本物の”愛”... 前田敦子 | 超絶メタアナリシス

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☆☆☆ 都心(台東区)在住です ☆☆☆

昨日は、宮澤佐江の”愛”について語らせていただいた。


今日は、前田敦子の”愛”について語らせていただこう。


彼女は、かに座の女の子...

私の大学の同級生の友人や、会社の同期の女の子にも、かに座生まれの典型的な人々がいる...

皆、やさしい人たちである...


・・・


さて、彼女は、ごく普通の女の子だったと聞く。

しかし、秋元康氏と運営側とが彼女をセンターに起用した。


そして、彼女は、重い責任を果たすべく、自己を犠牲にしたのである。

自分を犠牲にして、「自分の人生の一部」を48グループのために捧げたのだ。


その数々の証拠をあげよう。


1.最も最近の事例で、雑誌『AERA』1/13号に載った、
  大島優子と秋元康氏の対談の中で引用された前田敦子の発言。
  「あっちゃんは、後輩のために道は譲ると言って卒業した」

  (大島優子)


2.第1回総選挙におけるコメント
  「AKBのために人生を捧げることを決めているので...」


3.第3回総選挙におけるコメント
  「私のことが嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないで下さい...」


4.西武ドームでの、過呼吸になって、自分の肉体が危うい状態

  になっても責任を果たそうとする必死の態度...

  これは、ドキュメンタリー映画『少女たちは傷つきながら夢を見る』
  で示されていましたね。


彼女は、AKBのことや、後輩のことをよく配慮してあげるような心優しい女の子であると同時に、他人のために行動できる人でもあるのだ。


特に3番めのコメントは、”自己犠牲の愛”であることは明白である。


これが、もし、”愛”でないとしたら、いったい何であろうか?


世の中のどこにも、”愛”は無い、ということにはならないか...


まさに、彼女は、”愛情”あふれる女の子だったといえるであろう...


我々は、めったに目に出来ないような尊い行為を目にしていたわけなのである...


しかし、2/16のブログに書いたように、本格的な”愛”の教育を受けていない我々日本人は、それほどには、「感応」しなかった...


残念ながら...


数々の「正義的な感動」のシーンの中に埋もれて、目立たなくなってしまったと言える...


”正義の雄たけび”をあげている各陣営の声にかき消されることで...


そう...


AKBとは、初期の頃から、常に前を向いて、自分自身を向上させていくことを使命としてきたアイドル・グループであった。


だから、グループ全体として、「正義の雰囲気」が元からあったのだ。


選抜メンバーは、その名の通り、”自分の正義”や”AKBの正義”、を実践するメンバーが選ばれてきたものであると言えよう。


その中で、前田敦子だけは、運営と秋元康氏から選ばれたため、自身は、”自分の正義”を追求する程度が小さくて済んだ...


第2回総選挙で負けても、1曲だけ(『ヘビロテ』)センターをはずれただけで済んだのだ。


他メンバーのように、”自分の正義”に沿って頑張る必要が、あまり無かった...


だから、”愛”の方により多く自分を振り向けていくことが出来た。


このことが、AKBのセンター前田敦子を輝かせていた理由であると、私は思う。


例えれば、前田は、泥の池の中に咲く「一輪の蓮の花」であったのだ...


・・・


以上、2/14~今日までのブログをAKBメンバーについてまとめると、
大島優子と渡辺麻友からは、”正義”の印象が強く漂ってくるが...
宮澤佐江と前田敦子からは、”愛”の印象を強く感じるのである...


そして、指原は、”愛”だと思われる...

彼女については、またしばらくして後、稿を改めて語りたい...


明日からは、ここでいったん転じて、前田敦子にも関連する、ある事について話しを始めよう...




(そして、続く...)