そーなんだよ。
ピカソと言えば、岡本太郎。
(前回のコメントの続きか?)
👇ピカソと岡本太郎。
仲間であり、必ず越えたい相手でもあった。ピカソ。
フランスに絵画留学しているときに出会い、多大な影響を受けた。
思想家のジョルジュ・バタイユも、岡本太郎に影響を与えたひとりだ。
んで、前回の寝室に飾ってある桜みてぇなゴッホの絵って、これだった。
題名。
桜にしちゃ、むせ返り感がねえし、地味だとは思っていたが。
ま、あたしが桜だと思ってるんだからそれでいいんだよ。(よくねーよ)
ゴッホは、日本って国が日の当たる明るい雰囲気で好きだったからな。
弟のテロは画商だった。
兄の絵を売ろうと努力はしたものの、なかなか売れなかった。(生きてる頃は数えるほどしか売れなかった)
で、ゴッホは日本に似ているアルルで創作活動をすることにした。
その仲間を探したが、唯一、ゴーギャンだけが『いいよっ』と名乗り出てくれた。
ゴーギャンは、タダの住まいで絵を描けることと、あとは画商のテロに近づきたかったためとも言われる。
ゴーギャン。
タヒチなどの楽園系が多い。
その後、たった2か月ぐらいの同棲生活で終わった。
口論の末にゴーギャンが出て行ったからだ。
そのときに、ゴッホはじぶんの耳を切り落とした。
それで精神病院へ入れられたわけだが、警察の調書では「ゴーギャンが出ていこうとしたので物を投げつけたら、フェンシングの剣で切り落とされた」と文書が残っている。(ゴーギャンはフェンシングの名士)
その後、絵はますます売れなくなり、経済的な問題を抱えながら銃の引き金を引いて自殺した。
これも、その弾の入り方が自分ではムリな角度、、ということで、誰かをかばっているのではという疑惑もある。
死んでからその能力を認められる芸術家は多いな。
心は病みながら、寂しがりで、愛情を欲しがり、死に向かわせる歯車だけが廻り始める、、。
いま残された作品は、もう、作者の届かない場所を浮遊して観るひとびとに様々な思いを与える。
絵を観る方法に軸も決まりもいらない。
自由でいい。間違っても気にするな。
凝り固まらずに妄想して楽しんでくれ。
このひとのおかげで孤独が無ではなくなった。
好きでもないヤツと話したり、つるむことのバカらしさは、じぶんを失うことにある。