今日ふと同性愛者と同性愛が嫌いな人について思ったことがあるんですけど、
同性愛者と同性愛が嫌いな人ってパクチー好きな人と嫌いな人と似てると思うんですよね。
パクチーって最初に食べたときに食べ物と認識するかどうかで、好きか嫌いか食べれるか食べれないかが決まるらしいんです。だから好きな人はおいしいって食べれるけど、嫌いな人はまったく食べられないんです。自分はパクチーが食べられない派です口に入れた瞬間吐き出した食べ物は初めてでした
同性愛も似ているところがあるんじゃないかなって思うんです。大丈夫な人とダメな人がはっきり分かれるというか。
お互い理解しないとだめだと思うんですよね。パクチーは食べれると食べれないがはっきり分かれていて、食べられない人は食べ物と認識できないレベルなんだよ、おいしいって食べる人はいろんな料理に入っててほしいと思うくらい好きなんだよって。
自分が食べられないからって食べれる人を気持ち悪がったり、偏見をもったりは絶対にしちゃいけないと思う。だけど、食べれない人は食べれないんだから「なんで食べれないかわからない」って食べれる人が言うのも違うと思うなぁ。
なんとなく共通しませんか?
まぁ、あとは個人的な意見になるんですけど、同性愛者の結婚って国で認めてもいいんじゃないかなぁ。認めようが認めまいが好きどうし一緒にいるんだろうし、だったら認めてしまえばいいんじゃない?って思います。日本は家族かどうかでできるできないが多いんだからなおさら。
まぁ何が言いたいかというと、パクチーが好きな人、同性が好きな人、パクチーが嫌いな人、異性が好きな人、みんな居ていいじゃないですかわざわざ自分と違う人を否定しなくてもいいじゃないですかもっと気楽に生きれる世界にしましょうよ気楽に気楽に