取りあえずコチラからは異常です -2ページ目

取りあえずコチラからは異常です

取り留めも 決め事も しがらみもなく 乱筆乱文駄文を連ねて

前回の末尾で “理想のカタチとは何ぞや” と云うところへ
行き着いたワケなのだが ディランの云うトコロの
「君の立場になれば君が正しい 僕の立場になれば僕が正しい」に
倣うと 決定打になるようなモノは無いかのように思えるが…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

好きなモノやヒトに対する 愛で方というのは十人十色だということを
なかなか受け入れられずに さも ある種の美徳であるかのように
特定の愛で方を強いる輩を見受けるコトが ままある
なぜコレを述べるに至ったかと云うと 筆者も御多分に漏れず
その輩 の一端であったからだ 

例えば 「~が好きである」と聞くと 『どれほど好きなのかッ!?』と
その深さや謂れを根掘り葉掘り 抉り出し また炙り出すように探るのだ
そして ソレが 自らが課している一定のラインに満たっていないと
『甘い』 『青い』 『にわか』などと糾弾し 果ては人格否定にまで至る

第三者から見れば 目も当てられない様相を呈しているのだが
当人同士にしてみれば維持とプライドの手四つ状態なのである
コレは往々にして男性間で 尚且つ狭めの趣味において起こるコトだ


…と まぁ上記のようなコトを 誰かれ構わずトゲをまき散らすかのように
ふっかけていると 井の中の蛙~ であったコトに気付かされたり
または 根本的に違った視点やアプローチ アティチュードに出会い
逆に 眼から鱗を剥がされたりを経て 『へぇ~俺も好きなんだよぉ~』と
いつの間にやら 門戸が広がっていたりもするのだ

そして上述のような事柄は モノやヒトへの恋の状態についてなのだが
過ぎたるは及ばざるが如しで 明らかに変な状態に至ってしまっている


変といえば それは人間関係にも当てはまる事例は枚挙に暇がない
むしろ 変な事例の ほとんどは人間関係なのではないだろうか

その昔 「風呂・飯・寝る」しか口を開かない亭主関白の夫に
ソレを先回りする勢いで 甲斐甲斐しく尽くす良妻(と世間は呼んでいたであろう)
の家庭を 蚊帳の外の近所の連中は 表っつらを見ただけで
「あすこんちは旦那が威張りくさってやがる」
「カミさんが可哀想になってくらぁな」などと 周りは言いたい放題だ
しかし その実 よくよく訊いてみると 旦那は口下手の恥ずかしがり屋で
カミさんの方はお節介が腰を抜かすほどの世話焼きで
…なんていうコトもある

もっと極端な例としてSMなんていうモノも その一つではないだろうか
団鬼六を始め SM小説に出てくる主従関係とも呼べる男女の関係は
常人には到底理解の及ばないトコロだろう
しかしそれは何人(なんぴと)たりとて侵すことの出来ない聖域であり
究極の信頼関係の上に成り立っているモノなのだ とも
理解されないという次元ではなく どうせ分かりはしないのだから
むしろ構ってくれるな とでも云うほどのモノなのだという

「~だという」 などと便宜上 伝聞のカタチをとってみたものの 
少なからずどころか 世間的な尺度に則ってみれば 
筆者は完全に変態側の人間であるがゆえ 全くもって賛同できる



嗚呼 どうやら踏みとどまっておこうと思った場所に
自ら足を踏み入れてしまったようなので
濃いぃ髄ぃの部分は次回へ




    ↑
取りあえずコレを御願い申し上げ〼



方々から 「続きまだ?」「生きてる?」「もう書かないの?」等の
ありがたさと申し訳なさがない交ぜになるような
問い合わせを頂いており〼
日刊を標榜していたのだが 気付けばいつのまにやら月刊にッ!!
 気を引き締め週刊程度に戻し ゆくゆくは日刊にもどさねばッ!!
 いずれペースをとりもろす
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前回の〆で “相手への思いやりという名のヴェールをまとった保身”
での幕引きという 思春期末期の慢心も甚だしい浅はかさまでを綴った
そして それが慢心であったコトに遅かれ早かれ 気付いたり
思い知らされたりもする(稀に気付けなかったり 受け入れられなかったりも)

すると 次には先述した “目に余っていた”相手と自己との違いを
受け容れられるようになっていく段階になる 


思春期初期の恋愛を 喩えるならば 自己を赤い絵の具とした場合に
探しているのは 真っ白なキャンバスか真っ白な絵の具であったハズだ
もしくは 同系統の色だったハズだろう
そこにぺたぺたべちょべちょと自己を塗りたくったり混ぜてゆくのである
やがて 真っ白だったキャンバスは真っ赤に染まり 余地がなくなる
真っ白だった絵の具は 限りなく赤に近いピンクという飽和状態になる
それを 『マンネリ』と呼んだり 行き詰まりと呼び 別れに至るのである

後者の場合ならば どちらも同じ系統だというコトにお互いが気付き
『友達に戻る』や『別に恋人じゃなくても』などというコトに至ったりもする


以上を踏まえると 相手との違いを受け容れると云うのは
補色(反対の色:赤の場合ならば緑)とまでは言わずとも 対(つい)の色と
自己の色との混ざり具合を受け容れると云うコトだろう

すると 「青を有する相手となら 時と場合で無限の紫色を体現できる」
と思い描くに至り それまでの反動かのように あえて違った相手を求め
また 惹かれたりもして 煌めくような切磋琢磨の刺激のやり取りに浸る

一見すると コレこそが理想のカタチかと思われるのだが
何事にも(ブログなども)言えるコトだが 冗長になってイイコトなどない
「永すぎる春」 にも やがて そして必ず終わりは来るのだ
しかも「心地のよい春」であったが為に その別れは殊更に堪える…


…となると “理想のカタチ” とは何ぞやッ!? と云うところに至る
(いとしい いとしい と いう こころ)と書く恋の旧字体の冠部分は
とも通ずるトコロであるが コレは「糸糸+言」の会意文字で
「乱れた糸が解けないさま」を表したモノだそうな
それがココロに圧し掛かる恋と それによって歩みが遅くなる変…
一見相容れぬようで 実は似た状態なのかもしれない



    ↑
本年もコレを御願い申し上げ〼


我々人間は 人が人に対して好意を寄せる
という状況を経て発生し生まれ落ちたイキモノである

独りで生まれ独りで死んでゆくのだが 少なからず
出生には最低二人の人間が関係し介在している

独りで生まれてきて 多くは無償の愛の庇護のもと
その存在の炎を絶やされぬように 愛でられ育てられてゆく

やがて 誰に教わるわけでもなく(今や同性異性の隔て無く)誰かに惹かれる
この時が訪れるのは幼稚園の時でもあったり 小学校の時でもある
相手も先生であったり同級生であったり それは様々だ

そのキッカケは 自分の愛でているモノと相手の愛でているモノとの
交換 及び 交歓が大多数だろう それは好きな遊びや 好きな色
時に給食のメニューであったり 流行りのテレビのヒーローであったりと
自分の影響が相手に及びさえすれば 要は何でもイイのである
自分の愛でるモノを他人も同じ熱量で愛でることを願うというコトだ
コレこそが俗に“恋に恋している”と呼ぶ状態なのではないだろうか

そして成長に伴い 自らの経験や知識を蓄え 骨子が確立されかけると
自らの愛でるモノへの深度や熱量も煮詰まってくるコトだろう
すると 前段の恋に恋している状態から 各々の携えるモノへの
品評が始まり そこから導き出される共通項の面積を見出すようになる

コレこそが思春期前夜から絶頂期に訪れる恋という流行病である
まさに熱に浮かされたように 互いの共通項を愛でるのであるが
共通項という時点で ソレが相手のモノなのか自分のモノなのかすら
判別があやふやになってくる つまり他者への熱情が
実は単なる自己愛であるかもしれないという危険性も孕んで来るのだ


例えば
100という何かを自己が有していて 相手も100という何かを有する
その内の25という何かに共通項を見出だせた時の感動たるや
何事にも代え難いコトだろう 全く違う環境 違う親の下で育った
赤の他人の有するモノが 自分が独自に愛で育て上げたとしたモノと
似通い共鳴する コレほどの奇跡に出会えるだろうか 
コレを凌ぐほどの感動はあるだろうかと やおら人生は薔薇色だ

しかし誰しもが経験するであろうコトだが 共通点を見いだせたからこそ
ソレがそうならば コレはこうあってほしいという愚直な期待と云う名の
押し付けがましい愚直な欲求のコトである
上記で云うトコロの残りの75の部分への執拗な固執である

コレの始まりは 即ち 終わりの始まりというコトだ
下降する線の上方修正は無理だと分かっていながらも
悪あがきとしか言い得ない方法で 何とか角度を浅くしようと試みる
それで 高度の下がる速度は落ちれど その分ダメージを感じる期間は
相対的に長くなるのだ そして最終的に どうしようもない関係に陥り 
気付き始めた時よりも双方は疲弊しきってしまうのだ
コレに双方が付き合ってしまうのは全て(じょう)≒情けのせいである
しかし それは ほとんどの場合 本当に相手へ向けられた情ではなく
フッた相手が傷つく 以上に相手を傷つけてしまう役を担いたくない
という自己への情でしかない場合が少なくないように思える


…と 上記のようなコトを幾度か経ると
ある時に気づくのである…



さて新年一発目から
昨年を省みずに続き〼

    ↑
本年もコレを御願い申し上げ〼


小さな恋のメロディ [DVD]/マーク・レスター,トレーシ-・ハイド,ジャック・ワイルド

多忙であったと今さら言うまでもなく 更新の途絶えっぷりで
充分に明らかであろうから 弁明もせず本題に入ろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

仕事柄(翻訳・通訳) 赤の他人と出会う機会に 非常に恵まれている
そもそも赤の他人を懐柔し(半ば強引に)距離を詰めるコトを
得意としている自覚があったからこそ この仕事を選んだのだ

と 以上のコトから察したかのように 身辺の友人知人らからは
勝手に“人見知らず認定”をされているのである

が この際 丁度イイ機会なので ココでハッキリさせておこう

実は極度の人見知りであるというコトを
まぁ 「テメェのドコが どう人見知りなんだッ!?」という怒号が方々から
聞こえてくるも 甘んじて聞き入れようではないか

では 周知の “人見知らず”はどのようにして発動しているのか
ソコには一つ大事な要素が噛む必要があるというコトを説明しよう

ソレこそが前に書いた各々が持っているみんなであるというコトなのだ
つまり 誰かの知り合いである もしくは 某かの共通点を有している
この完全なる他人でないという保証さえあれば コッチのモノである
横柄で馴れ馴れしい
(←自覚はアル) いつもの筆者で居られるのだ

なので 信じる信じないとは兎も角として実のところ
ナンパはおろか 知らない人に道を尋ねることすらも
恥ずかしながら 躊躇う始末なのである



では 上記した 赤の他人との距離を詰めることを得意としている という
人見知りの人間にとってアナフィラキシー級の所業は どのようにして
成り立つかというと 答えはカンタンである
相手がガイジンだからである
これはさっきの第二項の某かの共通点が採用されるのである 
コチラはガイジンに興味がある ガイジンも日本人(奴等にとってのガイジン)
興味があるのである ウマく行かないハズがないではないかッ!?

ナンパなどという離れ業は 自分に全く興味を抱いていないどころか
鬱陶しがってすらいる相手を振り向かせた上に興味を抱かせる…
コレは完全に狂気の沙汰だ 出来るワケがない

ハナシを戻すと ガイジン相手の場合は場所も立場も選ばずにイケる
上野で話しかけられようがカムデン・タウンで話しかけられようが平気
しかし シゴトは翻訳だけにとどまらず通訳(←現在コッチの出番のほうが多い)
完全に知らない日本人と対峙し懐柔するコトこそが 命題なのだ

ソコで 今年 新たな術として採用したのが
 誰かのみんな側に飛び込む」であった
コレが思いのほか功を奏した 公私に関わらず 新たに出会った人を
自らの側のみんなに紹介したりでなく その人側のみんな
紹介してもらったり 催しのお誘いに乗ってみたりと
自らの処世術として自負していたモノを かなぐり捨て
あまつさえ苦手としてたコトに舵を切ったことで 公私がとても充実した


ガイジンにとっての 自分がガイジンであるという以前に
他人にとっても すでに 我は異人=ガイジンであるのだ
それを受け入れられたことが本年の最も大きな収穫であった

皆々様方
旧年中は 誠に有難う御座いました


不景気に喘ぎ週三日労働となっていた'70年代中盤の英国
アチコチに無職の若者が徘徊しているのも珍しくない頃

'67年に 「バガリィ法」が無くなり 同性間の性交及びソレに準ずる
行為が違法ではなくなった
(それまでは重大犯罪とされ19世紀では死刑)モノの
まだまだLGBTの人達は肩身の狭い思いをして暮らしていた

しかし 程なくして機は熟したかのように 鬱屈した若者の憤怒は
パンクというカタチで表出して 英国のみならず世界中を席巻した
その中に 不平や不満を並べ立てる 子供じみた凡百のバンドとは
一線を画する あるオトコが拳を突き上げた



そのオトコの名はトム・ロビンソン
前回の続きという内容なので 察しの通り 彼はバイ・セクシュアルだ
彼はそれを隠すどころか 堂々とカミングアウトして
あまつさえ こんな曲を歌った


『Glad To Be Gay』




“ゲイでいられて幸せだ” と ド直球を放ったのだ
コレによりRAR(Rock Against Racism)の支持をも得て

(←“ロックは人種差別に反対である”の意)


マイノリティの為ならず 己自身の為に保身もかなぐり捨て
身の回りの目に見えて手が届くコトだけを真摯に 時に辛辣に綴る


『Power In The Darkness』


ともすれば説教臭く 辛気臭くなりそうな内容を 
様々な『壁』を一瞬でブチ抜くような痛快なポップセンスが助け
圧倒ではなく 鼓舞 扇動するような歌


『Up Against The Wall』


そんな激情を攻撃的でないカタチで表すことのできたのは
恐らく 攻撃される側だったコトがある 彼だから成せたのかもしれない
“パンク”としてカテゴライズされる彼らのデビュー・シングルからは
攻撃性や破壊的な要素は微塵も感じられない

むしろ夕暮れ時に徐々に明かりが灯っていく団地のような 
そんな どこかほろ苦いような温かさすら感じられないだろうか


『2-4-6-8 Motorway』



個人的に トム・ロビンソンの過小評価ぶりは とても残念だが
彼が正当な評価を得られた時 マイノリティはもうマイノリティで
なくなっているハズだろう




毎度有難う御座い〼


Power in the Darkness (CCCD) [Bonus Tracks]/Tom Robinson
¥2,013
Amazon.co.jp
Rising Free: The Very Best of Trb/Tom Robinson
¥1,055
Amazon.co.jp