やめてください」と強要することではなく、
「しょーもない現場だな」と一人でボヤいて受け入れることだけです。
むしろ僕が嫌だと思うのは、その好き嫌いを他者に押し付けることです。
それはライブの大前提を覆すものですし、
しかも「推しが微妙な表情している」みたいな形で、
自分の主観を推しに勝手に代弁させるのも全く許容できません。
推しからの直接の表明がない限りはオタクの主観バトルにしかなりませんしね。
僕がしているコールだって黙って聞きたい人にとっては悪でしょうし、
盛り上がりたい客にとって地蔵の観客は何しに来てんの??的な存在です。
でもライブは「自由」だからこそ良いのであって、
「自由」だからこそ、それぞれがある程度お互いに干渉しあいながらも、
全体として受け入れながら色んな空気が出来うるのだと思います。
なのでまぁ結論としては、僕は嫌いだしふざけんなと思うけど、
それを止める権利はないよ、という感じです。
嫌いな人の権利も守るのが自由だって習ったので。
そしてもうひとつ、争いの火種になっているのが、
「卒業ライブで他推しもジュリアTを着よう!」
みたいな言説の是非です。
これも先ほどの話同様、自由ではありますよ。
何を着ていくかなんて個々人の自由なので強制するものではないですけど、
そのうえで言わせてもらうと、ほんっっとにしょーもないな、とは思います。
これはペンラの色変えとか制御とかにも通じる話なんですけど、
そこらへんに対する「こだわり」の有無は、
僕が今の現場に強く抱いている違和感のひとつです。
すごく感覚的な話なんですけど、服装とかペンラで示す色って、
オタクの魂であり、自己表現であり、存在の証明なんです。
推しを応援する気持ちをそこに乗せて、
「あなたを推してる人がいます」という願いを込めて、
他ならぬ推しに対して捧げるからこそ意味があるのであって、
別に推してるわけでもない人が「その色」をつけることは全く無意味というか、
なんか、込める意志の量も質も違うよね、という気がします。
ただの色じゃない、それぞれの「推し」への想いが結集した色だから、
それによってできる光景に価値があるのであって、
その光に特別な意味が生まれるんですよ。
推してるわけでもない人が雰囲気の感動のために色をそろえたって、
自己紹介の時にチカチカ色を変えたって、
制御されてちょうどいい感じの色になったって、
そこに「魂」が乗っていないのであれば何の意味もないと僕は思います。
正直、当人から見てどうかはわからんとは思います。
僕の目線からしたら、ぼんやりと紫多いな~となるよりは、
確かにジュリアを推してた人の証がきちんと認識できる方が嬉しいだろうと思うし、
反対に、紫が多ければ多いほど嬉しいだろうと考えている人もいるからこそ、
一定程度そういう言説が出てくるのでしょう。
なのでこれは「客観的な正しさ」の話ではないというか、
ジュリアから見てどうかというのは結局オタクの主観でしかなくて、
それぞれのスタンスの違いという点に尽きるんじゃないかと思います。
そしてその上で言わせてもらうと、僕は
「推しじゃない人も紫を着る」というのはしょーもないと思うし、
それが多数を占める現場は僕とは合わないな、という気持ちになります。
SNSを見ていると、「レスがもらえなくなるから文句言ってるだけ」みたいに、
矮小化して決めつけているような様子も見られますが、
(僕はレス乞食とかそういう視点ではないですし、
レス乞食的なふるまいも僕の「正義」からは大きく外れますけど、)
ジュリア推しの人がレスを欲しがる方がまだマシというか、
推しでもない人がそうして軽薄に侵食してくる方が嫌だなぁと。
ジュリアとジュリア推しとの関係や繋がりが一番大事ですし、
レスに限らずとも、そこで通じるものがあれば何よりだと思いますけど、
それを他推しがわざわざ薄めるような振る舞いに見えるし、
なんというか、むしろ「紫カラー」然とすることで
積み重ねた関係のうわべを掠め取ろうとしているというか、
土足で入りこまれる感覚に近いかもしれません。
簡単に「当事者」になろうとしてる、とも言えるのかな。
あともうこれは完全に難癖で、単純な感情の問題なんですけど、
これまでずっとライブで紫色のペンラが少なかったり、
特典会でも売れ行きが悪かったりして、
ジュリア推しも、そして本人もそれを見続けてきて、
そこに色んな想いを抱えて生きてきたんですよ。
ジュリア推しが少ないな、コールもペンラも少ないな、
でも俺は絶対にこの声と光を届けるんだ、
という気持ちを大なり小なり持ちながら必死で応援してきたんですよ。
それでその最後に、いざ卒業の段になって全然関係ない他推しに
「皆で紫にしようよ!」
とか言われても、シンプルにあんまり気分が良くないです。
まぁもうそのへんは価値観の根底から違うんだと思いますし、
今更そんなことを話したところで分かり合える気もしないし、
そもそも何度も言ってるようにこれもまた「自由」なので、
僕はその振る舞いは全然好きじゃないけど勝手にしてください、という気持ちです。
ふぅ、急にフルスロットルになってしまいましたが、うん。
正直、卒業に関して色々言ってるSNSが、あんまり好きになれません。
明らかに思慮が足りない発言もそうですけど、
ここぞとばかりに良い感じの写真や歌詞をペタペタ貼り付けたり、
せいぜい100文字かそこらでそれっぽい雰囲気コメントをしたり、
SNSで「望ましい」振る舞いをして、うまいこと言った気になって、
ジュリアの最後の瞬間まで「きれいにやったろう」みたいな振る舞いで
本当にいいのかよ、と思っちゃうんですよ。
もちろんそれぞれに色んな葛藤があって、
その末でのアウトプットになっているものもたくさんあるんでしょうけど、
感動ポルノに消費されたり、
宣伝部員は箱推しだから皆傷ついてる!優しい!みたいな界隈上げに使われたり、
どう考えても「悲しんでる私」が中心に来てる振る舞いを見たり、
アー写とか過去のあれこれで「そういうことだったのね~」みたいに、
後出しでうわべを語って「気づく自分」をひけらかしたり、
なんか、そういうのも目についてしまいます。
これも穿った見方というのはわかってますし、
僕も他者から見ればカスだと思われる部分は大いにあるでしょうけど、
でもなんか、論争になってたアレコレも含めて、
大事な大事なメンバーの卒業という一大事に際した「感情」が、
SNSに、社会に合わせた形で捏ねられている気もして、
それがなんか、うん、嫌です。
もっと色んな感情があっていいし、全然整理できなくていいし、
それぞれの感情が他者に理解可能であるべきでもないのに、
「それらしい」もので埋め尽くされて、
気づけば「社会的に望ましい」アウトプットにならされて、
さらには「自分」を見せるダシに使われてるような場面もあって。
大事な推しの卒業が「消費」されている感じがあるというか、ね。
なんかそんな印象もあります。
まぁ嫌なら見るなという話ですし、
ずっと言うように「自由」が大前提なので、
これらの価値観を誰に押し付ける気もないですけど、
僕が僕なりに思うことがあったので、うん、好きに書かせていただきました。