解放直後の朝鮮半島の混乱をよく理解しようとしたら、どうしても解放前の独立運動の歴史を知らなければならない。

 

19193月 3.1独立運動が起こった後、臨時政府が作られた。国際法上有効な代表を国際社会に送ることが必要であったからである。当時作られた「政府」としては

上海の大韓民国臨時政府

ロシア(ロシア革命前)の大韓国民議会政府

満州の高麗臨時共和国

(朝鮮半島外では、ソ連によるコミンテルンの介入があった。

 

半島内では、天道教が中心となった大韓民間政府や、朝鮮民国臨時政府、新韓民国臨時政府、漢城臨時政府などがあった。

これらのうち上海、ロシア、ソウルで結成された「政府」が上海に集結し、19194月に大韓民国臨時政府が樹立された。この臨時政府は、右派の李承晩を大統領に、左派の李東輝を国務総理とするものだった。

パリ講和会議、国際連盟などで独立を訴え、各種国際会議に代表団を送るなどの活動を行ったが、1923年になって活動は停滞してしまった。その大きな原因は内部対立であった。

 

独立戦争論を掲げる左派の李東輝は、抗日武装軍が活動している満州国境の近くに臨時政府を移すことを主張した。しかし李承晩ら、外交によって独立を達成しようとする者たちはこれに反対した。国際都市である上海のほうが外交活動を行うのに便利で、安全だったからである。

この対立は李承晩臨時政府大統領の弾劾を招き、そのため1921年に開催されたワシントン会議の参加を拒否された。李承晩の退陣後は金九が臨時政府を率いた。李承晩はその後アメリカで独立運動を始める。

 

解放後李承晩と金九は、ソウルで同じような対立をすることになる。即時独立を求める民族派の金九や中道派の呂運亨、左派の朴憲永などと李承晩は対立する。李承晩は南だけの単独選挙を進めていくのだった。

 

(この左派と右派の対立が長い間続き、そして現在に至っているのだろうと思う)

現在は左派、右派と言わずに進歩派、保守派と言っているようだ。左派は臨時政府の樹立した時を建国の日と定め、保守派は19488月を建国の日と定めているようだ。また進歩派は、北朝鮮を正統な政府としているようだ。

 

参考文献 韓国の歴史 河出書房