日曜の朝にテレビ朝日にて、しばらく前から、『暴れん坊力士松太郎』が放映されているのを御存知だろうか。
あの『あしたのジョー』を書いたちばてつやが原作者のアニメである。
学生時代にマンガ週刊誌に連載されていたのを思い出しつつ、なつかしい思い出にひたりながら見ている。
この作品の背景が、これまた、『サザエさん』と同じく、昭和後半期の古き良き時代を描いていて、明るく自由な雰囲気を感じさせてくれるのだ。
今のように外国人力士が全盛になる前の、昭和の角界の内幕などを描いてもいる。
何よりも、まだ人への信頼や社会の未来に希望が持てる時代の明るさを、見ていて感じるのである。
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さて、主人公の松太郎は、『あしたのジョー』の主人公の矢吹丈と同じく、アウトローである。
矢吹丈が少年院あがりなのに対し、松太郎は、乱暴者で落第生だ。
相撲の世界のしきたりはもちろん、普段の生活でも、雑でがさつで、常識を無視してばかり...
しかし、彼を取り巻く家族や友人には、彼を心底嫌いになるような人はいない。
彼の欠点は欠点として、「困ったものだ」と思いながらも、いいところ(=長所)もあわせて見ている。
そして、生き方が不器用で、つまづきながらも、ときに「思わぬ活躍」をして、称賛や喝采を浴びるのだ。
まさに、『不器用太陽』とは、彼のことかと思えるくらいだ。
(秋元康氏は、ひょっとして、これを見ている??)
ひとことで言えば、”人間臭い”のである。
別の言い方をすれば、今の時代の、「成果主義」一色、という、一直線に成功への階段をかけのぼることだけがほめたたえられるのとは、わけが違う...
マジメに精進し、階段を一歩づつ昇って、一直線に成功へ至るという、クソ面白くもない、機械かロボットのような生き方が「無駄なく合理的」だとみなされているのが、今の社会の風潮ではないだろうか?
この作品は、そうした風潮へのアンチ・テーゼになっているようにも思う...
作者は違うが、『こちら葛飾区亀有公演前派出所』の両さんのような、現実にいれば生活が破たんしているような生き方を、マンガという空想の世界の中でして見せてくれるのである。
この意味で、このアニメ(マンガ)を見る(読む)人にとっては、彼は、”ヒーロー”なのだ。
読後感がスカッとするような、マンガらしいマンガである。
了