レスキュー隊員も驚くほど、道路がそのままだ。
普通、ここまで放置はされない。
だから、個々で助けに行けないのだ。
うさんくさい事故や犯罪がやらせにしても、自然発生にしても、結果、政治利用されることだけは決まっている。
混乱のドサクサに紛れて政治的目的を達成する常套手段。
恐怖でヒステリックになっている国民を、集団的にコントロールする惨事型政治なのだ。
大衆というのは、大変な状況になればなるほど権威に服従しやすいらしい。
なんとか平和にしてほしい、、と、それなら改憲すれば犠牲が出ないのか、という方向へと流れる。
もちろん、自民党は、わざと被災者の救済を遅らせている。(志賀原発がすでに遅し、、ということも)
ほら、いまの法では災害救済が出来ない、そのためには『緊急事態法』を、と思わせる演出だ。
だが、それは騙しだ。
救助は現行法でも可能で、遅延は単なる政府のだらしなさなのだ。
地震の被災者は、家や家族を失ったうえに、なおかつ政治の犠牲者という2次災害をこの寒空に受けている。
朝晩パン1つという避難所から車を持つ若い夫婦は逃げ出し、金沢の比較的恵まれた避難所へ移動する。
が、年寄りはそのままだ。
食事もとれずに、トイレは処理されぬまま積みあがる避難所も。
夫婦はイライラして、子供のまえで口喧嘩になっているとも聞いた。
ここでも、苦痛は子供や年寄りにのしかかる・・。
だが、それよりも、あたしは今いちばん恐れていることがある。
外国人漁師の数名が、2年滞在していない理由で避難所に入れないと聞く。
そして、どこかに井戸があるので水は沢山あるからとの情報もある。
これ、嫌な予感がする。
ある避難所では、発熱と下痢の患者が増えているのだ。
だからね、戦後の混乱期のように、デマが飛び交うと言うことも生まれる。
例えば、外国人が井戸に毒を投げた的な。
もちろん、、実際は違うよ。
ネットが出来て、情報が伝わる良さもあるだろうが、ネットが出来たからこそデマも飛ぶようになった。
冷静な判断が出来るときっうのは、人間らしい食事、住み家、生活が保たれているときだけだ。
このような劣悪な環境で、寒くて、生きるか死ぬかの状況では判断が出来ん。
あたしはそれがいまいちばん恐ろしい。