ルネサンスと宗教改革

ルネサンスの肯定的な側面はどのようなものか。ルネサンスは古代ギリシャ・ローマ時代の知恵を回復することによって中世の病を癒そうと試みた。そして、神はこの世界を人間の成長のために用いるべき場所として造られたということを指摘した。ゆえにルネサンスを代表する人々は、尊厳性・理性の力・自然に対する愛や科学的な研究の必要性を強調した。このような方法で彼らは人間の本性を再確認しようとした、と統一原理は述べている。

宗教改革はルネサンスに反対する意図はなく、むしろ聖書の遺産を想起せしめることによってルネサンスの価値を深め、強化することを意図していた。ルネサンスのヘレニズムと宗教改革のヘブライズムが対立するのでなくお互いに協働していたならば、復帰摂理(救済摂理)上における人間の本性を新たな水準に引き上げることができただろう。

ルネサンスがギリシャ・ローマ時代の精神哲学の復興を提唱したのに対してプロテスタント達は、イエス時代の使徒たちのキリスト教に帰ることを促した。プロテスタント達の根本的な教えは 1 救いは各個人の信仰に依存している。 2 聖書の権威は法王や教会会議や主教や地方祭司の権威より偉大である。 3 クリスチャンとしての生活を送るために修道士や修道女になる必要はない。 4 神は各個人の良心に直接語りかけるのであるから、宗教における個人的判断の権利を否定してはならない、というものであった。

 

啓蒙思想と敬虔主義

宗教改革やそれに対抗するカトリック内部での革新運動において、それぞれの教義の正しさを過度に強調した結果悲惨な宗教戦争がもたらされた。それゆえ、多くの知識人たちは教会教義の難解な形而上学的説明よりも、イエスの倫理的な教えに関心を集めるようになった。そして、科学的な発明や発見の結果として彼らは、神が自然の法則を通していかに被造世界を支配しているかを学んだ。次にクリスチャンは東洋の思想を知ることになった。イエズス会の宣教師たちが中国文明に関する報告を送ったために、孔子の教えがヨーロッパの知識人たちの間で人気を呼ぶようになったのだ。こうしてヨーロッパの作家たちは神学上の論争に倦み疲れて寛容の価値を主張した。こうして啓蒙思想は人間の進歩を助けたのであった。

しかし、キリスト教をカントの言う「理性の限界内の宗教」に縮小しても人間の心の問題は解決できなかった。最も重要なものは心の宗教であった。したがって啓蒙思想の合理主義と自然主義の弱点を是正するために敬虔主義の運動が興った。敬虔主義は三つの形態をとった。中部ヨーロッパに見られたような個人的宗教体験に基づくキリスト教の復興、ウエスレー兄弟のメソジスト運動、およびアメリカにおける大覚醒運動であった。啓蒙主義と敬虔主義はカインとアベルの時のように、もし両者がお互いに反対するのでなく共に協力していたならば、神の創造目的を人間がより深く自覚するのに役立ったかもしれない。

 

英米の革命とフランス革命 

民主主義の誕生は古代ギリシャ時代までさかのぼることができる。しかし、それが現在の形態をとるようになったのは17世紀にイギリス人が絶対君主制に対して攻撃した結果であった。スチュアート王家に反対して議会の権利を主張した闘争は、これがより多くの宗教的自由を約束したがゆえにピューリタンたちに支持された。イギリスでは王室の権力を制限することで一般的には満足したが、彼らの主張した代議政治の理想はイギリス以外の所で、もっと根本的な社会変化のための思想となった。

政治的にはアメリカの独立革命とフランス革命を生み出した。絶対専制君主に反対するこれら二つの革命は多くの共通点を持っていた。しかし、異なる概念の民主主義をもたらすことになった。アメリカでの独立と自治のための戦いは、人間は神の子としての天賦の尊厳性を所有しているというキリスト教の教義と結びついていた。我々は神によって創造されたがゆえに、奪うことのできない権利と一定の責任を持っている、とアメリカの建国者たちは主張した(注)。聖書に由来するこの信仰によってアメリカは、安定した代議員政治を打ち立てることができた。これとは対照的にフランス革命は、その起源において主として反キリスト教的であったために、結果として社会的混乱・階級間の憎悪、そして独裁政治へと進んだのであった。アメリカの指導者たちは、人間を個人の自由という観点から定義したのにたいして、フランスの革命家たちは、人間を恒久的な反逆者であると考えた。それゆえ1789年のフランス革命は、1776年のアメリカ独立革命の反キリスト教的な模倣であったと説明するのは当を得ているように思われる。

(注)アメリカの建国者たちの中には、ジェファーソンやフランクリンなど、数名の理神論者がいたことは事実である。しかし、ピューリタンたちが独立戦争および建国の根幹となったことを見過ごしてはならない。ジョン・アダムズはイギリス本国に対するアメリカ植民地の反逆の原因として、イギリスがニューイングランド地方にたいして英国教会の監督権限を押し付けたことに反対して、アメリカの組合教会信者が戦ったことを挙げている。彼の意見によれば、地方教会が自主的に生活しようとするための自治権の要求が自然に政治的自由の要求になったということだった。

 

理神論者

神を世界・天地の創造者とはするが、世界を支配する人格的超越存在とは認めず、従って奇跡・預言・啓示などを否定する立場。いったん創造された以上、世界はみずからの法則に従ってその働きを続けるとする。17世紀から18世紀の英国の自由思想家たちに支持され、フランスやドイツの啓蒙主義に強い影響を与えた。自然神論。自然神教。→無神論

 

ステュアート朝

14世紀イギリスの王朝。絶対王政を強めたため議会と対立、ピューリタン革命で倒された。王政復古で復活したが、名誉革命で立憲君主政を受けいれる。

ステュアート朝は、1371年以来スコットランドの王朝であったが、1603年そのジェームズ6世がイングランド国王を兼ねてジェームズ1世となってからイングランドの王朝ともなる。絶対王政の強化を図りジェントリ層を中心とした議会と対立、1642年にピューリタン革命が起こって倒されるが1660年に王政復古。名誉革命ではステュアート家のメアリ2世とその夫のオランダ総督ウィリアム3世の共同統治となり、立憲君主体制を受けいれた。その次のアン女王に継嗣がなく死去したので1714年に断絶し、ハノーヴァー朝に交替した。