朝鮮戦争は途中から“米中戦争”の様相となった。なかでも「長津湖戦闘」は米軍が中国の大軍に押しまくられ、東海岸の咸鏡南道・興南港から大量の避難民とともに南への撤退を余儀なくされた「興南撤収作戦」につながる苦闘の象徴として知られる。

 この時の「興南撤収」で北朝鮮から逃れ釜山港にたどり着いた北朝鮮の住民に文在寅氏の両親もいた。文氏はその後、釜山近郊で生まれたが、歴史的な意味では彼はいわば「長津湖戦闘」の“申し子”なのだ。

 その彼が訪米の第一歩に「長津湖戦闘記念碑」訪問を選んだことを韓国メディアはこう書いている。

 「あの時、米軍が大きな犠牲を払って中国軍の南下を阻止したおかげで、文大統領の父母をはじめ20万人の興南撤収が可能になったのだ。(記念碑訪問は)韓米血盟にからむ文大統領の家族史を通じ、同盟外交の第一歩を踏み出す象徴的な歩みである」(6月29日付、東亜日報社説から)

 

左派系の革新政権である文在寅政権の外交姿勢については内外で懸念する声がある。文氏が自ら秘書室長など参謀を務めた師匠の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(2003~08年)が「米国を怒らせることがあってもいいではないか」などと公言し、いわば「米・中等距離外交」で米国離れを目指した“前科”があるからだ。

産経新聞電子版より