このブログ上で、NHKのEテレの番組『100分de名著』を何回か取り上げさせていただいた。(昨年の11/19、そして、今年の1/19)
今、この番組では、先週から、エーリッヒ=フロムの作品で『愛するということ』を4回に渡ってとりあげている。
実は、私の先週のブログの記事(2/8~2/9)は、この番組に触発されて書いたものだ。
NHKのホームページから引用してみよう。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2014-02-12&ch=31&eid=4341&f=1826
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私たちは、…(中略)…、“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。フロムはこうした現代人の考えに警鐘を鳴らした。
フロムのこの言葉を参考にさせていただいて、2/9のブログでは、”警鐘”を鳴らすという内容の記事を書かせていただいたものだ。
さて、本題に入ろう。
昨日のブログの最後で伝えた事、すなわち、”愛”と”正義”である。
”愛”と”正義”は、人類の二大行動原理といわれる。
参考となるべきものは、数々の哲学書や神学書である。
古代ギリシャの哲学者プラトンの著作群、特に対話編...
それを継ぐ、ストア哲学の著作群(アウレリウスの『自省録』やエピクテートスの『談義』)。
アウグスティヌスの『神学大全』の入門書や解説書。
それから、『聖書』だ...
中でも私が最も感銘を受け、そして、人の認識や行動原理の仕組みについて非常にわかりやすく語られていたのは、プラトンの対話編だ。
そして、古代のギリシャ哲学の成果を踏まえた「知恵」の集大成としての『神学大全』...
キリスト教神学の書でありながらも、哲学的なアプローチで、理づめで人間の本性や「幸せ」とは何か?、ということに迫っていってくれる...
これらから得られたものを、ここで説明する...
すなわち、人類(ホモ・サピエンス)という生物種の行動原理は、大きく分けて2種類なのだ、という...
”愛”と”正義”との...
・・・
・・・
さて、このうち人類は、どちらの行動原理に従って行動するものなのであろうか?...
答えは、”正義”である。
世の中の99.9%は、”正義”の論理によって動いているものだ。
しかし、世の中には、複数種類の正義が存在する...
人には、それぞれ、”正義”というものがあり...
国には、それぞれ、”正義”というものがあり...
そして、各組織にも、それぞれ、”正義”というものがあるのだ...
人は、それぞれ、裁判では、”各人の正義”を主張して相争い、
政治家や政党は、それぞれの”正義”にもとづいて政争を行う...
”企業にとっての正義”が、ときには不祥事を隠すことであるとするならば、それと”社会正義”との間で矛盾が生じたときは、激しい火花が散ることになる。
尖閣諸島は中国領だということは、中国にとっての、”正義”である一方、日本にとっては、尖閣は日本の一部だというのが、日本にとっての、”正義”なのだ。
皆さんは、学生時代、社会科の授業で日本史や世界史を習ったことだろう...
そこで得たものは何だろうか...
人類は、”戦争”ばかりしてきた、という事実ではなかろうか...
では、”戦争”とはいったい何によって起こるのだろうか...
ズバり言うと、それは(=戦争とは)、”正義”と”正義”とのぶつかり合いなのである。
そう...
”愛”などというものは、めったに無いのが現実なのだ。
イエス・キリストが”隣人愛”を語り、キリスト教の思想が全世界に広まっても、戦争や争いはなくならない。
また、ブッダが、”慈悲”や”不殺生”を説いて後、千年以上が経過しても、無惨な事件は後をたたない。
”慈悲”は、他人に対する”愛”で、
”不殺生”は、生き物全般に対する”愛”ではあるが、
今のところ、釈迦の説法は「不毛な愛にとどまっている」というのが、悲しいかな、現実だということだ。
つまり、人類(ホモ・サピエンス)という生物種は、”愛”ではなく、”正義”によって行動する生き物なのである。
それが、人類の本性であり、人間の性(さが)というものだ。
このことは、昨日のブログでも書いた...
☆☆
さて、48グループ総選挙でも、同じである...
そこには、”各個人の正義”があるだけである。
あるいは、”各陣営の正義”があるだけである...
48グループに対する”愛”などは、元から無いんだ...
また、”DD”とは、「誰でも大好き」という意味だが、この場合でも、”各個人の正義”か、”48グループ全体にとっての正義”とは何か?、を考えているだけだ...
別に、誰も愛してなんかいないのだ...
長くなったので、続きは明日に。
続
なお、上記の記事の途中で、「・・・」が2行に渡って続いたのは、
この2つについて、”語る”のを、あえて差し控えさせていただいたからである。
(笑)