長年疑問に思っていたことは「ソ連が満州に侵攻していながら、何故満州を手放したのか」でした。

今ようやくその疑問が解けました。

 

日本を愛する栃木県民の会

『日本における共産主義の広がりと満州・支那情勢』
  ~大正後期から敗戦期にかけて~  

 

ヤルタ密約

1945(昭和20)年2月に行われたヤルタ会談にルーズベルト、チャーチル、スターリンが集まったが、その時ルーズベルト・スターリン間で密約が結ばれた。それを要約すれば

ソ連は日露戦争の敗北で割譲した南樺太を取戻し、さらに千島列島を領有する事。つまり日露戦争前の権益を回復した。
ソ連は、中国の唯一の政府として、国民党政府を承認する事
ソ連は、共産党支援を停止して、国民党による中国統一を容認する事
以上を換言すれば、アメリカが国民党政府を通じて中国本土を支配する事を、ソ連が承認するという事である。


ヤルタ密約はソ連が満州を、アメリカが中国本土を、それぞれ分割支配する事で合意した事を意味する。しかもこれほど重大な権益の分割合意が、当事者である蒋介石には全く秘密のまま決定されたのである。

 

満州には、日本が100億ドルを超える資金を投資し14年に渡って開発した重工業設備、炭鉱などの鉱物資源、さらには日本軍が備蓄していた膨大な軍需品(10年は戦争が続けられると言われた)、日本軍が満州国軍として長年訓練していた人員があった。ソ連は、満州に進撃して占領するや否や、これら全てを接収し、共産党を支援しないとするアメリカとの約束を反故にし、共産党側に引き渡した。この結果、共産党軍はそれまでの貧弱なゲリラ部隊から一転して、近代装備と訓練十分な兵員を持つ強大な軍事力を持つ事になった。
 

一方アメリカでは、共産党側の宣伝工作によって、中国安定化のためには国民党政府の中に共産党を合流させるべきだとする主張が強まり、その事を国民党政府に認めさせるために、一時は同政府に対する支援打ち切りまでなされた。
 

ケネディ大統領は下院議員時代の1949(昭和24)年1月に

「1941(昭和16)年11月時点での米国の極東政策の目標が、中国の統一を実現し、国民党政府と強固な関係を維持する事にある事を明確にしていた。ところが戦後、国民党政府を支持すべきか、それとも国民党政府に共産党を受け入れさせるかで、国論は2つに分かれてしまった。

その結果、米国の対中政策は悪い報いを招いた。もし米国が連合政府に固執しなかったならば、国民党政府がこのような悲惨な打撃を受ける事はなかったであろう。中国の赤化を防げなかった事は米国の利害に重大な影響を与えた。
共産党中国の誕生は、アメリカにとっては予想外の悪夢であった。蒋介石自身も「この『ヤルタ密約』によって、中国は共産主義者の手に売り渡されたのである」と指摘している。米ソの提携と中国分割支配構想、すなわちアジアのヤルタ体制を推進した結果、その果実はソ連、中国共産党に奪い取られたのである。
ちなみにブッシュ大統領は、2005(平成17)年5月のリガ演説において、「ヤルタ協定は、安定のために自由とデモクラシーを犠牲にした協定であり、その点において独ソ不可侵条約やミュンヘン融和政策などの、不正の伝統に連なるものである。この安定という目的のために自由を犠牲にしようという企ては結局、ヨーロッパ大陸を分裂させ、不安定なものにしただけであった」と述べている。

東ヨーロッパに共産主義国家が誕生した事を反省した内容であるが、この歴史認識は東アジアにも当てはまる。すなわち東アジアに共産党中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジアというアジアの共産主義体制が構築されたのである。

参考文献 「山本五十六の大罪」 中川八洋 弓立社
     「大東亜戦争の秘密」 森嶋雄仁 元就出版社
     「共産党宣言」 マルクス・エンゲルス 大内兵衛・向坂逸郎訳 岩波文庫
     「昭和大戦への道」 渡部昇一 WAC
     「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」 椛島有三 明成社
     「昭和の精神史」 竹山道雄 講談社学術文庫
     「大東亜戦争とスターリンの謀略」 三田村武夫 自由社