現代の人間は本来の人間らしさを失っている、つまり疎外された状態に陥れられている。そこからどうしたら解放され、真の人間性を取り戻すことができるのか。これがマルクスの疎外論の言わんとするところです。マルクスが疎外論(経済学・哲学草稿)を著わしたのは1844年、フランスに亡命している時です。この時マルクスはフランス思想の影響を強く受けます。さらに、プロイセンのシュタインは「現代フランスの社会主義と共産主義」の中で、プロレタリアートを「私有財産の否定という目的の下で自覚した統一体」と定義していましたが、マルクスはこれを無条件に受け入れたとされます。私有財産の否定は、アナーキスト(無政府主義者)として知られるプルードンが1840年に『財産とは何か』を出版したが、その中で「財産とは盗奪である」と論じてフランスの知識人に大きな影響を与えていたがマルクスはこれも受け入れました。

 

マルクスは、このような考えを説得力ある著述に結びつけようと思索しているときに、エンゲルスの『経済学批判大綱』に出会います。エンゲルスはイギリスのマンチェスターで工場を経営していたので当時の労働事情に精通しており、それに基づいて既存の経済学を批判的にまとめた小論が『経済学批判大綱』です。これがマルクスに衝撃を与えました。マルクスはエンゲルスと意気投合し、彼の助力を得て書き上げたのが『経済学・哲学草稿』だったのです。後にこれを補強するために『資本論』をロンドンで著しました。

 

では、マルクスの疎外論とはどのようなものでしょうか。彼が経済学研究から発見したのは次のことだと言いました。

資本主義社会では「労働者は一個の商品」だということ。そして資本主義社会は、労働者からの搾取によって成立しており、労働者がいかに熱心に働いても、その労働生産物(商品)はすべて資本家に収奪され「労働者は富を多く生産すればするほど貧しくなる。労働者は商品を作れば作るほど、彼はますます安価な商品になる」ということでした。これが労働者の疎外にほかならないとマルクスは言いました。そして彼は資本主義社会で生きている労働者の「疎外の構造」を初めて明らかにしたというのです。それは四つの疎外からなっています。

 

第一は「労働者からの労働生産物の疎外」です。

いくら労働者が商品を生産してもそれは自分のものにならず、資本家のものとなる。そして資本家の私的所有物となった労働生産物は資本を形成し、その資本が労働者を支配するというのです。

 

第二は「労働者からの労働の疎外」です。

資本主義社会では労働行為そのものが資本家のものとなってしまう。したがって労働は強制的であって、喜びがなく苦痛となるというのです。

 

第三はこうした疎外によって人間は、本来の自由な創造活動(これこそ人間の類的な生活)が営めなくなり「人間からの類の疎外」がもたらされている。

 

第四はその結果「人間からの人間の疎外」に陥ることになるというわけです。

 

疎外は労働者だけではなく、資本家も疎外されていると言います。それは資本家の「快適な生活」も所詮人間的生存の外見にすぎず、真なる人間の生活ではないからで、彼らも失った人間性を取り戻さなくてはならないというのです。

結局、疎外の出発点は「労働者からの労働生産物の疎外」に始まっているのであり、これが「人間性の喪失」を招来せしめている、そして資本家の手に移った労働生産物は「資本」を形成し、これが労働者の生き血を吸いながら絶えず自己を増殖していく搾取(疎外)の元凶である。これがマルクス疎外論の結論です。

 

このようにマルクスは単なる物(生産手段や貨幣)である資本をあたかも貪欲な生き物か吸血鬼であるかのように描き、そして資本の蓄積の出発点となった「本源的蓄積」を「原罪」として扱ったのです。

こうした資本(原罪)を排除しない限り人間は、疎外からの解放がないということになります。具体的にはどういうことでしょうか。

マルクスによれば、資本とは資本主義的生産関係の下におかれた生産手段と定義して、資本を独占する資本家は「原罪をもつ吸血鬼」である、ということになります。

 

資本はすでに死んだ労働であって、この労働は吸血鬼のようにただ生きている労働(労働者)を吸収することによってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである」(資本論)

ですから、原罪をもつ「吸血鬼」である資本家階級(ブルジョアジー)を、原罪をもたない神聖な労働者階級(プロレタリアート)が打倒しない限り、真の人間性が取り戻せないことになります。ここから革命絶対論が生まれます。

しかし、1917年のロシア革命以後、世界の三分の一を占領し20世紀をして「革命の世紀」たらしめた共産主義国家で人間は、疎外からの解放がなされたのでしょうか。現実は経済の停滞・自由のはく奪・労働の強制・新たな特権階級の登場で、より一層の(恐るべきというべきか)人間性の蹂躙を招きました。

 

なぜ共産主義は疎外からの解放に失敗してしまったのでしょうか。

第一は、人間の疎外(本来の人間になっていない状態)の本質を捉え間違ったことです。

人間の心(精神)を軽視し、物(資本)を、あたかも生き物のように捉え、そして同じ人間でもプロレタリアートを神聖視したことで結局、疎外から解放されず、かえって疎外を増やした。

 

第二は、資本主義社会の性格の把握に誤りを犯した。

ここでも物という側面でしか資本主義社会を見ず、その基盤となっていたキリスト教やプロテスタンティズム(マックス・ウェバー)を軽視し、資本主義者社会の自己改革を否定した。

 

第三は、疎外の問題を解決する方法を誤ったことです。

疎外からの解放(革命)を正当化するために弁証法的唯物論ならびに唯物史観を構築して、プロレタリアート独裁論を樹立したが、これによってかえって疎外が深まった。

 

原罪としての「本源的蓄積」

 

「本源的蓄積が経済学で演ずる役割は、原罪が神学で演ずる役割とだいたい同じようなものである。アダムがリンゴをかじって、そこで人類の上に罪が落ちた。……あなたは額に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。

神学上の原罪の伝説は我々に、人間が額に汗して食うように定められたかを語ってくれるのであるが、経済学上の原罪の物語は、どうしてそんなことをする必要のない人々がいるのかを明らかにしているのである。

このような罪が犯されてからは、どんなに労働しても自分自身のほかには何も売れるものをもっていない大衆の貧窮と、わずかばかりの人々の大きな富が始まったのであった。これらの人々はずっと前から労働しなくなっているのに、その富は引き続き増大していくのである。(資本論)

 

資本の本源的蓄積

15世紀半ばからイギリスで、地主による共同地・解放地の囲い込みによる土地私有化(エンクロージャー)が行われた。このような、農民を土地から切り離して資本主義の成立に必要な「資本と労働」の関係を創り出す過程のことを、資本の本源的蓄積(または原始的蓄積)と呼ばれる。農民層のうち一部は都市に流出し産業革命期の労働者となった。マルクスによれば「資本は、頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」(資本論)ということになる。