本性論は人間本来の姿を考える哲学である。釈迦は、本来人間は仏性を持っていたが煩悩にとらわれ、仏法の根本が理解できなくなったので修道生活を通じて仏性を回復せよと説いた。

ソクラテスはポリス社会の末期的な混乱を直視した結果、真の知を知ることが真の生き方であると説き「汝自身を知れ」と叫んだ。プラトンは「善のイデア」を認識することが最高の生活であると説いた。アリストテレスは人間を人間らしくさせるのは理性であり、徳は共同生活を通して実現されると考えて、人間は社会的動物(ポリス的動物)であると説いた。このようにギリシア哲学は、人間の本質は理性であり、理性を十分に働かせれば人間は理想の姿になれるというものであった。

 

中世はキリスト教がヨーロッパ社会の精神を支配したがキリスト教の人間観は、人間は罪人でありイエスを信ずることによって救われるというものであったので、理性は平和な生活の実現に役立たないと見なされることもあった。しかし近代に至ると再び理性を重視する思潮が現れた。デカルトは、人間は理性的存在であって理性でのみ正しい知識を得ることができると言い「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題を残した。カントは、人間は実践理性の命ずる「道徳的義務の声」に従う人格的存在であると言い、人間は誘惑や欲望に負けないで理性に従って生きるべきであると説いた。

 

ヘーゲルは、人間は理性的存在であるとみた。ヘーゲルは、歴史とは理性が世界の中で自らを実現する過程であり、歴史の発展とともに、理性の本質である自由が実現されると考えた。この説によれば、近代国家(理性国家・プロイセン王国)の成立とともに人間と世界は合理的な姿になるはずであった。しかし、人間は人間らしさを喪失したままであり、世界は非合理なままであった。

ヘーゲルの理性主義に反対したのがキルケゴールだった。キルケゴールは、歴史の発展とともに人間は合理的な存在になれるというヘーゲルの考えに反対して人間は、人間性を失った平均的人間にすぎないと考えた。したがって、大衆から離れて単独者として主体的に人生を切り開くとき人間性が回復されると考えた。人間は本性を失ったと捉え、人間性を取り戻そうとする考え方がこれ以後実存主義思想として展開していく。

 

ヘーゲルの理性主義に反対して人間を感性的人間としてとらえたのがフォイエルバッハであった。フォイエルバッハによると人間は、理性・意志・心情をもつ類的存在であるが、人間はその類的本質を分離し、そして対象化してそれを神として崇めるようになった。この結果人間は人間性を喪失するようになったと見た。したがって、人間が本性(類的本質)を取り戻すには対象化した神を否定することによってのみ可能であると考えた。

 

ヘーゲルの思想から出発して人間の解放を考えたのがマルクスであった。マルクス当時の労働者の生活は長時間の労働を余儀なくされながらも、最低の生活を維持するのも難しい賃金しかもらえなかった。労働者の間では病気と犯罪が蔓延しており人間性を奪われていた。資本家は労働者を無慈悲に搾取し抑圧しているので、彼らも本来の人間性を失っているとマルクスは考えた。こうしてマルクスは、人間による人間性の回復というフォイエルバッハの人間主義から出発したがやがて、人間は類的存在であるだけでなく生産活動をする社会的・物質的・歴史的存在であると考えるようになった。そして最後には人間の本質は労働であると考えるようになり、資本主義社会では労働者は労働生産物を資本家に奪われた。そして労働することは自分の意志ではなく資本家の意のままになっていたとみた。そこに人間性の喪失があるとマルクスは考えたのである。

こうしてマルクスは、労働者を解放するためには労働者を搾取する資本主義社会を打倒しなくてはならない。そうすることによって資本家もまた人間性を回復すると考えた。こうして彼は、人間の意識を規定しているのは社会の土台である生産関係であると考えて、資本主義経済体制を暴力的に変革しなくてはならないと結論した。しかしマルクスの理論に従って成立した共産主義国家は、自由の抑圧と人間性の蹂躙が激しい独裁国家となって、人間はますます本来の姿を喪失してしまった。これはマルクスが人間疎外の原因の把握において、そして人間疎外を解決する方法において大きな間違いを犯したことを意味している。人間の疎外は共産主義社会だけの問題ではない。資本主義社会でも個人主義と物質中心主義が蔓延していて、自分で考えたことはどんなことでもやってもよいという利己的な考え方が広まった為人間性は失われているのである。