文系の作家、理系の作家 | 備忘録以上、評論未満。

 

 

先週ちょっと

 

作家の話を書いたので

 

もうちょっと続けたい。

 

 

今回は「文系と理系」の違い。

 

これも

 

あるところで書いたもの。

 

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 最近は線引きが曖昧な作家も増えたが、そういう人はちょっと除くとして、いわゆる「文系の作家と理系の作家」には特徴がある(※ノンフィクションの世界での話)。

 

 文系の作家、とくに自分で書く作家は(ライターに任せない作家)、自身の世界観を基に文脈を構成する。彼らには全体像が見えており、文章もそこそこうまい(こなれている)。

 

 ただし原稿の中でファクト(事実)とオピニオン(意見)が混ざることが多い。書いていると感情が入ってしまうのだろう。それに数字に弱い文系作家も多い。

 

 理系の作家も自分で書く人は文章がうまい。論理的で説得力があるし、何よりも数字面でしっかりしている。

 だがファクトが多く、オピニオンが乏しい傾向がある。これは自分が構築する世界観へのイメージ不足が原因かもしれない。

 

 新人作家や、これが二作目ですという作家は勢いで原稿を書けばいい。そのステージでは勢いこそ武器。信頼できる編集者と二人三脚でやればいい。

 

 しかし徐々に著作が増えるなら世界観が必要だ。「そんなものは読者が勝手にイメージするから、作家はただ自由に書けばいいんですよ」と私に笑ったビジネス作家がいたが、その人物の新刊を、もうずっと見ていない。終わったんだろう。

 

 これは書きたい。こっちは書きたくない。このテーマでやりたい。こういう表現をしたい。作家に制約なんてないから自由に書けばいい。この自由に書くという点には同意見だ。

 

 だが、そこに世界観がなかったらどうだろうか? あの作家と同じような人だなと、読者が感じたらどうだろうか? 物書きは世間に飽きられるのも早い。

 

 世界観は「居場所」と言い換えてもいい。そして居場所は決めるものだ。決められるものじゃない。自分で決めるのだ。

 

 数冊の著作を持つ理系作家にこの世界観の相談をされたことがあったが、いわゆるレイヤー(コスプレイヤー)と一緒で、何かになりすますイメージ・トレーニングもあるよと答えた。

 つまり好きな作家になりすますのだ。そこに個性を付加すればオリジナルが見えるはずだから。

 

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読者満足が

 

どの程度まで満たされるかで

 

その本の価値が決まる。

 

どこまで読者の利益に叶うか

 

ってこと。

 

とくに【世界観】の重要性。

 

ここはホントに大事。

 

本を出している人も

 

これから出そうと思う人も

 

ぜひ覚えておいて欲しい。