昨日の記事に関してだけど、やっぱ、これ有効だと思うんだ。(?)

 

 

 



例えば、あたし(娘)が死にたいと言い出した時に、母が、これだけ止めてもムリなら、、と、じゃ、一緒に死ぬから贅沢三昧してからにしようと言うヤツ。



そのあと、一緒に死のうと。



最悪、全て投げうって一緒に旅行をしているあいだに、なにかが変わる瞬間がくる可能性がある。



これ、逆の場合も同じだ。



母親が死にたいというときも、最後の最後まで、じゃ見届けるからと数日一緒に生きてみる。

 


これ、一緒にってのがポイントだ。



フツーはそんなことはできない。

時間も仕事もある。

でも、フツーは出来ないことをしないとひとは救えない。

 



娘が海の水に浸かり始めたときに、、あまりに夕日がきれいで、綺麗すぎて虹、、そのまま後ろに立っていた母親のところに戻ってきたことがある。

 

 

あるタレントの母と娘。


母親は、気が済むところまで一緒に堕ちる気でついてきた。



理屈などいらない。

生きるのは思ったよりも単純だ。

 

 



にんげんはバカだから、あたまで考えるんだよ。

言葉で表現するんだよ。

 

 

 

ひとを納得させる言葉なんぞ誰も持ってねぇのにだ。



ケガして痛かったら、まだ、助かる。

 

 

ホントに身体もこころも死ぬとね、痛みを感じないから。

 

 

なにかを紛らすために切るんだろうから、その生きる苦痛のほうが大きいから感じないんだよな。

 

 

 

 

ひとに『生きろ!笑い泣き』と吐いてはいけないよ。

 

それは、苦労知らずの脳天お花畑のヤツの言葉だ。

 

『がんばって爆笑』も言うな。

 

 

 

にんげんは、言葉を吐かないほうがしんどい。

SNSみたいに反応して吐いているほうが、じぶんが楽なだけなんだ。

 

 

 

あんたは生きているだけでいい、生きているだけで価値がある、と、思われているときだけは生きられる。

 

 

 

この世に不要なにんげんなどいない。

 

 

 

 

あぁ、こんな当たり前の言葉も、吐いてはいかんな。てへぺろ