たった1日、というかもう何時間かで年が変わります。

 日常生活で何にも変わるわけではないんだけど、やっぱり新しい年が始まるというと新鮮な気持ちになります。

 

 個人的には年末に母方の伯父が亡くなったので、来年はしめ縄かざりも初詣もなしのスタートです。2月に49日終わったら、那智大社でおみくじ引く予定です。

 

 伯父は94歳だったので天寿を全うっだったと思う。妹である昭和8年生まれの俺のおかんが10人兄弟の一番下。もう残ってるの89歳の姉と84歳のおかんだけです。1番上の姉さんは24歳上だったらしく、その姉さんの子どもがおかんより年上で、小さい頃から「あんた、叔母やからって年下なんやから調子にのるなよ」と言われたそうυ

 

 亡くなった伯父は元陸軍の2等兵。まあ、軍隊では一番下だよね。だから終戦で何一つ持って帰ってこなかった。でもその伯父さんの数年前に亡くなった兄さんは海軍で兵曹長まで上がった人で、終戦の食糧難の時にいっぱいお土産を持って帰って近所にも配ったとか。その兄さんは銃剣術が強くて、大会で優勝したり、『大和』を始め名だたる戦艦を乗り継いでいる。2人とも無傷で助かったのは母親が無事を祈って毎日仏壇を拝み倒してたおかげかもしれない。

 

 その海軍の兄さんの方はよく戦争の時の話をしてくれたらしい。その中には戦争中の悲惨な話もある。1942年の『珊瑚海海戦』に参加した時のこと。ググってもらうとわかるけど、双方沈没艦が出た大変な激戦だった。こういう歴史的事件がゲームになってるんだね。その時の状況、参戦した兵達の気持ちを知ったら、たぶんできないと思う。

 

 その時、兄さんは小型ボートに乗って日本兵の救出に海上を回っていたんだけど、アメリカの『空母ヨークタウン』が半分傾いていて、たくさんの乗組員が沈没から逃げようと海に飛び込んでいた。そしてボートの方に泳いで助けを求めてすがりついて来たらしい。それを兄さん達は銃剣で突き刺して海に沈めたって。あれは惨かったとね……。

 

 そんな戦争体験者、戦前の暮らしを知る人も近く消え去ろうとしてるね。俺のおかんにしても小さいときは村に電気なんて来てない生活を経験してる。風呂なんか3日おきくらいで、風呂を炊くとみんな近所の人まで入りにくるから、おかんの順番来た時には垢でお湯が真っ黒になってたらしい。当時は頭にシラミをわかせたりするのも普通だった。飯炊きはかまどだし、洗濯は手洗い、移動手段に車もなかった。ある意味、江戸時代以前とあまり変わらない生活だ。

 

 かたや昭和40年生まれの俺の時代は、小さいときは確かにまだテレビは白黒だったり、携帯もパソコンもなくビデオすらなく育ったけど、それでももう洗濯機や掃除機、扇風機、ステレオなんかの家電製品はどんどん開発されていた。車もバスも走ってたし。だからおかん達の生きてきた時代とは完全に別物。だからこそ、今、古き時代を知る人達が年々いなくなっていくことに無性に寂しさを感じる。

 

 正直、昔に比べると生活の質は向上して、社会は豊かになったようにも見えるけど、実はそうでもないようにも思う。この前と今日のネットのニュースで読んだけど、50代の孤独死や、若年のホームレスの状況は独り者の俺なんかは人事ではなくよくわかる。だから、最近、俺はそういうところの支援について関心があります。

 

 まあ、なんだか暗めな話になってしまったけど、基本は『死ぬまでにやりたいことをやる』で来年も行こうと思う。いくつか新しいこと始めようと思ってます。

 

 では、皆様、よいお年を♪