ヤフーコメントより。
自分が小学生の頃、脳性小児まひの児童がクラスに 転校してきた。
当時でも障害をもつ児童のクラスはあったが 母親のたっての頼みで普通科に入れたらしい。
最初はこわごわ接していた級友たちも次第に心を開き 普通に友達になり朝迎えに行き車いすを押してくるようになった。
4年の運動会の日いつも参加できずに見ていたその子を、 徒競走の時、悪友3人で担いで走った。
当然びりになるはず だったが他のクラスの子たちが待っててくれ一等になった。
そいつは一等の列に並んでとてもうれしそうだった。
勝手なことをしたので当然怖い体育の教師に 殴られることは覚悟していた。
職員室に呼び出され怒られたが、先生は泣いていた。
最後によくやったといわれた。
次の年の夏休み明けに迎えに行ったら、お母さんが出てきて 今日は遅れていくから先に行っててねと言われた。
始業式の終わりに、先生から夏休み中に亡くなったと聞いた。
みんな泣いた。
インクルーシブ教育。
障害の有無にかかわらず、学校で健常者も障害者もともに学ぼうとする取り組みのことだ。
この方の場合は、生徒が自主的に仲良く出来た良い例だが、おめでたい話ばかりではないだろ。
先生の負担も増える。
子供も、半ば強制的に障害のある生徒の補助に交代で入った例では、鼻水だらけの手を給食に入れられ、皿をひっくりかえされ、その手伝いで休み時間も遊びに行けないと言う。
障害の度合いにも寄るのだと思うが、互いが触れあい、知る機会はあったほうがいい。
特別支援学級では物を投げつけられ、ケガをする教師もいるし、放課後デイサービスでも暴れるこどもに殴られる施設員もいた。
ちゃんと、その子と向き合える時間と余裕がないのなら悪いほうへ向かうだろ。
そういえば、特別支援学校で、ほぼ寝たままの車椅子などの意思疎通が図りにくい子供には親が1日着いている。
ただ、ここは学校なので子供の目につかないようにして、なにか問題が起きたときだけ呼ばれる。
その待合所のような部屋は、同じようなおかあさんらで重い雰囲気になっているらしい。
いないようにしてください。
見えないようにしてください。
ここは学校ですから。
この母親らの見えない姿は、社会でも見えないものとされている。
それは、苦労はないものとされるのと同じ。
こんな、社会保障や教育のためのお金が戦争や兵器購入で使われる国で、誰が、障害者家族の重荷を軽くしてくれるのか不明に思う。