八月十三日。

初盆というものを、私はこの歳まで、ちゃんと知らなかった。

親が死んで初めて迎える盆のことである。

知らなくて済んでいたのは、要するに、それまで誰も死んでいなかったからだ。

三月に、母が死んだ。

そして八月が来た。

順番というのは、そういうふうに来る。

その朝、私は実家にいた。

朝十時、業者が来た。

タンスを運び出してもらうためである。

母が嫁入りに持ってきたという桐のタンスが、男二人の手で、あっけなく玄関を出ていった。

六十年かけて置かれた物が、消えるのには十分もかからない。

作業を終えて、私は時計を見た。

十一時だった。

そして思い出した。

パーティーは十二時からだった。

梅田の、既婚者ばかりが集まる昼の会である。

なぜそんなものを予約していたのか、自分でも分からない。

たぶん、実家に一人でいたくなかったのだと思う。

私は慌てた。

シャワーを浴び、適当な服を引っ掛け、梅田までほとんど走った。

初盆の日に、実家のタンスを見送った足で、飲み会へダッシュする五十六歳。

母が見ていたら、なんと言っただろう。

会場に着くと、私の正面に、二人の女が座った。

どちらも、私と同い年くらいだった。

しばらくして、妙な皿が運ばれてきた。

スイカの上に、生ハムが乗っている。

「え、なにこれ。スイカにハム乗ってるやん」

一人が言った。

私も同じことを思った。

だが、食べてみて、黙った。

「……うまい」

「やろ。スイカの甘いのと、ハムの塩気が、合うねん」

「おしゃれやなあ。今度うちでもやろ。メロンは高うて買えんから、スイカで」

「いや」ともう一人が真顔で言った。

「今、スイカも十分高いで」

そこで、三人で笑った。

大したことは、何も言っていない。

だが、笑えた。

それだけで、来た甲斐はあった。

話の流れで、私は今朝のことを喋った。

タンスを運び出した、という話である。

正面の女が、ビールのグラスを置いた。

「三月に亡くなったんやったら、今年、初盆やんか」

はっとした。

そうか、と思った。

そういう名前が、この日には付いていたのか。

「介護、大変やったやろ」

女は、少しだけ目を細めた。

「親御さんもな、今頃あの世で言うてはるよ。『あんた、もう十分頑張ったから、好きに遊びなはれ』って。初盆にパジャマで梅田うろついてる息子見て、呆れてはるかもしれんけどな」

「パジャマ言うな」

私は抗議した。

「これは四万五千円のヴィンテージや」

「はいはい」

もう一人が笑った。

「で、そのパジャマで、今日はどこ飲みに行くの」

大人の会話には、こういう救いがある。

深いところを、深いまま置いておいてくれる。

慰めもしない。

聞き流しもしない。

ただ、次の冗談で、そっと蓋をしてくれる。

街の話になった。

私は、これぞ大阪、という話をした。

「中津駅、知ってます? 阪急の。あのホーム、幅がこれくらいしかないねん」

私は肩幅を示した。

「東京から帰ってきてあれ見たら、本気でビビるで」

「わかる!」

女たちが食いついた。

「黄色い線の外側、すぐ線路やもんな」

「そうそう。あんなん、大阪以外で許されへんて」

ローカルな恐怖ほど、人を仲良くさせるものはない。

盆休みの話にもなった。

九連休だ、十連休だ、と会社は言う。

だが、やることがない。

「昨日もな、ジムで身体動かしたくらいで、退屈でしゃあなくてさ」

私は正直に言った。

「こういう無駄な時間も、まあ、ええかと思って来てん」

「わかるわ」

「明日から台風来るらしいしな。どうせ、どこも行かれへん」

盆に近づく台風の話ほど、寂しい天気の話はない。

祭りでもないのに、家に閉じ込められる。

死んだ人を思い出すには、ちょうどいい天気だ、とは、誰も言わなかった。

「で、お兄さんは今日、この後どこ行くの」

「東通りの端っこにな、僕が週三で通てる店があって」

「週三!? 行きすぎやろ!」

「ボトル入れてるから安いねん。一杯七百円、チャージ二千二百円や」

私は、なぜか熱弁した。

「その店にな、滋賀から来てる常連がおるんよ。夜の十一時半になったらな、十一時四十分梅田発の新快速に間に合わせるために、東通りのアーケードを、酔っ払いながら大スキップで駅まで走っていくねん」

「なにそれ」

「あれを見届けてから、僕は帰る。それが日課や」

「あはは! なにそれ、今度連れてってよ、同級生」

同級生、と女は言った。

会ったのは、一時間前である。

だが、同い年の五十六が三人集まれば、それはもう、どこかの教室で机を並べていたのと、あまり変わらない。

みんな、同じ時代を、同じだけ生きてきた。

同じ歌を聴き、同じ番組で笑い、そして今、同じように、親を見送っている。

会が終わり、私は一人で東通りへ向かった。

夜まで、まだ時間があった。

店に入り、いつもの席に座り、七百円の水割りを飲んだ。

十一時半になった。

滋賀の常連が、立ち上がった。

そして、いつものように、アーケードをスキップで駆けていった。

酔っ払いの、間抜けな全力疾走。

私は、それを見て、笑った。

あの男には、帰る家がある。

終電に間に合えば、待っている誰かがいる。

それでいい。

それが、いい。

店を出ると、梅田の空は、まだ明るかった。

人が多く、電車は正確で、店は光っていた。

街は、何も変わっていなかった。

母が死んでも、タンスが消えても、初盆が来ても、梅田は今日も、賑やかだった。

いい街だと思った。

心から、そう思った。

――この夜のことを、私はしばらく、そう記憶していた。

大阪は、まだ、終わっていなかった。

あの頃は。